以上のような解釈はノーマン・グレーブナー (Norman A. Graebner) のCold War Diplomacy (1962)、ルイス・ハレー (Louis J. Halle) の『歴史としての冷戦』(1967)、ハーバート・ファイスのFrom Trust to Terror (1970) などに代表されるものであったが、これはトルーマン政権の国務長官を務め、冷戦政策を展開したディーン・アチソンの回顧録の記述とも重なるものだった。その意味で伝統学派は、戦後米国の外交政策を擁護するニュアンスも帯びていたと評されている27。
続いて1960年代より登場した修正主義学派 (Revisionist) は、伝統学派の解釈と真っ向から対立し、冷戦の発生はソ連の行動よりも米国側の行動により大きな原因があったとする解釈を提示した。修正主義学派の最大の特徴は、経済的要因を重視する点にあった。1958年に『アメリカ外交の悲劇』を発表し、後に自らの勤務したウィスコンシン大学マディソン校で「ウィスコンシン学派」といわれる後進たちを育成したことで知られるウィリアム・A・ウィリアムズは、同書で建国以来米国指導者層が海外に市場を求める必要があるという「門戸開放」イデオロギーを奉じていたことに最大の原因があったとする主張を展開した。ウィリアムズは、第二次世界大戦で大きな被害を受けたソ連が伝統学派の考えるような脅威ではなかったと指摘した。そして、冷戦は米国が門戸開放イデオロギーのもと東欧地域の市場開放を執拗に要求し、ソ連に対して非妥協的態度を貫いたこと、これにソ連が反発したことによってもたらされたものであったとして、米国により大きな責任があったとする解釈を示した。ウィリアムズのテーゼは、彼が育成した外交史家である ウォルター・ラフィーバーの America, Russia, and the Cold War (1967)、ロイド・ガードナーの Architects of Illusion (1970) などによってより精緻に検討されることとなる28。
また、修正主義学派の研究はウィリアムズの研究にとどまらず、よりラディカルな展開も示した。ガブリエル・コルコとジョイス・コルコ (Joyce Kolko) は、The Limits of Power (1972) において、米国の対外政策のすべては資本主義体制の防衛を目的としており、世界規模で革命運動を弾圧するものであったとするマルクス主義に親和的な解釈を主張することとなった29。これらの研究は、ベトナム戦争の泥沼化により、従来の米国外交のあり方に対する不信が強まっていた60年代の時代状況下で、強い支持を受けることになった。当然ながらこれらの主張は、伝統学派からの反発と論争を巻き起こすこととなる。伝統学派からは修正主義学派の分析の実証性の乏しさ、経済要因の過大評価、米国の行動のみを実質的に分析している分析の偏重などが批判されることとなった30。
伝統学派・修正主義学派に続くポスト修正主義学派 (Post-Revisionist) は、先行する学派の議論の抱える問題点を克服し、さらにこの頃徐々に公開が進んだ西側政府の公文書を活用することで、歴史研究としての実証性を増す形で議論を展開することとなった。その先駆的著作とされているのが、ジョン・ルイス・ギャディスの The United States and the Origins of the Cold War (1972) である。ギャディスは一次資料に依拠した上で、正統学派の重視する安全保障要因、修正主義学派の重視する経済要因を同時に取り入れつつ、さらに国際政治構造、国内政治要因、政策決定プロセス(官僚政治)の影響などを盛り込んだ分析を提示した31。
ギャディスは、各国の疲弊によって「力の真空」が生じていたヨーロッパにおいて、米ソ両国が対峙するという状況下が生まれたこと、対峙の緊張の中で米ソが様々な要因から相手の行動・思惑に対する誤解を重ねたことが(本来両者の想定しなかった)冷戦を生んだとする解釈を示し、米ソいずれかの行動に冷戦発生の責任を求める過去の議論を排する主張を展開した32。ギャディスによるこのような新しい解釈は、ブルース・クニホルム (Bruce Kuniholm) のThe Origins of the Cold War in the Near East (1980)、ウィリアム・トーブマンの Stalin's American Policy (1982) などにも継承され、彼らの研究は「ポスト修正主義学派」として広く受け入れられることとなった33。 また、米国で進んだポスト修正主義学派の研究に対して、ヨーロッパにおける研究も呼応する動きを示した。ノルウェーのゲア・ルンデスタッドは、大戦後のヨーロッパの政治指導者たちがソ連の影響力を相殺するべく、ヨーロッパで米国がより積極的な役割を果たすことを希望していたと論じ、戦後の米国はいわばヨーロッパに「招かれた帝国 (Empire by Invitation)」であったとする解釈を示した34。
ソ連崩壊後の冷戦起源論争
冷戦の終結とソ連邦の崩壊により、過去西側で閲覧することが不可能だった東側文書の開示が進むこととなった。これは各種の研究・資料収集プロジェクトの始動をもたらすとともに、冷戦起源を巡る論争において伝統学派的な解釈の復活という、新しい展開を生むこととなった。開示された東側の資料群をもとに発表されたヴォイチェフ・マストニーの『冷戦とは何だったのか』(1996年)、ヴラディスラヴ・ズボクとコンスタンティン・プレシャコフ (Constantine Pleshakov) による Inside the Kremlin's Cold War (1996) は、ソ連中枢の情勢認識や政策決定を明らかにすることとなった。これらの著書は、ソ連がマルクス・レーニン主義のイデオロギーに基づき、自発的・主体的にヨーロッパへの拡張を図っていたとする解釈を示した35。その他、90年代には様々な資料を活用したドミトリー・ヴォルコゴーノフによるスターリンの伝記研究も発表され、スターリンのパラノイア的性質を指摘する書物として注目を浴びることとなった36。
冷戦史研究は、米国学界でその主要な論争が戦われてきたこともあり、主要な分析対象は米ソ関係であり、活用される資料の多くは米国政府の公文書であった。このような冷戦史研究の動きに対し、1978年にイギリスのドナルド・キャメロン・ワットは公開書簡で冷戦史研究の資料的偏重を指摘し、英国公文書などを活用して研究を深化させる必要を訴えた39。このような提言を反映する形で、イギリスではヴィクター・ロスウェル (Victor Rothwell) の Britain and the Cold War (1982)、アン・デイトン (Anne Deighton) の The Impposible Peace (1990) など、冷戦の発生に対してイギリスの果たした役割を分析する研究なども現れ、冷戦の発生にはソ連の脅威を米国より早く意識し行動したイギリス政府の果たした役割が少なくなかったことを明らかにした40。
イギリスを一つの典型として、他国についても「自国と冷戦(および冷戦に果たした役割)」について考察した研究も進められている。1998年よりノースカロライナ大学出版局 (University of North Carolina Press) が刊行している冷戦史研究のシリーズである The New Cold War History では、フランス、ソ連、中国、東西ドイツなど、様々な国家と冷戦の関係を考察した研究書が刊行されている41。おp
研究領域の拡大
冷戦終結を受けて米国でも安全保障に関わる各種の資料公開が進んだことで、冷戦期の安全保障やインテリジェンスなどについて新たに研究が進展している。一例としては、米英による暗号解読プロジェクトであったベノナの関係資料開示による諜報戦の実体解明が挙げられる。ジョン・ハインズ (John E. Haynes) とハーヴェイ・クレア (Harvey Klehr) の Venona (2000) は、冷戦期に米国内で活発な諜報活動が展開されていたことを明らかにした。また、ケネス・オズグッド (Kenneth Osgood) は Total Cold War (2006) において、USIA・CIAなどの資料を活用し、アイゼンハワー政権の展開していた(日本も対象に含む)宣伝・情報戦の実態を解明することとなった42。
以下の記述、例示する文献の選定については、Robert J. McMahon, The Cold War: A Very Short Introduction. (Oxford University Press, 2003); Michael Kort, The Colubia Guide to the Cold War. (Columbia University Press, 1998); 麻田貞雄「冷戦の起源と修正主義研究――アメリカの場合」『国際問題』第170号(1974年)などを参照している。 ↩
また、冷戦史研究は、第二次世界大戦中の戦時外交研究にも影響を与えることとなった。マーク・ストーラーは1940年代後半に始まる戦時外交研究が、冷戦起源論の解釈と密接な関係を持ったことを指摘している。Mark A. Stoler, "A Half Century of Conflict: Interpretations of U.S. World War II Diplomacy." in Michael Horgan (ed.), America in the World: the Historiography of American Foreign Relations since 1941, (Cambridge University Press, 1995). ↩
Norman A. Graebner, Cold War Diplomacy: American Foreign Policy, 1945-1960. (Van Nostrand, 1962); Herbert Feis, From Trust to Terror: The Onset of the Cold War, 1945-1950. (W W Norton, 1970);Louis J. Halle, The Cold War as History, (Harper & Row, 1967)(太田博訳『歴史としての冷戦――超大国時代の史的構造』(サイマル出版会, 1970年); Dean G. Acheson, Present at the Creation: My Years in the State Department.(Norton, 1969). (吉沢清次郎訳『アチソン回顧録(1・2)』恒文社, 1979年) ↩
William A. Williams, The Tragedy of American Diplomacy, (The World Publishing Company, 1958).(高橋章・松田武・有賀貞訳『アメリカ外交の悲劇』御茶の水書房, 1986年); Walter LaFeber, America, Russia, and the Cold War, 1945-1966. (Wiley, 1967); Lloyd C. Gardner, Architects of Illusion: Men and Ideas in American Foreign Policy, 1941-1949. (Quadrangle Books, 1970). ↩
Gabriel Kolko and Joyce Kolko, The Limits of Power: the World and United States Foreign Policy, 1945-1954.(Harper & Row, 1972). ↩
一例として、Robert J. Maddox, The New Left and the Origins of the Cold War. (Princeton University Press, 1973). ↩
John Lewis Gaddis “The Emerging Post-Revisionist Synthesis on the Origins of the Cold War”, Diplomatic History, 7:3 (1983). ↩
John Lewis Gaddis, The United States and the Origins of the Cold War, 1941-1947. (Columbia University Press, 1972) ↩
Bruce R. Kuniholm, The Origins of the Cold War in the Near East: Great Power Conflict and Diplomacy in Iran, Turkey, and Greece. (Princeton University Press, 1980);William Taubman, Stalin's American Policy: from Entente to Detente to Cold War. (Norton, 1982). ↩
Geir Lundestad, “Empire by Invitation? The United States and Western Europe, 1945-1952”, Journal of Peace Research, 23:3, (1986)。しばしばルンデスタッド自身、ポスト修正主義学派に分類されている。 ↩
Vojtěch Mastný, The Cold War and Soviet Insecurity: the Stalin Years. (Oxford University Press, 1996). (秋野豊・広瀬佳一訳『冷戦とは何だったのか――戦後政治史とスターリン』柏書房, 2000年);Vladislav Zubok, Constantine Pleshakov, Inside the Kremlin's Cold War: from Stalin to Khrushchev.(Harvard University Press, 1996). ↩
Dmitrii A. Volkogonov, Триумф и трагедия: политический портрет И.В. Сталина. (2. vols, Изд-во Агентства печати Новости , 1989)(生田真司訳『勝利と悲劇――スターリンの政治的肖像(上・下)』(朝日新聞社, 1992年) ↩
John Lewis Gaddis, We Now Know: Rethinking Cold War History, (Oxford University Press, 1997). (赤木完爾・斉藤祐介訳『歴史としての冷戦――力と平和の追求』慶應義塾大学出版会, 2004年)。ルンデスタッドは現在のギャディスを「新しい伝統学派」に属すると位置づけている。Geir Lundestad, “The Cold War Acoording to John Gaddis”. Cold War History 6:4 (2006). ↩
Anders Stephanson, “Rethinking Cold War History.”Review of International Studies, 24:1 (1998);藤原帰一「冷戦の終わりかた―合意による平和から力の平和へ」東京大学社会科学研究所編『20世紀システム(6)機能と変容』(東京大学出版会、1998年)。 ↩
Donald Cameron Watt, “Rethinking the Cold War: a Letter to the British Historian”. The Political Quarterly 49:4 (1978) ↩
Victor Rothwell, Britain and the Cold War, 1941-1947. (Cape, 1982);Anne Deighton, The Impossible Peace: Britain, the Division of Germany and the Origins of the Cold War. (Clarendon Press, 1990). ↩
John E. Haynes and Harvey Klehr, Venona: Decoding Soviet Espionage in America.(Yale University Press, 2000) (中西輝政監訳『ヴェノナ―解読されたソ連の暗号とスパイ活動』PHP研究所, 2010年/改訂版・扶桑社、2019年。ISBN 978-4-594-08307-6) Kenneth Osgood, Total Cold War: Eisenhower's Secret Propaganda Battle at Home and Abroad. (University of Kansas, 2006). ↩
以上のような解釈はノーマン・グレーブナー (Norman A. Graebner) のCold War Diplomacy (1962)、ルイス・ハレー (Louis J. Halle) の『歴史としての冷戦』(1967)、ハーバート・ファイスのFrom Trust to Terror (1970) などに代表されるものであったが、これはトルーマン政権の国務長官を務め、冷戦政策を展開したディーン・アチソンの回顧録の記述とも重なるものだった。その意味で伝統学派は、戦後米国の外交政策を擁護するニュアンスも帯びていたと評されている27。
続いて1960年代より登場した修正主義学派 (Revisionist) は、伝統学派の解釈と真っ向から対立し、冷戦の発生はソ連の行動よりも米国側の行動により大きな原因があったとする解釈を提示した。修正主義学派の最大の特徴は、経済的要因を重視する点にあった。1958年に『アメリカ外交の悲劇』を発表し、後に自らの勤務したウィスコンシン大学マディソン校で「ウィスコンシン学派」といわれる後進たちを育成したことで知られるウィリアム・A・ウィリアムズは、同書で建国以来米国指導者層が海外に市場を求める必要があるという「門戸開放」イデオロギーを奉じていたことに最大の原因があったとする主張を展開した。ウィリアムズは、第二次世界大戦で大きな被害を受けたソ連が伝統学派の考えるような脅威ではなかったと指摘した。そして、冷戦は米国が門戸開放イデオロギーのもと東欧地域の市場開放を執拗に要求し、ソ連に対して非妥協的態度を貫いたこと、これにソ連が反発したことによってもたらされたものであったとして、米国により大きな責任があったとする解釈を示した。ウィリアムズのテーゼは、彼が育成した外交史家である ウォルター・ラフィーバーの America, Russia, and the Cold War (1967)、ロイド・ガードナーの Architects of Illusion (1970) などによってより精緻に検討されることとなる28。
また、修正主義学派の研究はウィリアムズの研究にとどまらず、よりラディカルな展開も示した。ガブリエル・コルコとジョイス・コルコ (Joyce Kolko) は、The Limits of Power (1972) において、米国の対外政策のすべては資本主義体制の防衛を目的としており、世界規模で革命運動を弾圧するものであったとするマルクス主義に親和的な解釈を主張することとなった29。これらの研究は、ベトナム戦争の泥沼化により、従来の米国外交のあり方に対する不信が強まっていた60年代の時代状況下で、強い支持を受けることになった。当然ながらこれらの主張は、伝統学派からの反発と論争を巻き起こすこととなる。伝統学派からは修正主義学派の分析の実証性の乏しさ、経済要因の過大評価、米国の行動のみを実質的に分析している分析の偏重などが批判されることとなった30。
伝統学派・修正主義学派に続くポスト修正主義学派 (Post-Revisionist) は、先行する学派の議論の抱える問題点を克服し、さらにこの頃徐々に公開が進んだ西側政府の公文書を活用することで、歴史研究としての実証性を増す形で議論を展開することとなった。その先駆的著作とされているのが、ジョン・ルイス・ギャディスの The United States and the Origins of the Cold War (1972) である。ギャディスは一次資料に依拠した上で、正統学派の重視する安全保障要因、修正主義学派の重視する経済要因を同時に取り入れつつ、さらに国際政治構造、国内政治要因、政策決定プロセス(官僚政治)の影響などを盛り込んだ分析を提示した31。
ギャディスは、各国の疲弊によって「力の真空」が生じていたヨーロッパにおいて、米ソ両国が対峙するという状況下が生まれたこと、対峙の緊張の中で米ソが様々な要因から相手の行動・思惑に対する誤解を重ねたことが(本来両者の想定しなかった)冷戦を生んだとする解釈を示し、米ソいずれかの行動に冷戦発生の責任を求める過去の議論を排する主張を展開した32。ギャディスによるこのような新しい解釈は、ブルース・クニホルム (Bruce Kuniholm) のThe Origins of the Cold War in the Near East (1980)、ウィリアム・トーブマンの Stalin's American Policy (1982) などにも継承され、彼らの研究は「ポスト修正主義学派」として広く受け入れられることとなった33。 また、米国で進んだポスト修正主義学派の研究に対して、ヨーロッパにおける研究も呼応する動きを示した。ノルウェーのゲア・ルンデスタッドは、大戦後のヨーロッパの政治指導者たちがソ連の影響力を相殺するべく、ヨーロッパで米国がより積極的な役割を果たすことを希望していたと論じ、戦後の米国はいわばヨーロッパに「招かれた帝国 (Empire by Invitation)」であったとする解釈を示した34。
ソ連崩壊後の冷戦起源論争
冷戦の終結とソ連邦の崩壊により、過去西側で閲覧することが不可能だった東側文書の開示が進むこととなった。これは各種の研究・資料収集プロジェクトの始動をもたらすとともに、冷戦起源を巡る論争において伝統学派的な解釈の復活という、新しい展開を生むこととなった。開示された東側の資料群をもとに発表されたヴォイチェフ・マストニーの『冷戦とは何だったのか』(1996年)、ヴラディスラヴ・ズボクとコンスタンティン・プレシャコフ (Constantine Pleshakov) による Inside the Kremlin's Cold War (1996) は、ソ連中枢の情勢認識や政策決定を明らかにすることとなった。これらの著書は、ソ連がマルクス・レーニン主義のイデオロギーに基づき、自発的・主体的にヨーロッパへの拡張を図っていたとする解釈を示した35。その他、90年代には様々な資料を活用したドミトリー・ヴォルコゴーノフによるスターリンの伝記研究も発表され、スターリンのパラノイア的性質を指摘する書物として注目を浴びることとなった36。
冷戦史研究は、米国学界でその主要な論争が戦われてきたこともあり、主要な分析対象は米ソ関係であり、活用される資料の多くは米国政府の公文書であった。このような冷戦史研究の動きに対し、1978年にイギリスのドナルド・キャメロン・ワットは公開書簡で冷戦史研究の資料的偏重を指摘し、英国公文書などを活用して研究を深化させる必要を訴えた39。このような提言を反映する形で、イギリスではヴィクター・ロスウェル (Victor Rothwell) の Britain and the Cold War (1982)、アン・デイトン (Anne Deighton) の The Impposible Peace (1990) など、冷戦の発生に対してイギリスの果たした役割を分析する研究なども現れ、冷戦の発生にはソ連の脅威を米国より早く意識し行動したイギリス政府の果たした役割が少なくなかったことを明らかにした40。
イギリスを一つの典型として、他国についても「自国と冷戦(および冷戦に果たした役割)」について考察した研究も進められている。1998年よりノースカロライナ大学出版局 (University of North Carolina Press) が刊行している冷戦史研究のシリーズである The New Cold War History では、フランス、ソ連、中国、東西ドイツなど、様々な国家と冷戦の関係を考察した研究書が刊行されている41。おp
研究領域の拡大
冷戦終結を受けて米国でも安全保障に関わる各種の資料公開が進んだことで、冷戦期の安全保障やインテリジェンスなどについて新たに研究が進展している。一例としては、米英による暗号解読プロジェクトであったベノナの関係資料開示による諜報戦の実体解明が挙げられる。ジョン・ハインズ (John E. Haynes) とハーヴェイ・クレア (Harvey Klehr) の Venona (2000) は、冷戦期に米国内で活発な諜報活動が展開されていたことを明らかにした。また、ケネス・オズグッド (Kenneth Osgood) は Total Cold War (2006) において、USIA・CIAなどの資料を活用し、アイゼンハワー政権の展開していた(日本も対象に含む)宣伝・情報戦の実態を解明することとなった42。
以下の記述、例示する文献の選定については、Robert J. McMahon, The Cold War: A Very Short Introduction. (Oxford University Press, 2003); Michael Kort, The Colubia Guide to the Cold War. (Columbia University Press, 1998); 麻田貞雄「冷戦の起源と修正主義研究――アメリカの場合」『国際問題』第170号(1974年)などを参照している。 ↩
また、冷戦史研究は、第二次世界大戦中の戦時外交研究にも影響を与えることとなった。マーク・ストーラーは1940年代後半に始まる戦時外交研究が、冷戦起源論の解釈と密接な関係を持ったことを指摘している。Mark A. Stoler, "A Half Century of Conflict: Interpretations of U.S. World War II Diplomacy." in Michael Horgan (ed.), America in the World: the Historiography of American Foreign Relations since 1941, (Cambridge University Press, 1995). ↩
Norman A. Graebner, Cold War Diplomacy: American Foreign Policy, 1945-1960. (Van Nostrand, 1962); Herbert Feis, From Trust to Terror: The Onset of the Cold War, 1945-1950. (W W Norton, 1970);Louis J. Halle, The Cold War as History, (Harper & Row, 1967)(太田博訳『歴史としての冷戦――超大国時代の史的構造』(サイマル出版会, 1970年); Dean G. Acheson, Present at the Creation: My Years in the State Department.(Norton, 1969). (吉沢清次郎訳『アチソン回顧録(1・2)』恒文社, 1979年) ↩
William A. Williams, The Tragedy of American Diplomacy, (The World Publishing Company, 1958).(高橋章・松田武・有賀貞訳『アメリカ外交の悲劇』御茶の水書房, 1986年); Walter LaFeber, America, Russia, and the Cold War, 1945-1966. (Wiley, 1967); Lloyd C. Gardner, Architects of Illusion: Men and Ideas in American Foreign Policy, 1941-1949. (Quadrangle Books, 1970). ↩
Gabriel Kolko and Joyce Kolko, The Limits of Power: the World and United States Foreign Policy, 1945-1954.(Harper & Row, 1972). ↩
一例として、Robert J. Maddox, The New Left and the Origins of the Cold War. (Princeton University Press, 1973). ↩
John Lewis Gaddis “The Emerging Post-Revisionist Synthesis on the Origins of the Cold War”, Diplomatic History, 7:3 (1983). ↩
John Lewis Gaddis, The United States and the Origins of the Cold War, 1941-1947. (Columbia University Press, 1972) ↩
Bruce R. Kuniholm, The Origins of the Cold War in the Near East: Great Power Conflict and Diplomacy in Iran, Turkey, and Greece. (Princeton University Press, 1980);William Taubman, Stalin's American Policy: from Entente to Detente to Cold War. (Norton, 1982). ↩
Geir Lundestad, “Empire by Invitation? The United States and Western Europe, 1945-1952”, Journal of Peace Research, 23:3, (1986)。しばしばルンデスタッド自身、ポスト修正主義学派に分類されている。 ↩
Vojtěch Mastný, The Cold War and Soviet Insecurity: the Stalin Years. (Oxford University Press, 1996). (秋野豊・広瀬佳一訳『冷戦とは何だったのか――戦後政治史とスターリン』柏書房, 2000年);Vladislav Zubok, Constantine Pleshakov, Inside the Kremlin's Cold War: from Stalin to Khrushchev.(Harvard University Press, 1996). ↩
Dmitrii A. Volkogonov, Триумф и трагедия: политический портрет И.В. Сталина. (2. vols, Изд-во Агентства печати Новости , 1989)(生田真司訳『勝利と悲劇――スターリンの政治的肖像(上・下)』(朝日新聞社, 1992年) ↩
John Lewis Gaddis, We Now Know: Rethinking Cold War History, (Oxford University Press, 1997). (赤木完爾・斉藤祐介訳『歴史としての冷戦――力と平和の追求』慶應義塾大学出版会, 2004年)。ルンデスタッドは現在のギャディスを「新しい伝統学派」に属すると位置づけている。Geir Lundestad, “The Cold War Acoording to John Gaddis”. Cold War History 6:4 (2006). ↩
Anders Stephanson, “Rethinking Cold War History.”Review of International Studies, 24:1 (1998);藤原帰一「冷戦の終わりかた―合意による平和から力の平和へ」東京大学社会科学研究所編『20世紀システム(6)機能と変容』(東京大学出版会、1998年)。 ↩
Donald Cameron Watt, “Rethinking the Cold War: a Letter to the British Historian”. The Political Quarterly 49:4 (1978) ↩
Victor Rothwell, Britain and the Cold War, 1941-1947. (Cape, 1982);Anne Deighton, The Impossible Peace: Britain, the Division of Germany and the Origins of the Cold War. (Clarendon Press, 1990). ↩
John E. Haynes and Harvey Klehr, Venona: Decoding Soviet Espionage in America.(Yale University Press, 2000) (中西輝政監訳『ヴェノナ―解読されたソ連の暗号とスパイ活動』PHP研究所, 2010年/改訂版・扶桑社、2019年。ISBN 978-4-594-08307-6) Kenneth Osgood, Total Cold War: Eisenhower's Secret Propaganda Battle at Home and Abroad. (University of Kansas, 2006). ↩