カール・ロベルト・ネッセルローデ
カール・ロベルト・ネッセルローデ伯爵は、バルト・ドイツ人の貴族で、帝政ロシアの外交官、政治家。外務省長官(外務大臣)、首相を務めた。19世紀ヨーロッパの保守派政治家の代表格であり、神聖同盟締結に寄与した。
生誕~死没 1780年12月14日 ~ 1862年3月23日最終更新 2026/10/16 14:59
基本情報
- 生誕 ~ 死没
- 1780年12月14日 ~ 1862年3月23日
- 生年月日
- 1780年12月14日
- 没年月日
- (1862-03-23) 1862年3月23日(81歳没)
- 死没地
- ロシア帝国 サンクトペテルブルク
- 親族
- (父)マクシミリアン・ヴィルヘルム・フランツ・フォン・ネッセルローデ(ロシア語版)
- 在任期間
- 1816年8月21日 - 1856年4月15日
- 在任期間
- 1844年3月17日 - 1862年
- 皇帝
- ニコライ1世, アレクサンドル2世
- 位置
- 38.7080, -9.1390
カール・ロベルト・ネッセルローデ伯爵(露: Карл Васильевич Нессельроде、独: Graf Karl Robert von Nesselrode, 1780年12月14日 - 1862年3月23日)は、バルト・ドイツ人の貴族で、帝政ロシアの外交官、政治家。外務省長官(外務大臣)、首相を務めた。19世紀ヨーロッパの保守派政治家の代表格であり、神聖同盟締結に寄与した。
経歴
1780年12月14日、ポルトガルのリスボンに生まれる1。父のマクシミリアン・ヴィルヘルム・フランツ・フォン・ネッセルローデも帝政ロシアの外交官であり、リスボンにはロシア大使として赴任していた1。ネッセルローデ家はウェストファーレンに起源を持つ家系だったが、後にリヴォニアに定住した1。母親がプロテスタントを信仰していたため、大使館でを受け、これによりに所属することとなった。ネッセルローデは、ので教育を受けたことと、1787年父が在ロシア大使に任命され、赴任したことによってとしての血統を強く意識するようになった。
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最終更新 2026/10/16 14:59 · r268410 · 記事の内容は CC BY-SA 4.0 のもとで利用できます。