ウィーン会議
ウィーン会議は、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。 オーストリアの外相クレメンス・フォン・メッテルニヒが議長を務め、ヨーロッパ諸国の代表が集った。会場はシェーンブルン宮殿。
開始~終了 1815年 ~ 1815年6月最終更新 2026/10/16 14:56
ウィーン会議(ウィーンかいぎ、ドイツ語: Wiener Kongress、フランス語: Congrès de Vienne、英語: Congress of Vienna)は、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。
オーストリアの外相クレメンス・フォン・メッテルニヒが議長を務め、ヨーロッパ諸国の代表が集った。会場はシェーンブルン宮殿。
概要
ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、オスマン帝国を除く全ヨーロッパ各国代表が集まり、1814年9月1日から開催された。
会議を主導したのは議長国オーストリアのほか、イギリス、プロイセン、ロシアである。中でも議長メッテルニヒとイギリス代表カースルレー子爵が中心的な役割を果たした。この会議には、ナポレオン戦争に敗れたフランスも招待されており、その代表タレーランも会議において活躍した1。
1792年以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数か月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された23。しかし、1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。このウィーン議定書により出現したヨーロッパにおける国際秩序は「」とよばれる。
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