フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)
フランツ2世は、最後の神聖ローマ皇帝。神聖ローマ皇帝として退位する前に初代オーストリア皇帝フランツ1世を兼ねることで皇帝の称号を維持した。ハンガリー国王としてはフェレンツ1世、ボヘミア国王としてはフランティシェク2世である。ハプスブルク=ロートリンゲン家の当主であり、全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。
生誕~死没 1768年2月12日 ~ 1835年3月2日最終更新 2026/10/16 14:57
基本情報
- 生誕 ~ 死没
- 1768年2月12日 ~ 1835年3月2日
- 在位
- 神聖ローマ皇帝:, 1792年7月7日 – 1806年8月6日, オーストリア皇帝:, 1804年8月11日 – 1835年3月2日
- 戴冠式
- 1792年7月19日
- 別号
- ハンガリー国王, ボヘミア国王, クロアチア国王, スラヴォニア国王, ガリツィア・ロドメリア国王, オーストリア大公, クライン公, ミラノ公, ブルゴーニュ公, ブラバント公, リンブルフ公, ルクセンブルク公, チロル伯
- 全名
- 一覧 Franz Joseph Karl, フランツ・ヨーゼフ・カール, Francesco Giuseppe Carlo Giovanni, フランチェスコ・ジュゼッペ・カルロ・ジョヴァンニ
- 配偶者
- 一覧 エリーザベト・フォン・ヴュルテンベルク, マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン, マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ, カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン
- 子女
- 一覧 ルドヴィカ・エリーザベト, マリー=ルイーゼ, フェルディナント1世, マリー・カロリーネ, カロリーネ・ルドヴィカ, マリア・レオポルディーネ, マリア・クレメンティーネ, ヨーゼフ・フランツ・レオポルト, カロリーネ・フェルディナンデ, フランツ・カール, マリア・アンナ, ヨハン・ネポムク, アマリア・テレジア
- 父親
- レオポルト2世
- 位置
- 43.7714, 11.2542
フランツ2世(ドイツ語:Franz II、1768年2月12日 - 1835年3月2日1)は、最後の神聖ローマ皇帝(在位:1792年 - 1806年)。神聖ローマ皇帝として退位する前に初代オーストリア皇帝フランツ1世(ドイツ語: Franz I、在位:1804年 - 1835年)を兼ねることで皇帝の称号を維持した。ハンガリー国王としてはフェレンツ1世(ハンガリー語: I Ferenc、在位:1792年 - 1835年)、ボヘミア国王としてはフランティシェク2世(チェコ語: František II、在位:1792年 - 1835年)である。ハプスブルク=ロートリンゲン家の当主であり、全名はフランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(ドイツ語: Franz Joseph Karl von Habsburg-Lothringen)。
生涯
トスカーナ大公レオポルド1世(後の神聖ローマ皇帝レオポルト2世)の長男として、トスカーナ大公国の宮廷が置かれたフィレンツェで生まれた。母はスペイン王女マリア・ルドヴィカ(国王カルロス3世の五女)。伯父のヨーゼフ2世に成長した子供がなかったことからフランツは未来の帝位継承者と見なされ、成長するとウィーンに移住して教育を受けた。1790年に伯父帝が崩御し、帝位を継承した父帝も2年後の1792年に崩御したため、神聖ローマ皇帝に即位した。なお伯父の崩御の2日前に最初の妃を、翌1791年にエリーザベトとの間の唯一の子である長女ルドヴィカを、さらに父帝の崩御の2か月半後に母マリア・ルドヴィカを喪っている。
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