ボリビア — OpenHistory
概要 国土面積は約110万平方キロメートルで、日本 の約3.3倍1 。アメリカ大陸 では8番目に、ラテンアメリカ では6番目に、世界的には27番目に大きい国であるが、上記のように領土を隣国に奪われる前はさらに広かった。ボリビアは太平洋岸領土の奪還を諦めておらず、チチカカ湖 や河川で活動するボリビア海軍 (兵力4800人)を保持しているほか、3月23日を海の日 (ボリビア) と定め、国際司法裁判所 に提訴(2018年に「チリは交渉に応じる義務はないが、善隣の精神に基づいた対話継続を妨げない」との判断が示された)するなどしている3 。
かつて「黄金の玉座に座る乞食」と形容されたように、豊かな天然資源を持つにもかかわらず実際には貧しい状態が続いており、現在もラテンアメリカ貧国の一つである。推定1万4000人の日系ボリビア人 がおり3 、日本人町もある4 。
国名 公用語 による正式名称は、スペイン語で Estado Plurinacional de Bolivia5 。公式のケチュア語表記は Bulibiya Suyu, 公式のアイマラ語表記は Buliwya である。通称は Bolivia [boˈliβia] ( 音声ファイル)。
2009年3月18日に、それまでのRepública de Bolivia(ボリビア共和国)から現国名へ変更した6 。
公式の英語表記は Plurinational State of Bolivia1 。通称は Bolivia [\bəˈliviə](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) ( 音声ファイル) となっている。
日本語の表記は、ボリビア多民族国 1 。通称は、ボリビア 。また、ボリヴィア とも表記される。また公式ではないが、漢字表記 としては、「暮利比亜」「保里備屋」「玻里非」「波力斐」などが使われる。漢字一文字の略称では「暮国」が使われることが多い。
歴史
先コロンブス期の発展
スペイン植民地時代
1532年:インカ皇帝アタワルパ がスペイン人コンキスタドール により処刑され、インカ帝国は崩壊。スペインによる植民地化 が始まる。
1535年:フランシスコ・ピサロ によりペルー副王領 が作られる。ディエゴ・デ・アルマグロ の遠征軍がアルト・ペルー を探検する。
1538年:ゴンサロ・ピサロ の軍がアルト・ペルーに遠征し、首長アヤビリ を降してこの地を植民地化する。
1540年:ラ・プラタ市(後のチュキサカ、チャルカス、スクレ)が建設される。
1545年:ポトシ 銀山発見。以降、現在のペルーを始めとする諸地域から多くのインディオ が鉱山のミタにより、ポトシで強制労働させられることになる。
1548年:アロンソ・デ・メンドーサにより、チチカカ湖の近くにヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス 市が建設される。
1559年:チャルカス(後のスクレ )に聴問庁(アウディエンシア)が設置される。このころから独立まで現ボリビアの地域は「アルト・ペルー (高地ペルー、上ペルー)」と呼ばれる。
1559年:東部のチャコ地方にサンタ・クルス・デ・ラ・シエラ が建設される。
1569年:ペルー副王フランシスコ・デ・トレドの統治が始まる。銀山採掘のためにポトシは人口十万人を超える都市として発展し(当時のロンドン より大きい)、銀採掘のためにミタ制によりかき集められたインディオは、過酷な労働と病気で次々に死んでいった。
18世紀:ポトシの銀が急速に枯渇。
1776年:アルト・ペルーがペルー副王領からリオ・デ・ラ・プラタ副王領 に転入され、以降、経済や司法が副王首府のブエノスアイレス に従属することになる。スペイン本国生まれ(ペニンスラール )の少数支配に反対して現地生まれのスペイン人(クリオーリョ )による反抗運動が起こった。
1778年:ブエノスアイレス港が正式に開港し、以降アルト・ペルーの海外貿易がブエノスアイレスを通じて行われるようになる。
1780年:ペルーでトゥパク・アマルー2世 が植民地政府に反乱を起こす。
1781年:ペルーのトゥパク・アマルー2世と呼応して、レパルティミエントやミタ制の重い負担の廃止を求めた、アイマラ人 のトゥパク・カタリ による反乱蜂起があったが、これは鎮圧された。鎮圧後、インディオに対する当局の弾圧は強まった。トゥパク・カタリは現在もボリビアの国民的英雄になっている。
解放戦争から独立まで
独立から混沌へ
1826年8月:アルト・ペルーはボリバルの名にちなんで「ボリビア」という国名になり、正式に独立。11月19日、ボリバル憲法を公布する。同時に首都も憲法上はチャルカスが改名されてスクレとなった。12月9日、スクレが終身大統領に就任。自由主義的な改革がなされるが、保守派の恨みを買い、ベネズエラ人 の支配を嫌う声も囁かれた。
1828年:スクレ大統領が侵攻してきたペルーのアグスティン・ガマーラ を打ち破るが、すぐにガマーラと結んだ国内保守派の陰謀により大統領を辞任し、キートヘ亡命 (実はサンタ・クルスも関わっていたといわれている)。
1829年:ボリバルの推薦により、5月25日、サンタ・クルスが大統領に就任する。サンタ・クルスはインカ帝国の後継者を自称し、大学、港湾、鉱山など国内の開発を続け、軍備を強化。保護貿易 を導入して国内の綿 産業を保護した。
1836年:大統領のアンドレス・デ・サンタ・クルスがアグスティン・ガマーラを破ってペルーを併合し、ペルー・ボリビア連合 を打ち立てる。連合は三州に分けられ、首都は南ペルー共和国 のタクナ に置かれた。
1839年:連合に脅威を抱いたチリ(既に死去していたディエゴ・ポルターレスの影響が大きい)とアルゼンチン のフアン・マヌエル・デ・ロサス 軍の攻撃により連合は崩壊。これによりサンタ・クルスが追放されるとボリビアは無政府状態 に陥った。
1841年:国内の混乱の中、サンタ・クルス派のホセ・バリビアン がペルーから侵攻してきたアグスティン・ガマーラをインガビの戦い で打ち破り、ガマーラは戦死。以降、ペルーとボリビアの合邦を望む動きはなくなった。
1847年:メスティーソの軍人マヌエル・イジドロ・ベルス の反乱によりバリビアンが亡命。
1848年:ベルスが大統領になる。ベルスは保護政策を採り、ポプリスモ 的な政策で大衆の支持を得る。
1857年:ホセ・マリア・リナレス によるボリビア初の文民政権成立。自由主義政策を採り、インディオを弾圧。このころ太平洋沿岸部のリトラル県 (アントファガスタ)で最初の硝石 鉱山が発見された。
1861年:クーデター によりリナレスが追放される。
1864年:それまで影で権力を握っていたベルスを暗殺したメスティーソの軍人マリアーノ・メルガレホ が政権につき、国内の混乱が頂点に達する。「野蛮カウディージョ 」と呼ばれたその手法により国内全ての階層が大打撃を受け、特にインディオは大弾圧され、共有地は解体されて奪われた。その後メルガレホはアントファガスタの硝石の採掘権をチリに売却した。
1867年:アヤクーチョ条約 の締結でアクレ県 がボリビアに帰属。
1871年:メルガレホ大統領が失脚。
1874年:バリビアン政権の永代所有禁止法によりインディオの共有地は壊滅的な被害を受け、以降インディオは鉱山やプランテーション の日雇い労働者となっていった。
1879年:アントファガスタをチリに占領され、さらにペルーと硝石問題に関して秘密同盟を組んでいたことが仇となり、チリがペルー・ボリビア両国へ宣戦布告して硝石戦争(太平洋戦争) となる。
1883年:ペルーとチリの間での、硝石戦争(太平洋戦争)の休戦。チリに対する事実上の敗北が決まる。
内陸国化と相次ぐ敗戦
1884年:チリとのバルパライソ条約 で銅 と硝石の鉱山が豊富な太平洋岸の領土(リトラル県)を割譲し、海への出口を持たない内陸国になる。保守党のグレゴリオ・パチェコが大統領になり、以降、鉱山主の支配が1899年まで続く。
1888年:このころから北部のアクレ県 にブラジル人 が侵入。
1899年:アクレ県に入植したブラジル人ゴム 農園労働者の反乱によりブラジルと紛争が発生(アクレ紛争 )。「アクレ共和国 」(1899年 - 1903年)として半独立状態となる。同時にこの年初の日本人移民が渡り、リベラルタ やトリニダ のゴム農園に就労した。錫鉱山主を基盤にするラパスの自由党が反乱を起こし、スクレ・ポトシの銀鉱山主を基盤にしていた保守党支配が終わった(連邦革命)。以降、自由党のホセ・パンドが大統領になり、以降、自由党の支配が1920年まで続く。
1900年:自由党派がラパスを拠点としていたため、議会、政府がスクレからラパスに移転し、ラパスが事実上の首都になる。
1903年:アクレ紛争に結果的に敗北し、ゴムの一大生産地だったアクレ県 をブラジルに割譲。
1904年:チリと正式に和平条約を結び、リトラル県の割譲を承認した。
1910年:錫 の生産量が1890年代の20倍に達する(「錫の世紀」)。
1914年:コチャバンバ の農園主らが基盤となって共和党が結成された。
1920年:クーデターにより自由党支配が終わる。
1921年:共和党のバウティスタ・サアベドラが大統領になる。在任中、アメリカ合衆国 企業スタンダード・オイル により東部低地地帯の油田開発が進む。
1926年:共和党のエルナンド・シレスが大統領になる。
1929年:世界恐慌 により大打撃を受け、社会不安が起こる。
1931年:共和党右派のダニエル・サラマンカが大統領になる。7月、パラグアイと国交断絶。
1932年:6月にサラマンカ政権、植民地時代からの領土問題を持ち出し、グランチャコ 地方とパラグアイ川 の通行権を求めてパラグアイに宣戦布告(チャコ戦争 )。
1935年:ボリビア領の東部油田地帯に侵攻したパラグアイと休戦。ボリビアの戦死者は6万5000人。ボリビア、パラグアイ共に財政は崩壊状態になった。
チャコ戦争後の不安定化
1936年:チャコ戦争後、白人寡頭支配層への批判が強まり、チャコ戦争の参謀総長だったダビッド・トロ・ルイロバ がクーデターにより大統領に就任。「軍事社会主義」(国家社会主義 )を掲げた。
1937年:スタンダード・オイルのボリビア国内事業を国有化。これは同時期の、メキシコ革命 のラサロ・カルデナス 政権による油田国有化に先立って、ラテンアメリカ で初の外資国有化政策となる。この社会主義的政策は支配層に嫌われ、同年保守派によりトロは追放され、保守派の支持によりチャコ戦争の英雄だったドイツ系のヘルマン・ブッシュ・ベセラ 中佐が大統領になるが、ヘルマン・ブッシュはすぐに保守派との戦いを始め、錫財閥との対決を図った。
1938年:チャコ戦争が正式に終結。ブエノスアイレス講和条約によりチャコ地方がパラグアイの領土となる。領土が最大時の約半分になる。この時期にヘルマン・ブッシュはナチス・ドイツ の躍進するヨーロッパ からユダヤ人 の受け入れを宣言した。
1939年:ヘルマン・ブッシュが暗殺される。
1941年:ビクトル・パス・エステンソロ やゲバラ・アルセ らにより、民族革命運動党 (MNR)結成。
1942年:カタピ鉱山の労働争議で鉱山労働者700人が虐殺される(カタピの虐殺 )。
1944年:フアン・レチンにより、鉱山労働者組合連合が結成される。
1951年:MNRが大統領選に勝利するも、クーデターにより軍部に政権を奪われ、MNRは非合法化され、このことに対する国民の不満が高まる。
ボリビア革命とその挫折
ゲバラの戦死から現在まで
1967年:バリエントス政権、アメリカ軍 の協力の下にゲバラ軍を追い詰め、鉱山労働者がゲバラに同調することを嫌ってサン・フアンの虐殺 を行う。そして農民の支持を得られなかったため、キューバ軍 特殊部隊 と共に潜入していたチェ・ゲバラがゲリラ戦の末、政府軍のアルフレド・オバンド・カンディア 将軍に捕らえられイゲラ で戦死。
1969年:バリエントス大統領が農民に金を配りに行く最中、謎のヘリコプター墜落事故で死亡。9月にかつてゲバラ討伐に当たったアルフレド・オバンド・カンディア 将軍がクーデターを起こして政権を握り、ペルーのベラスコ 将軍に影響を受けた「革命的国民主義」を掲げて国民主義知識人グループに誓った石油国有化政策を発表。ソ連 との国交が樹立される。
1970年:軍内左派のフアン・ホセ・トーレス 将軍が政権を掌握。アメリカ合衆国資本の鉱山の国有化や、国営の錫精錬 工場の建設がなされる。
1971年:8月にサンタクルス 出身の右派のウゴ・バンセル 将軍がアメリカ合衆国とブラジル の支援を受けたクーデターでトーレスを追放して政権を握る。外資を導入して経済の回復に努めるが、逆に赤字と債務が増加する。ランボルギーニ は前政権との間で結ばれたトラクター の購入に関する契約を破棄されたことで資金難に陥り、フィアット の傘下に入った。
1978年:アメリカ合衆国大統領 ジミー・カーター による「人権外交 」の影響を受けて、ボリビアでも民主化へのプログラムが進む。
1980年:ガルシア・メサ 将軍がクーデター「コカイン・クーデター」7 で政権を握るが、麻薬マフィアとの癒着、反対派への大弾圧により、国際的な批判を呼んだ。
1982年:MNRから民主人民連合 (Unidad Democrática y Popular : UDP)に分派したシレス・スアソが政権を執り、民政復帰。18年に及んだ軍政が終わる。このころから中南米全体を襲った中南米債務危機に陥り、約40億ドルにも上る莫大な対外債務に苦しみ、激しいハイパーインフレーション が発生。
1985年 第4次パス・エステンソロ政権成立するが、もうこの時には8000パーセントにも及ぶハイパーインフレ状態に陥っており、事実上通貨は紙切れ同然となってしまい、ボリビア経済は破綻状態に陥った。
1986年 ボリビア政府は苦渋の選択の末、ボリビアは100万分の1のデノミネーション で8,000%超のインフレを抑制。エステンセロは他にも新自由主義 的改革により、経済危機を乗り切る。
1990年代中ごろ: 天然ガス田 が発見された。
1993年:MNRのゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ 政権成立。初の先住民出身副大統領と共に新自由主義政策を採用した。
1997年:「メガ連立」により、第二次バンセル政権成立。コカの栽培の撲滅に全力を挙げる。
2000年:コチャバンバ水紛争
2001年:大規模な天然ガス田が発見される。コチャバンバ水紛争の影響と病気によりバンセル大統領が辞任。
2002年:8月にMNRから第二次サンチェス政権が成立するも、すぐに指導力不足が露呈。
2003年:ボリビアガス紛争 。10月にサンチェス大統領がアメリカ合衆国に亡命 。副大統領のカルロス・メサ が昇格。
2006年:ペルーのアレハンドロ・トレド に続いて南米大陸二人目の、ボリビアでは初の先住民出身となる大統領エボ・モラレス が「社会主義運動 」より就任した。
2007年:モラレス政権、ブラジルのペトロブラス などの外資を国有化し、公約通り天然ガスを国有化(収益は教育の充実や貧困層、高齢者支援に振り向けている)。
2009年3月:大農場主から接収した東部平原地方の土地の所有権を先住民に引き渡し。
2019年10月:大統領選 でモラレス大統領が再選されるも、不正選挙 疑惑から抗議デモが勃発。大統領辞任。
2020年11月:ルイス・アルセ 元経済財政大臣が大統領就任。
2024年6月26日:汚職容疑で解任されたスニガ元軍司令官らによるクーデター未遂が発生8 。
政治
行政 ボリビアの大統領 を元首 とする共和制 国家であり、国家元首である大統領は行政府の長 として実権を有する。任期5年。選挙は、大統領候補と副大統領候補がそれぞれペアとなり立候補し、国民は直接選挙により数組の中から1組を選出する。大統領が死亡や辞任により欠ける場合は、副大統領が大統領に昇格し、残りの任期を務める。首相職はなく、副大統領が閣議を主宰する。
建国以来、政治的に非常に不安定なため、クーデターが起こりやすい政治文化があり、過去100回以上のクーデターが起きている。
議会 国会にあたる多民族立法議会 は両院制 。上院は全36議席で、各県から4名ずつ比例代表制 選挙により選出される。代議院(下院)は、全130議席で、そのうち77議席は小選挙区 から選出、53議席は比例代表制で選出されるが、全体の議席配分は比例代表制によって決まる(小選挙区比例代表併用制 。ただし 超過議席 が出ないようになっている9 ため、連用制 に近い)。両院とも議員の任期は5年で、同日選挙である。
直近の総選挙は、2020年10月18日に行われた。政党別の獲得議席数は、以下の通り10 。
社会主義運動 (MAS) 73
市民共同体 (CC) 41
政党連合「私たちは信じる」 16
近年の政治情勢 2006年7月2日、制憲議会選挙が行われた。定数は255議席。与党・社会主義運動(MAS)が137議席を確保した。第2党は、野党中道右派・民主社会勢力(PODEMOS)で60議席を占めた。同時に実施された地方自治権の拡充の賛否を問う国民投票では、与党の主張が半数を占める。新憲法草案は、1年以内に3分の2以上の賛成で提案され、国民投票に付される。
ボリビアの181周年独立記念日の2006年8月6日に、制憲議会の開会式が行われた。同議会発足を祝って、36の先住民による約3万人のパレードも実施された。
就任2年目になるエボ・モラレス 大統領は、2007年1月22日、国会で年次報告を行い、新憲法を制定する重要性を改めて強調した。新憲法には、水 を含む資源主権や先住民の権利確立、教育行政に対する国の責任などが盛り込まれる予定である。制憲議会は2006年8月、発足したが、議事運営方法、地方自治、首都制定などを巡って与野党や地方間の対立が続いている。与党・社会主義運動党が定数255のうち142議席を占めている。
2009年1月25日、先住民の権利拡大や大統領の再選を可能とする新憲法案が60%あまりの賛成を得て承認された。2009年12月6日、大統領選挙が行われ、現職のモラレスが6割を超える得票11 で勝利した。
2014年10月29日、モラレスが大統領選で3度目の当選を果たし、翌2015年1月に第3期モラレス政権が発足した12 13 。
2019年10月20日、モラレスは大統領選で4度目の当選を果たしたものの14 、開票結果の不正操作疑惑が浮上し15 、これに反発した対立候補の支持者による抗議活動が発生し、国内は混乱。国軍・国家警察などから辞職勧告を突き付けられたモラレスは11月10日に大統領辞任を表明し、11月12日にメキシコへ亡命。これは事実上のクーデターとされる。
モラレスの辞任表明を受け、憲法裁判所はヘアニネ・アニェス 上院副議長を暫定大統領に選出し、アニェスは就任宣誓を行った16 17 18 。これに対し、モラレス政権を独裁として批判してきたアメリカ合衆国やアメリカ寄りの右派政権が統治するブラジル、コロンビア 、エクアドル はアニェスを暫定大統領として承認した19 20 。大統領選挙の仕切り直しは、2020年5月に予定されていたが、新型コロナウイルス の感染拡大に伴い、同年10月18日に延期して実施され21 、モラレス派のルイス・アルセ・カタコラ が当選した22 。2021年3月13日、前暫定大統領のアニェスが、2019年の「クーデター」に関与した疑いなどで逮捕された23 。
軍事 現在のボリビアは内陸国であるが、現在でも海軍と呼称されている。大西洋やチチカカ湖 で演習を行う他、河川が国境となっている北部・東部のブラジルやパラグアイでの国境付近で国境警備の任務に就いている。
地方行政区画 ボリビアには、9つの県(departomentos)が設けられている。カッコ内は、県庁所在地。
主要都市
地理 一つは、ペルーとの国境であるチチカカ湖 周辺から国土を南に貫くアンデス山脈地域で国土面積の約29%に及び、その面積は32万平方キロ余りで、標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つ。ラパス 市やオルロ 市にかけて標高4000mくらいの広大な平らな土地が広がり、この地域は**アルティプラーノ **と呼ばれる。アンデス地域にはオクシデンタル山脈 とオリエンタル山脈 の二つの山脈がある。 さらにコルディリェラ・オクシデンタル(西アンデス山脈)、コルディリェラ・オリエンタル(コルディリェラ・レアル、東アンデス山脈)、アルティプラノと呼ばれる高原よりなる25 。
南北の長さはおよそ620キロメートル、中央部の東西の長さ幅は30キロメートル。火山 と台地 が入り交じっている。激しく侵食 され、険しい起伏と狭い谷がある。雨季 には渓谷で氾濫が起き、雨季以外は乾燥している。山麓にはモレーン (氷堆石)がある。北端はペルーと南端はアルゼンチンと国境をなす。南部一帯は5000メートルを超す火山が連なる。ボリビア最高峰サハマ山 (6542メートルの火山)は北部のオルロ県 にある。
国土の北東側から東側は国土の約62%を占めるアマゾン の熱帯 地域であり、リャノ (llano )またはオリエンテ(oriente )と呼ばれる。リャノはさらに、熱帯雨林 (いわゆるジャングル)が広がる北側と、乾燥しているグランチャコ 地方(パラグアイ 国境近く)とに分かれる。サンタクルス県の東部にはチキタノ山塊が存在する26 。
国土の約9%を占めるコチャバンバ県 やラパス県 ユンガス地方 などの、アンデス地帯とアマゾン地帯の中間に位置する場所はバジェ (valle ) 地域と呼ばれ、温暖で果樹栽培などに適した気候である。この地域ではインディヘナ 農民によるコカ の栽培も盛んである。 ユンガスは標高3300mから2500mの高地ユンガス、2500mから1500mの中央ユンガス、1500mから600mの低地ユンガスに分類される。 このユンガスにある保養地コロイコ とラパス市を結ぶ道路は、毎年多くの死者を出し、「デス・ロード 」と呼ばれていた。
ボリビアはかつて太平洋に面する海岸線も領土に保有していたが、1884年に太平洋戦争 で敗れ、 バルパライソ条約 と、1904年の正式な講和によりそれを全て失った。ボリビアでは3月23日を「海の日 3 (día del mar)」として、当時ボリビア領だったカラマ でチリ軍への降伏を拒否して戦死した英雄エドゥアルド・アバロアの像があるラパスで式典を開き3 「海を取り戻そうキャンペーン」を展開している。
ボリビアの海運での輸出入貨物はチリの港で陸揚げされている。チリの港にはボリビアが管理する保税上屋 (TRANSIT SHED)と呼ばれるタックス・ヘイヴン があり、ここからチリの通関 を行わないままボリビア国境へ運ばれ、ここで初めてボリビアの税関が通関を行う。
経済
スズ、鉛 などの鉱山物資を産出する。
2006年1月、天然ガス事業を国有化する発表があった。
2020年代、人口1100万人のうち50万人以上が公務員である27 。
鉱業 植民地時代から19世紀末までは金と銀が、20世紀以降は錫 がボリビア経済の主軸であった。ホッホシルト が錫開発の主役であった。 石油 の輸出も盛んであり、1930年代に東部で油田が発見されたことがチャコ戦争の一因ともなった。2001年に世界最大規模の天然ガス 田が発見され、ボリビア経済再生の頼み綱となっている。
南部のウユニ塩原 には推定540万トンのリチウム (世界埋蔵量の半分以上)が埋蔵されていると見積もられているが、ボリビア政府にはそれを抽出する技術も資本も持ち合わせていない、という事情がある。
農業 1952年のボリビア革命以来、サンタクルスを中心とした東部の低地地帯で開墾、農業開発が進み、近年大豆 、サトウキビ 、綿花 、コーヒー 、バナナ などの大規模な輸出用農業が盛んになっており、北部の熱帯地域ではカカオ などが産出する。一方で、西部のアルティプラーノではインカ帝国以来の零細小農業やコカ 栽培などが行われている。
農地改革 1958年、第一次農地改革が行われたが、2006年現在では、分配された土地の95%に当たる約3200万ヘクタールが企業の手に渡っている。 2006年5月16日、ガルシア副大統領より「第二次農地改革」計画案が発表された。「生産的でない」土地及び国有地を農民や先住民に分配するというものである。
観光 主な観光地としてはティワナクの遺跡や、チチカカ湖 、ウユニ塩原 、ポトシ の鉱山、チェ・ゲバラの戦死したイゲラ などがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、カナダ 、アメリカ合衆国、日本 、韓国 、イスラエル といった先進国に加えて、南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。アンデス山脈の高山が各国から登山家 を引き寄せている。また、アマゾンのツアーを提供する多くのツアー会社もある。
国民 直近の2011年の国勢調査によると、ボリビアの総人口は1002万7254人である28 。
国際連合児童基金 (ユニセフ)の発表によると、5歳以下で死亡する子供 の比率は77/1,000。1歳以下で死亡する子供の比率は60/1,000。平均寿命 は女性64歳、男性61歳、合計63歳。
民族・出自 先住民としては南東部のチャコ地方にはグアラニー族 も若干居住しており、数を示すとケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、チキタノ 人が18万人、グアラニー人が12万5000人程になる。
メスティーソのうち、伝統的な衣装を身に付けている女性はチョリータ と呼ばれる。彼女らの格好はボリビアを特徴づける習俗となっている。
言語 言語はスペイン語 、ケチュア語 、アイマラ語 、グアラニー語 が公用語 である。田舎ではケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が用いられているが、スペイン語を全く解さない人は近年少なくなってきている。都市部ではスペイン語以外の言葉を話せない人の方が多い。
宗教
教育
教育への支出 2020年時点でGDPに占める比率は9.8%であり、2011年から徐々に上昇している30 。
15歳以上の識字率 2020年時点で94%であり31 、ラテンアメリカ並びにカリブ諸国の識字率 94%と比較すると概ね平均的な識字率である32 。ボリビアでの非識字率は2001年の13.28%から2014年に3.8%に下がっている。これは2006年に発足したモラレス政権が非識字克服を最優先課題の一つに掲げ、キューバの教育者が開発した識字メソッド(Yo, sí puedo )の活用とベネズエラからの資金援助によって、読み書きできない国民へ無償の教育を提供した影響が大きい33 。
教育段階 4〜5歳を対象とした2年間の就学前教育から始まり、6年間の初等教育、6年間の中等教育、高等教育が行われる。義務教育は初等教育から中等教育までの14年間であり、学年暦は2月から始まり、11月に終わる30 。高等教育は大学やその他の高等教育機関で行われる。大学では,学士課程(4〜6年)、修士課程(2年)、博士課程(4年)が置かれる。その他の高等教育機関では,上級技術者ディプロマを取得する 3〜4年の課程などが置かれる。高等教育までは全ての公教育が無償となっている34 。
学校の実態 一般的に同じ校舎内で午前に小学校の授業,午後は中学・高校その他の学校の授業,夜は夜間学校と技術専門学校などの授業が行われている35 。また、学校施設不足などの理由から1つの校舎を別の複数の学校が共有することもある。
義務教育後の教育としては私立高校からは大学へ進学する者が多い。大学は入学が簡単である一方、卒業は困難である。公立高校からは経済的理由により働くか公立大学へ進学する者が多い。
私立校は小・中・高までの一貫教育を行っており、公立校よりも教師、設備に優れ、教育水準も高い。公立校は授業料が無料であるが、ほとんどの学校で教科書をコピーして使っており、教職員のストライキが多く教育課程に支障が出る場合がある36 。
教育の効果 独立機関である教育の質研究所(OPCE)の2010年の調査によると、初等教育では国語よりも算数の能力が低い児童が多いことが確認された。また、中等教育では初等教育と同様に算数の能力の低さが確認された。特に開発が遅れているとされている県において能力が低い生徒の割合が多く、県ごとに能力のばらつきが大きいことが確認されている37 。算数能力が低い理由として、授業が教師主導型で練習問題を解かせるだけであり生徒の自主性を重要視していないことが指摘されている38 。
保健
平均寿命 2020年時点で男性69歳、女性75歳、合計72歳である39 。
主な死因 2019年時点で第1に虚血性心疾患、第2に下気道感染症、第3に脳卒中である40 。
寿命に大きな影響を与えている要因として栄養失調、肥満がある41 。
健康への支出 2019年時点でGDPに占める比率は6.92%であり42 、2000年から徐々に上昇している。
医療
医療施設 公共の保健医療施設はサービスレベルに応じて3段階に分けられている。第1次レベルは初期治療などを提供する診療所、保健センターが該当する。第2次レベルは基本的専門医療を提供する県病院が該当する。第3次レベルは最も高度な医療を提供する総合・専門病院が該当する43 。
保健政策 妊産婦死亡率や5歳未満の乳幼児の死亡率が高く、母子保健が劣悪な状況であることから、1996年7月に「国家母子保健政策」が政府によって策定され、妊産婦および5歳未満の乳幼児が無料で診療を受けられるようになった44 。2003年には国家母子保険はユニバーサル母子保険と名称が変更され、社会保険や民間の施設でも適用されるようになった45 。妊産婦死亡率や幼児死亡率は近年(2019)の経済成長によって減少しつつあるが、依然として人口1万人あたりの医師数は中南米域内の平均を大きく下回っており、病院の数・人材・機材・薬品も不足している状態が長く続き、栄養失調などの問題が残っていた。こうした状況を踏まえ、政府は2019年3月に全国統一医療システムを導入し、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの拡大に取り組んでいる。具体的には全国民の保健サービスへのアクセスを目標とし、妊産婦死亡率を現状より50%削減し、幼児死亡率については現状より30%削減するとしている46 。
医療体制の課題 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ拡大の政策によって医療設備の数は増加しており、新しく導入された国民皆保険により、国民の51%が無料診療を受けられるようになった一方で、患者数の急増に病院のインフラが追いつかず、十分な医療サービスを提供できない病院もある。そのため、より多くの機材や医師を病院に配置することが求められている46 。
社会福祉
年金 2008年2月1日、前年の11月に成立した新年金法が施行され、無年金者への「尊厳ある年金 」の支給が始まった。この政策は、資源主権の確立を通じて様々な社会政策を実施しているベネズエラ や、無年金救済制度をつくったアルゼンチン などの経験に学んだものである。財政的裏付けは、天然ガス国有化による国家収入の増大である。60歳以上の無年金者は年2,400ボリビアーノス (約35,500円、最低賃金の4.6か月分)、何らかの国の年金を既に受けている人は1,800ボリビアーノスが支給される。約70万人が受給する見通しである。
文化 例えば、アンデス地方 を特徴づける文化として世界的に有名なのはフォルクローレ であるが、その曲調、使用する楽器 などはボリビアとペルーでほぼ同じであり、これはアルゼンチン 北西部とも共通する。スペイン統治時代に広まった伝統的な衣装を着続けるチョリータ と呼ばれる女性たちも、両国に共通する特徴的な習俗である。
アンデス地域とアマゾン地域はその気候の大きな違いや町の起こりの経緯の違いにより、互いに文化的な差異を感じているようである。アンデス地方の町の多くはインカ帝国時代の集落がペルー副王領時代に町として興されたものであるのに対し、アマゾン地域の町は植民地時代にはパラグアイ方面から開拓されていったものが多いが、スペイン当局にはほとんど手をつけられず、グランチャコ地方の領有問題なども放置されていた。東部の主要都市サンタクルスが開発されたのも第二次世界大戦前後からである。 俗語では、アンデス地域またはそこに住む人々はコージャ と呼ばれ、アマゾン地域またはそこに住む人々はカンバ と呼ばれる。
1998年以降、アメリカの指導により、政府はコカ撲滅作戦に取り組んでいるが、国民の6割がコカ常用者とされ、アメリカなどへの密輸も盛んに行われている47 。
食文化 第二次世界大戦 前後にドイツなどから逃れてきた人たち(戦前はユダヤ人 、戦後はナチス の残党)がビール を広めた結果、ラパス では「パセーニャ (Paceña)」、オルロでは「ウァリ (Huari)」、コチャバンバ では「タキーニャ (Taquiña)」、サンタクルス では「ドゥカル (Ducal)」など、それぞれの都市を代表するビールの銘柄がある。
ボリビア人 のチチャにかける情熱は強く、チチャを侮辱したイギリスの公使が、暴君メルガレホによりロバ の背中に裸にしてくくりつけられ、スクレの市中を引き回しにされた事件がある。また、アルゼンチンに近いタリハ はボリビア屈指のワイン 産地であり、ワインも好まれている。
文学 ボリビア文学はインカ帝国時代の先住民の口承文学に根を持ち、植民地期にもバルトロメ・アルサンス、パソス・カンキ、フアン・ワルパリマチなどの作家がいた。19世紀の独立後、ロマン主義 の時代にはマリア・ホセファ・ムヒア、リカルド・ホセ・ブスタマンテ、アデラ・サムディオなどがいる。
音楽 『我が祖国ボリビア』というクエッカの曲は第2国歌と呼ばれている。ペルーやチリなど周辺国のフォルクローレにも使われるチャランゴはボリビア起源の楽器である。ポトシやその近くのチュキサカ の田舎町などには、スペイン侵略以前の習俗を色濃く残しているものと思われる、特異な歌や踊りをいまでも見ることができる。ノルテ・ポトシのプトゥクンという歌や、タラブコ の祭りなどがその例である。
映画
世界遺産
祝祭日
スポーツ
著名な出身者
参考文献
眞鍋周三編著 『ボリビアを知るための68章』明石書店 、東京 〈エリア・スタディーズ〉、2006年4月。ISBN 4-7503-2300-4。
眞鍋周三編著『ボリビアを知るための73章』第2版 明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年 ISBN 978-4-7503-3763-0
脚注
4.
政治
ボリビア多民族国
Estado Plurinacional de Bolivia (スペイン語)
Bulibiya Suyu (ケチュア語)
Tetã Volívia (グアラニー語)
Buliwiya Mama Llaqta (アイマラ語)
国の標語:La unión es la fuerza!
(スペイン語 : 統一は力なり)
国歌 :Himno Nacional de Bolivia (スペイン語)
ボリビアの国歌
ボリビア多民族国 1 (ボリビアたみんぞくこく、西 : Estado Plurinacional de Bolivia、ケチュア語 : Buliwiya Mama Llaqta、アイマラ語 : Bulibiya Suyu)、通称ボリビア は、南アメリカ大陸 西部にある立憲 共和制国家 。憲法 上の首都 はスクレ だが、ラパス が実質的な首都機能を担っており1 、議会 をはじめとした政府 主要機関が所在する。ラパスは標高 3600メートル1 で、世界で最も高所にある首都となっている2 。
太平洋戦争 で敗れて に 海岸部の を奪われて以降は となっており 、南西はチリ、北西は 、北東は 、南東は 、南は と を接する。
概要 国土面積は約110万平方キロメートルで、日本 の約3.3倍1 。アメリカ大陸 では8番目に、ラテンアメリカ では6番目に、世界的には27番目に大きい国であるが、上記のように領土を隣国に奪われる前はさらに広かった。ボリビアは太平洋岸領土の奪還を諦めておらず、チチカカ湖 や河川で活動するボリビア海軍 (兵力4800人)を保持しているほか、3月23日を海の日 (ボリビア) と定め、国際司法裁判所 に提訴(2018年に「チリは交渉に応じる義務はないが、善隣の精神に基づいた対話継続を妨げない」との判断が示された)するなどしている3 。
かつて「黄金の玉座に座る乞食」と形容されたように、豊かな天然資源を持つにもかかわらず実際には貧しい状態が続いており、現在もラテンアメリカ貧国の一つである。推定1万4000人の日系ボリビア人 がおり3 、日本人町もある4 。
国名 公用語 による正式名称は、スペイン語で Estado Plurinacional de Bolivia5 。公式のケチュア語表記は Bulibiya Suyu, 公式のアイマラ語表記は Buliwya である。通称は Bolivia [boˈliβia] ( 音声ファイル)。
2009年3月18日に、それまでのRepública de Bolivia(ボリビア共和国)から現国名へ変更した6 。
公式の英語表記は Plurinational State of Bolivia1 。通称は Bolivia [\bəˈliviə](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) ( 音声ファイル) となっている。
日本語の表記は、ボリビア多民族国 1 。通称は、ボリビア 。また、ボリヴィア とも表記される。また公式ではないが、漢字表記 としては、「暮利比亜」「保里備屋」「玻里非」「波力斐」などが使われる。漢字一文字の略称では「暮国」が使われることが多い。
歴史
先コロンブス期の発展
スペイン植民地時代
1532年:インカ皇帝アタワルパ がスペイン人コンキスタドール により処刑され、インカ帝国は崩壊。スペインによる植民地化 が始まる。
1535年:フランシスコ・ピサロ によりペルー副王領 が作られる。ディエゴ・デ・アルマグロ の遠征軍がアルト・ペルー を探検する。
1538年:ゴンサロ・ピサロ の軍がアルト・ペルーに遠征し、首長アヤビリ を降してこの地を植民地化する。
1540年:ラ・プラタ市(後のチュキサカ、チャルカス、スクレ)が建設される。
1545年:ポトシ 銀山発見。以降、現在のペルーを始めとする諸地域から多くのインディオ が鉱山のミタにより、ポトシで強制労働させられることになる。
1548年:アロンソ・デ・メンドーサにより、チチカカ湖の近くにヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス 市が建設される。
1559年:チャルカス(後のスクレ )に聴問庁(アウディエンシア)が設置される。このころから独立まで現ボリビアの地域は「アルト・ペルー (高地ペルー、上ペルー)」と呼ばれる。
1559年:東部のチャコ地方にサンタ・クルス・デ・ラ・シエラ が建設される。
1569年:ペルー副王フランシスコ・デ・トレドの統治が始まる。銀山採掘のためにポトシは人口十万人を超える都市として発展し(当時のロンドン より大きい)、銀採掘のためにミタ制によりかき集められたインディオは、過酷な労働と病気で次々に死んでいった。
18世紀:ポトシの銀が急速に枯渇。
1776年:アルト・ペルーがペルー副王領からリオ・デ・ラ・プラタ副王領 に転入され、以降、経済や司法が副王首府のブエノスアイレス に従属することになる。スペイン本国生まれ(ペニンスラール )の少数支配に反対して現地生まれのスペイン人(クリオーリョ )による反抗運動が起こった。
1778年:ブエノスアイレス港が正式に開港し、以降アルト・ペルーの海外貿易がブエノスアイレスを通じて行われるようになる。
1780年:ペルーでトゥパク・アマルー2世 が植民地政府に反乱を起こす。
1781年:ペルーのトゥパク・アマルー2世と呼応して、レパルティミエントやミタ制の重い負担の廃止を求めた、アイマラ人 のトゥパク・カタリ による反乱蜂起があったが、これは鎮圧された。鎮圧後、インディオに対する当局の弾圧は強まった。トゥパク・カタリは現在もボリビアの国民的英雄になっている。
解放戦争から独立まで
独立から混沌へ
1826年8月:アルト・ペルーはボリバルの名にちなんで「ボリビア」という国名になり、正式に独立。11月19日、ボリバル憲法を公布する。同時に首都も憲法上はチャルカスが改名されてスクレとなった。12月9日、スクレが終身大統領に就任。自由主義的な改革がなされるが、保守派の恨みを買い、ベネズエラ人 の支配を嫌う声も囁かれた。
1828年:スクレ大統領が侵攻してきたペルーのアグスティン・ガマーラ を打ち破るが、すぐにガマーラと結んだ国内保守派の陰謀により大統領を辞任し、キートヘ亡命 (実はサンタ・クルスも関わっていたといわれている)。
1829年:ボリバルの推薦により、5月25日、サンタ・クルスが大統領に就任する。サンタ・クルスはインカ帝国の後継者を自称し、大学、港湾、鉱山など国内の開発を続け、軍備を強化。保護貿易 を導入して国内の綿 産業を保護した。
1836年:大統領のアンドレス・デ・サンタ・クルスがアグスティン・ガマーラを破ってペルーを併合し、ペルー・ボリビア連合 を打ち立てる。連合は三州に分けられ、首都は南ペルー共和国 のタクナ に置かれた。
1839年:連合に脅威を抱いたチリ(既に死去していたディエゴ・ポルターレスの影響が大きい)とアルゼンチン のフアン・マヌエル・デ・ロサス 軍の攻撃により連合は崩壊。これによりサンタ・クルスが追放されるとボリビアは無政府状態 に陥った。
1841年:国内の混乱の中、サンタ・クルス派のホセ・バリビアン がペルーから侵攻してきたアグスティン・ガマーラをインガビの戦い で打ち破り、ガマーラは戦死。以降、ペルーとボリビアの合邦を望む動きはなくなった。
1847年:メスティーソの軍人マヌエル・イジドロ・ベルス の反乱によりバリビアンが亡命。
1848年:ベルスが大統領になる。ベルスは保護政策を採り、ポプリスモ 的な政策で大衆の支持を得る。
1857年:ホセ・マリア・リナレス によるボリビア初の文民政権成立。自由主義政策を採り、インディオを弾圧。このころ太平洋沿岸部のリトラル県 (アントファガスタ)で最初の硝石 鉱山が発見された。
1861年:クーデター によりリナレスが追放される。
1864年:それまで影で権力を握っていたベルスを暗殺したメスティーソの軍人マリアーノ・メルガレホ が政権につき、国内の混乱が頂点に達する。「野蛮カウディージョ 」と呼ばれたその手法により国内全ての階層が大打撃を受け、特にインディオは大弾圧され、共有地は解体されて奪われた。その後メルガレホはアントファガスタの硝石の採掘権をチリに売却した。
1867年:アヤクーチョ条約 の締結でアクレ県 がボリビアに帰属。
1871年:メルガレホ大統領が失脚。
1874年:バリビアン政権の永代所有禁止法によりインディオの共有地は壊滅的な被害を受け、以降インディオは鉱山やプランテーション の日雇い労働者となっていった。
1879年:アントファガスタをチリに占領され、さらにペルーと硝石問題に関して秘密同盟を組んでいたことが仇となり、チリがペルー・ボリビア両国へ宣戦布告して硝石戦争(太平洋戦争) となる。
1883年:ペルーとチリの間での、硝石戦争(太平洋戦争)の休戦。チリに対する事実上の敗北が決まる。
内陸国化と相次ぐ敗戦
1884年:チリとのバルパライソ条約 で銅 と硝石の鉱山が豊富な太平洋岸の領土(リトラル県)を割譲し、海への出口を持たない内陸国になる。保守党のグレゴリオ・パチェコが大統領になり、以降、鉱山主の支配が1899年まで続く。
1888年:このころから北部のアクレ県 にブラジル人 が侵入。
1899年:アクレ県に入植したブラジル人ゴム 農園労働者の反乱によりブラジルと紛争が発生(アクレ紛争 )。「アクレ共和国 」(1899年 - 1903年)として半独立状態となる。同時にこの年初の日本人移民が渡り、リベラルタ やトリニダ のゴム農園に就労した。錫鉱山主を基盤にするラパスの自由党が反乱を起こし、スクレ・ポトシの銀鉱山主を基盤にしていた保守党支配が終わった(連邦革命)。以降、自由党のホセ・パンドが大統領になり、以降、自由党の支配が1920年まで続く。
1900年:自由党派がラパスを拠点としていたため、議会、政府がスクレからラパスに移転し、ラパスが事実上の首都になる。
1903年:アクレ紛争に結果的に敗北し、ゴムの一大生産地だったアクレ県 をブラジルに割譲。
1904年:チリと正式に和平条約を結び、リトラル県の割譲を承認した。
1910年:錫 の生産量が1890年代の20倍に達する(「錫の世紀」)。
1914年:コチャバンバ の農園主らが基盤となって共和党が結成された。
1920年:クーデターにより自由党支配が終わる。
1921年:共和党のバウティスタ・サアベドラが大統領になる。在任中、アメリカ合衆国 企業スタンダード・オイル により東部低地地帯の油田開発が進む。
1926年:共和党のエルナンド・シレスが大統領になる。
1929年:世界恐慌 により大打撃を受け、社会不安が起こる。
1931年:共和党右派のダニエル・サラマンカが大統領になる。7月、パラグアイと国交断絶。
1932年:6月にサラマンカ政権、植民地時代からの領土問題を持ち出し、グランチャコ 地方とパラグアイ川 の通行権を求めてパラグアイに宣戦布告(チャコ戦争 )。
1935年:ボリビア領の東部油田地帯に侵攻したパラグアイと休戦。ボリビアの戦死者は6万5000人。ボリビア、パラグアイ共に財政は崩壊状態になった。
チャコ戦争後の不安定化
1936年:チャコ戦争後、白人寡頭支配層への批判が強まり、チャコ戦争の参謀総長だったダビッド・トロ・ルイロバ がクーデターにより大統領に就任。「軍事社会主義」(国家社会主義 )を掲げた。
1937年:スタンダード・オイルのボリビア国内事業を国有化。これは同時期の、メキシコ革命 のラサロ・カルデナス 政権による油田国有化に先立って、ラテンアメリカ で初の外資国有化政策となる。この社会主義的政策は支配層に嫌われ、同年保守派によりトロは追放され、保守派の支持によりチャコ戦争の英雄だったドイツ系のヘルマン・ブッシュ・ベセラ 中佐が大統領になるが、ヘルマン・ブッシュはすぐに保守派との戦いを始め、錫財閥との対決を図った。
1938年:チャコ戦争が正式に終結。ブエノスアイレス講和条約によりチャコ地方がパラグアイの領土となる。領土が最大時の約半分になる。この時期にヘルマン・ブッシュはナチス・ドイツ の躍進するヨーロッパ からユダヤ人 の受け入れを宣言した。
1939年:ヘルマン・ブッシュが暗殺される。
1941年:ビクトル・パス・エステンソロ やゲバラ・アルセ らにより、民族革命運動党 (MNR)結成。
1942年:カタピ鉱山の労働争議で鉱山労働者700人が虐殺される(カタピの虐殺 )。
1944年:フアン・レチンにより、鉱山労働者組合連合が結成される。
1951年:MNRが大統領選に勝利するも、クーデターにより軍部に政権を奪われ、MNRは非合法化され、このことに対する国民の不満が高まる。
ボリビア革命とその挫折
ゲバラの戦死から現在まで
1967年:バリエントス政権、アメリカ軍 の協力の下にゲバラ軍を追い詰め、鉱山労働者がゲバラに同調することを嫌ってサン・フアンの虐殺 を行う。そして農民の支持を得られなかったため、キューバ軍 特殊部隊 と共に潜入していたチェ・ゲバラがゲリラ戦の末、政府軍のアルフレド・オバンド・カンディア 将軍に捕らえられイゲラ で戦死。
1969年:バリエントス大統領が農民に金を配りに行く最中、謎のヘリコプター墜落事故で死亡。9月にかつてゲバラ討伐に当たったアルフレド・オバンド・カンディア 将軍がクーデターを起こして政権を握り、ペルーのベラスコ 将軍に影響を受けた「革命的国民主義」を掲げて国民主義知識人グループに誓った石油国有化政策を発表。ソ連 との国交が樹立される。
1970年:軍内左派のフアン・ホセ・トーレス 将軍が政権を掌握。アメリカ合衆国資本の鉱山の国有化や、国営の錫精錬 工場の建設がなされる。
1971年:8月にサンタクルス 出身の右派のウゴ・バンセル 将軍がアメリカ合衆国とブラジル の支援を受けたクーデターでトーレスを追放して政権を握る。外資を導入して経済の回復に努めるが、逆に赤字と債務が増加する。ランボルギーニ は前政権との間で結ばれたトラクター の購入に関する契約を破棄されたことで資金難に陥り、フィアット の傘下に入った。
1978年:アメリカ合衆国大統領 ジミー・カーター による「人権外交 」の影響を受けて、ボリビアでも民主化へのプログラムが進む。
1980年:ガルシア・メサ 将軍がクーデター「コカイン・クーデター」7 で政権を握るが、麻薬マフィアとの癒着、反対派への大弾圧により、国際的な批判を呼んだ。
1982年:MNRから民主人民連合 (Unidad Democrática y Popular : UDP)に分派したシレス・スアソが政権を執り、民政復帰。18年に及んだ軍政が終わる。このころから中南米全体を襲った中南米債務危機に陥り、約40億ドルにも上る莫大な対外債務に苦しみ、激しいハイパーインフレーション が発生。
1985年 第4次パス・エステンソロ政権成立するが、もうこの時には8000パーセントにも及ぶハイパーインフレ状態に陥っており、事実上通貨は紙切れ同然となってしまい、ボリビア経済は破綻状態に陥った。
1986年 ボリビア政府は苦渋の選択の末、ボリビアは100万分の1のデノミネーション で8,000%超のインフレを抑制。エステンセロは他にも新自由主義 的改革により、経済危機を乗り切る。
1990年代中ごろ: 天然ガス田 が発見された。
1993年:MNRのゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ 政権成立。初の先住民出身副大統領と共に新自由主義政策を採用した。
1997年:「メガ連立」により、第二次バンセル政権成立。コカの栽培の撲滅に全力を挙げる。
2000年:コチャバンバ水紛争
2001年:大規模な天然ガス田が発見される。コチャバンバ水紛争の影響と病気によりバンセル大統領が辞任。
2002年:8月にMNRから第二次サンチェス政権が成立するも、すぐに指導力不足が露呈。
2003年:ボリビアガス紛争 。10月にサンチェス大統領がアメリカ合衆国に亡命 。副大統領のカルロス・メサ が昇格。
2006年:ペルーのアレハンドロ・トレド に続いて南米大陸二人目の、ボリビアでは初の先住民出身となる大統領エボ・モラレス が「社会主義運動 」より就任した。
2007年:モラレス政権、ブラジルのペトロブラス などの外資を国有化し、公約通り天然ガスを国有化(収益は教育の充実や貧困層、高齢者支援に振り向けている)。
2009年3月:大農場主から接収した東部平原地方の土地の所有権を先住民に引き渡し。
2019年10月:大統領選 でモラレス大統領が再選されるも、不正選挙 疑惑から抗議デモが勃発。大統領辞任。
2020年11月:ルイス・アルセ 元経済財政大臣が大統領就任。
2024年6月26日:汚職容疑で解任されたスニガ元軍司令官らによるクーデター未遂が発生8 。
政治
行政 ボリビアの大統領 を元首 とする共和制 国家であり、国家元首である大統領は行政府の長 として実権を有する。任期5年。選挙は、大統領候補と副大統領候補がそれぞれペアとなり立候補し、国民は直接選挙により数組の中から1組を選出する。大統領が死亡や辞任により欠ける場合は、副大統領が大統領に昇格し、残りの任期を務める。首相職はなく、副大統領が閣議を主宰する。
建国以来、政治的に非常に不安定なため、クーデターが起こりやすい政治文化があり、過去100回以上のクーデターが起きている。
議会 国会にあたる多民族立法議会 は両院制 。上院は全36議席で、各県から4名ずつ比例代表制 選挙により選出される。代議院(下院)は、全130議席で、そのうち77議席は小選挙区 から選出、53議席は比例代表制で選出されるが、全体の議席配分は比例代表制によって決まる(小選挙区比例代表併用制 。ただし 超過議席 が出ないようになっている9 ため、連用制 に近い)。両院とも議員の任期は5年で、同日選挙である。
直近の総選挙は、2020年10月18日に行われた。政党別の獲得議席数は、以下の通り10 。
社会主義運動 (MAS) 73
市民共同体 (CC) 41
政党連合「私たちは信じる」 16
近年の政治情勢 2006年7月2日、制憲議会選挙が行われた。定数は255議席。与党・社会主義運動(MAS)が137議席を確保した。第2党は、野党中道右派・民主社会勢力(PODEMOS)で60議席を占めた。同時に実施された地方自治権の拡充の賛否を問う国民投票では、与党の主張が半数を占める。新憲法草案は、1年以内に3分の2以上の賛成で提案され、国民投票に付される。
ボリビアの181周年独立記念日の2006年8月6日に、制憲議会の開会式が行われた。同議会発足を祝って、36の先住民による約3万人のパレードも実施された。
就任2年目になるエボ・モラレス 大統領は、2007年1月22日、国会で年次報告を行い、新憲法を制定する重要性を改めて強調した。新憲法には、水 を含む資源主権や先住民の権利確立、教育行政に対する国の責任などが盛り込まれる予定である。制憲議会は2006年8月、発足したが、議事運営方法、地方自治、首都制定などを巡って与野党や地方間の対立が続いている。与党・社会主義運動党が定数255のうち142議席を占めている。
2009年1月25日、先住民の権利拡大や大統領の再選を可能とする新憲法案が60%あまりの賛成を得て承認された。2009年12月6日、大統領選挙が行われ、現職のモラレスが6割を超える得票11 で勝利した。
2014年10月29日、モラレスが大統領選で3度目の当選を果たし、翌2015年1月に第3期モラレス政権が発足した12 13 。
2019年10月20日、モラレスは大統領選で4度目の当選を果たしたものの14 、開票結果の不正操作疑惑が浮上し15 、これに反発した対立候補の支持者による抗議活動が発生し、国内は混乱。国軍・国家警察などから辞職勧告を突き付けられたモラレスは11月10日に大統領辞任を表明し、11月12日にメキシコへ亡命。これは事実上のクーデターとされる。
モラレスの辞任表明を受け、憲法裁判所はヘアニネ・アニェス 上院副議長を暫定大統領に選出し、アニェスは就任宣誓を行った16 17 18 。これに対し、モラレス政権を独裁として批判してきたアメリカ合衆国やアメリカ寄りの右派政権が統治するブラジル、コロンビア 、エクアドル はアニェスを暫定大統領として承認した19 20 。大統領選挙の仕切り直しは、2020年5月に予定されていたが、新型コロナウイルス の感染拡大に伴い、同年10月18日に延期して実施され21 、モラレス派のルイス・アルセ・カタコラ が当選した22 。2021年3月13日、前暫定大統領のアニェスが、2019年の「クーデター」に関与した疑いなどで逮捕された23 。
軍事 現在のボリビアは内陸国であるが、現在でも海軍と呼称されている。大西洋やチチカカ湖 で演習を行う他、河川が国境となっている北部・東部のブラジルやパラグアイでの国境付近で国境警備の任務に就いている。
地方行政区画 ボリビアには、9つの県(departomentos)が設けられている。カッコ内は、県庁所在地。
主要都市
地理 一つは、ペルーとの国境であるチチカカ湖 周辺から国土を南に貫くアンデス山脈地域で国土面積の約29%に及び、その面積は32万平方キロ余りで、標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つ。ラパス 市やオルロ 市にかけて標高4000mくらいの広大な平らな土地が広がり、この地域は**アルティプラーノ **と呼ばれる。アンデス地域にはオクシデンタル山脈 とオリエンタル山脈 の二つの山脈がある。 さらにコルディリェラ・オクシデンタル(西アンデス山脈)、コルディリェラ・オリエンタル(コルディリェラ・レアル、東アンデス山脈)、アルティプラノと呼ばれる高原よりなる25 。
南北の長さはおよそ620キロメートル、中央部の東西の長さ幅は30キロメートル。火山 と台地 が入り交じっている。激しく侵食 され、険しい起伏と狭い谷がある。雨季 には渓谷で氾濫が起き、雨季以外は乾燥している。山麓にはモレーン (氷堆石)がある。北端はペルーと南端はアルゼンチンと国境をなす。南部一帯は5000メートルを超す火山が連なる。ボリビア最高峰サハマ山 (6542メートルの火山)は北部のオルロ県 にある。
国土の北東側から東側は国土の約62%を占めるアマゾン の熱帯 地域であり、リャノ (llano )またはオリエンテ(oriente )と呼ばれる。リャノはさらに、熱帯雨林 (いわゆるジャングル)が広がる北側と、乾燥しているグランチャコ 地方(パラグアイ 国境近く)とに分かれる。サンタクルス県の東部にはチキタノ山塊が存在する26 。
国土の約9%を占めるコチャバンバ県 やラパス県 ユンガス地方 などの、アンデス地帯とアマゾン地帯の中間に位置する場所はバジェ (valle ) 地域と呼ばれ、温暖で果樹栽培などに適した気候である。この地域ではインディヘナ 農民によるコカ の栽培も盛んである。 ユンガスは標高3300mから2500mの高地ユンガス、2500mから1500mの中央ユンガス、1500mから600mの低地ユンガスに分類される。 このユンガスにある保養地コロイコ とラパス市を結ぶ道路は、毎年多くの死者を出し、「デス・ロード 」と呼ばれていた。
ボリビアはかつて太平洋に面する海岸線も領土に保有していたが、1884年に太平洋戦争 で敗れ、 バルパライソ条約 と、1904年の正式な講和によりそれを全て失った。ボリビアでは3月23日を「海の日 3 (día del mar)」として、当時ボリビア領だったカラマ でチリ軍への降伏を拒否して戦死した英雄エドゥアルド・アバロアの像があるラパスで式典を開き3 「海を取り戻そうキャンペーン」を展開している。
ボリビアの海運での輸出入貨物はチリの港で陸揚げされている。チリの港にはボリビアが管理する保税上屋 (TRANSIT SHED)と呼ばれるタックス・ヘイヴン があり、ここからチリの通関 を行わないままボリビア国境へ運ばれ、ここで初めてボリビアの税関が通関を行う。
経済
スズ、鉛 などの鉱山物資を産出する。
2006年1月、天然ガス事業を国有化する発表があった。
2020年代、人口1100万人のうち50万人以上が公務員である27 。
鉱業 植民地時代から19世紀末までは金と銀が、20世紀以降は錫 がボリビア経済の主軸であった。ホッホシルト が錫開発の主役であった。 石油 の輸出も盛んであり、1930年代に東部で油田が発見されたことがチャコ戦争の一因ともなった。2001年に世界最大規模の天然ガス 田が発見され、ボリビア経済再生の頼み綱となっている。
南部のウユニ塩原 には推定540万トンのリチウム (世界埋蔵量の半分以上)が埋蔵されていると見積もられているが、ボリビア政府にはそれを抽出する技術も資本も持ち合わせていない、という事情がある。
農業 1952年のボリビア革命以来、サンタクルスを中心とした東部の低地地帯で開墾、農業開発が進み、近年大豆 、サトウキビ 、綿花 、コーヒー 、バナナ などの大規模な輸出用農業が盛んになっており、北部の熱帯地域ではカカオ などが産出する。一方で、西部のアルティプラーノではインカ帝国以来の零細小農業やコカ 栽培などが行われている。
農地改革 1958年、第一次農地改革が行われたが、2006年現在では、分配された土地の95%に当たる約3200万ヘクタールが企業の手に渡っている。 2006年5月16日、ガルシア副大統領より「第二次農地改革」計画案が発表された。「生産的でない」土地及び国有地を農民や先住民に分配するというものである。
観光 主な観光地としてはティワナクの遺跡や、チチカカ湖 、ウユニ塩原 、ポトシ の鉱山、チェ・ゲバラの戦死したイゲラ などがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、カナダ 、アメリカ合衆国、日本 、韓国 、イスラエル といった先進国に加えて、南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。アンデス山脈の高山が各国から登山家 を引き寄せている。また、アマゾンのツアーを提供する多くのツアー会社もある。
国民 直近の2011年の国勢調査によると、ボリビアの総人口は1002万7254人である28 。
国際連合児童基金 (ユニセフ)の発表によると、5歳以下で死亡する子供 の比率は77/1,000。1歳以下で死亡する子供の比率は60/1,000。平均寿命 は女性64歳、男性61歳、合計63歳。
民族・出自 先住民としては南東部のチャコ地方にはグアラニー族 も若干居住しており、数を示すとケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、チキタノ 人が18万人、グアラニー人が12万5000人程になる。
メスティーソのうち、伝統的な衣装を身に付けている女性はチョリータ と呼ばれる。彼女らの格好はボリビアを特徴づける習俗となっている。
言語 言語はスペイン語 、ケチュア語 、アイマラ語 、グアラニー語 が公用語 である。田舎ではケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が用いられているが、スペイン語を全く解さない人は近年少なくなってきている。都市部ではスペイン語以外の言葉を話せない人の方が多い。
宗教
教育
教育への支出 2020年時点でGDPに占める比率は9.8%であり、2011年から徐々に上昇している30 。
15歳以上の識字率 2020年時点で94%であり31 、ラテンアメリカ並びにカリブ諸国の識字率 94%と比較すると概ね平均的な識字率である32 。ボリビアでの非識字率は2001年の13.28%から2014年に3.8%に下がっている。これは2006年に発足したモラレス政権が非識字克服を最優先課題の一つに掲げ、キューバの教育者が開発した識字メソッド(Yo, sí puedo )の活用とベネズエラからの資金援助によって、読み書きできない国民へ無償の教育を提供した影響が大きい33 。
教育段階 4〜5歳を対象とした2年間の就学前教育から始まり、6年間の初等教育、6年間の中等教育、高等教育が行われる。義務教育は初等教育から中等教育までの14年間であり、学年暦は2月から始まり、11月に終わる30 。高等教育は大学やその他の高等教育機関で行われる。大学では,学士課程(4〜6年)、修士課程(2年)、博士課程(4年)が置かれる。その他の高等教育機関では,上級技術者ディプロマを取得する 3〜4年の課程などが置かれる。高等教育までは全ての公教育が無償となっている34 。
学校の実態 一般的に同じ校舎内で午前に小学校の授業,午後は中学・高校その他の学校の授業,夜は夜間学校と技術専門学校などの授業が行われている35 。また、学校施設不足などの理由から1つの校舎を別の複数の学校が共有することもある。
義務教育後の教育としては私立高校からは大学へ進学する者が多い。大学は入学が簡単である一方、卒業は困難である。公立高校からは経済的理由により働くか公立大学へ進学する者が多い。
私立校は小・中・高までの一貫教育を行っており、公立校よりも教師、設備に優れ、教育水準も高い。公立校は授業料が無料であるが、ほとんどの学校で教科書をコピーして使っており、教職員のストライキが多く教育課程に支障が出る場合がある36 。
教育の効果 独立機関である教育の質研究所(OPCE)の2010年の調査によると、初等教育では国語よりも算数の能力が低い児童が多いことが確認された。また、中等教育では初等教育と同様に算数の能力の低さが確認された。特に開発が遅れているとされている県において能力が低い生徒の割合が多く、県ごとに能力のばらつきが大きいことが確認されている37 。算数能力が低い理由として、授業が教師主導型で練習問題を解かせるだけであり生徒の自主性を重要視していないことが指摘されている38 。
保健
平均寿命 2020年時点で男性69歳、女性75歳、合計72歳である39 。
主な死因 2019年時点で第1に虚血性心疾患、第2に下気道感染症、第3に脳卒中である40 。
寿命に大きな影響を与えている要因として栄養失調、肥満がある41 。
健康への支出 2019年時点でGDPに占める比率は6.92%であり42 、2000年から徐々に上昇している。
医療
医療施設 公共の保健医療施設はサービスレベルに応じて3段階に分けられている。第1次レベルは初期治療などを提供する診療所、保健センターが該当する。第2次レベルは基本的専門医療を提供する県病院が該当する。第3次レベルは最も高度な医療を提供する総合・専門病院が該当する43 。
保健政策 妊産婦死亡率や5歳未満の乳幼児の死亡率が高く、母子保健が劣悪な状況であることから、1996年7月に「国家母子保健政策」が政府によって策定され、妊産婦および5歳未満の乳幼児が無料で診療を受けられるようになった44 。2003年には国家母子保険はユニバーサル母子保険と名称が変更され、社会保険や民間の施設でも適用されるようになった45 。妊産婦死亡率や幼児死亡率は近年(2019)の経済成長によって減少しつつあるが、依然として人口1万人あたりの医師数は中南米域内の平均を大きく下回っており、病院の数・人材・機材・薬品も不足している状態が長く続き、栄養失調などの問題が残っていた。こうした状況を踏まえ、政府は2019年3月に全国統一医療システムを導入し、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの拡大に取り組んでいる。具体的には全国民の保健サービスへのアクセスを目標とし、妊産婦死亡率を現状より50%削減し、幼児死亡率については現状より30%削減するとしている46 。
医療体制の課題 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ拡大の政策によって医療設備の数は増加しており、新しく導入された国民皆保険により、国民の51%が無料診療を受けられるようになった一方で、患者数の急増に病院のインフラが追いつかず、十分な医療サービスを提供できない病院もある。そのため、より多くの機材や医師を病院に配置することが求められている46 。
社会福祉
年金 2008年2月1日、前年の11月に成立した新年金法が施行され、無年金者への「尊厳ある年金 」の支給が始まった。この政策は、資源主権の確立を通じて様々な社会政策を実施しているベネズエラ や、無年金救済制度をつくったアルゼンチン などの経験に学んだものである。財政的裏付けは、天然ガス国有化による国家収入の増大である。60歳以上の無年金者は年2,400ボリビアーノス (約35,500円、最低賃金の4.6か月分)、何らかの国の年金を既に受けている人は1,800ボリビアーノスが支給される。約70万人が受給する見通しである。
文化 例えば、アンデス地方 を特徴づける文化として世界的に有名なのはフォルクローレ であるが、その曲調、使用する楽器 などはボリビアとペルーでほぼ同じであり、これはアルゼンチン 北西部とも共通する。スペイン統治時代に広まった伝統的な衣装を着続けるチョリータ と呼ばれる女性たちも、両国に共通する特徴的な習俗である。
アンデス地域とアマゾン地域はその気候の大きな違いや町の起こりの経緯の違いにより、互いに文化的な差異を感じているようである。アンデス地方の町の多くはインカ帝国時代の集落がペルー副王領時代に町として興されたものであるのに対し、アマゾン地域の町は植民地時代にはパラグアイ方面から開拓されていったものが多いが、スペイン当局にはほとんど手をつけられず、グランチャコ地方の領有問題なども放置されていた。東部の主要都市サンタクルスが開発されたのも第二次世界大戦前後からである。 俗語では、アンデス地域またはそこに住む人々はコージャ と呼ばれ、アマゾン地域またはそこに住む人々はカンバ と呼ばれる。
1998年以降、アメリカの指導により、政府はコカ撲滅作戦に取り組んでいるが、国民の6割がコカ常用者とされ、アメリカなどへの密輸も盛んに行われている47 。
食文化 第二次世界大戦 前後にドイツなどから逃れてきた人たち(戦前はユダヤ人 、戦後はナチス の残党)がビール を広めた結果、ラパス では「パセーニャ (Paceña)」、オルロでは「ウァリ (Huari)」、コチャバンバ では「タキーニャ (Taquiña)」、サンタクルス では「ドゥカル (Ducal)」など、それぞれの都市を代表するビールの銘柄がある。
ボリビア人 のチチャにかける情熱は強く、チチャを侮辱したイギリスの公使が、暴君メルガレホによりロバ の背中に裸にしてくくりつけられ、スクレの市中を引き回しにされた事件がある。また、アルゼンチンに近いタリハ はボリビア屈指のワイン 産地であり、ワインも好まれている。
文学 ボリビア文学はインカ帝国時代の先住民の口承文学に根を持ち、植民地期にもバルトロメ・アルサンス、パソス・カンキ、フアン・ワルパリマチなどの作家がいた。19世紀の独立後、ロマン主義 の時代にはマリア・ホセファ・ムヒア、リカルド・ホセ・ブスタマンテ、アデラ・サムディオなどがいる。
音楽 『我が祖国ボリビア』というクエッカの曲は第2国歌と呼ばれている。ペルーやチリなど周辺国のフォルクローレにも使われるチャランゴはボリビア起源の楽器である。ポトシやその近くのチュキサカ の田舎町などには、スペイン侵略以前の習俗を色濃く残しているものと思われる、特異な歌や踊りをいまでも見ることができる。ノルテ・ポトシのプトゥクンという歌や、タラブコ の祭りなどがその例である。
映画
世界遺産
祝祭日
スポーツ
著名な出身者
参考文献
眞鍋周三編著 『ボリビアを知るための68章』明石書店 、東京 〈エリア・スタディーズ〉、2006年4月。ISBN 4-7503-2300-4。
眞鍋周三編著『ボリビアを知るための73章』第2版 明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年 ISBN 978-4-7503-3763-0
脚注
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