フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、プロイセン国王。家庭においてはよい父だったが、消極的な平和主義に固執し、ナポレオン・ボナパルトとの戦いに敗れるという危機の時代にあっても改革運動を主導する能力と意欲を欠いていた。しかしこの時代、プロイセンには文武ともに有能な人材を輩出し、近代化も進んでいった。
生誕~死没 1770年8月3日 ~ 1840年6月7日最終更新 2026/10/16 14:44
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世(Friedrich Wilhelm III., 1770年8月3日 - 1840年6月7日1)は、プロイセン国王(在位:1797年11月16日 - 1840年6月7日)。家庭においてはよい父だったが、消極的な平和主義に固執し、ナポレオン・ボナパルトとの戦いに敗れるという危機の時代にあっても改革運動を主導する能力と意欲を欠いていた。しかしこの時代、プロイセンには文武ともに有能な人材を輩出し、近代化も進んでいった。
生涯
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は1770年8月3日、ポツダムでフリードリヒ・ヴィルヘルム2世とその妃フリーデリケとの間に生まれた。彼は父王の果てしない漁色に嫌悪を感じながら育ち、「分かる。不愉快」といった主語を欠いた横柄に響く断片的な話し方を身につけた。王は主語を欠いた動詞の人称を無視して不定詞のまま使用したので“König Infinitiv”「不定詞王」とあだ名されるようになった。
1793年12月24日、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は美貌で名高いメクレンブルク=シュトレーリッツ公女ルイーゼと結婚した。彼は父のように何人も愛人を持つことなくルイーゼだけを愛したので夫婦仲は円満であり、国民からは理想の夫婦として敬われた。1797年11月16日、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は父の後を継いでプロイセン国王に即位したが、王家としては質素で市民的な生活を続けた。王は即位すると父の愛妾たちを宮廷から追放し、最も権勢を誇っていたヴィルヘルミーネ・エンケを横領・詐欺・国家反逆の廉でグローガウに幽閉している。
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