チリ — OpenHistory
国名 正式名称はRepública de Chile(レプブリカ・デ・チーレ)。通称、Chile(チーレ [ˈt͡siːle]],或いはシーレ[ʃiːle])。公式の英語 表記はRepublic of Chile。通称、Chile(チリ /ˈʧɪl(i)/)。
日本語の表記はチリ共和国 。通称チリ 。かつては「チリー 」と表記されていたこともあった3 。漢字表記 は智利 。日本語での初出は、西川如見 『増補華夷通商考』(1708年、宝永 5年)に「チイカ」として紹介されるものとされる4 。その後の江戸時代 の文献では、谷川士清 『倭訓栞』、斎藤彦麻呂 『傍廂』が、それぞれ「智加」という漢字表記を用いている。
国名の由来は諸説ある。植民地時代 初期は「Chili」と表記されていたが、17世紀のスペイン人 史家ディエゴ・デ・ロサーレス によると、インカ人によるアコンカグア にある渓谷の呼称で、元は15世紀にインカ帝国 に征服される前、同地を支配していた先住民ピクンチェ族 の族長、「ティリ(Tili)」から転じたものとされている。このほか、先住民の言葉で「地の果て」「カモメ 」5 、ケチュア語 で「寒い」を意味する「Chiri」、「雪」もしくは「地上最深の場所」を意味する「Tchili」、マプチェ族 の言葉で同地に生息する鳥の鳴き声を表す擬音語 「cheele-cheele」に由来するなどの説がある6 7 。
歴史 19世紀に入り欧州がナポレオン戦争 を発端に混乱すると、南米で独立の機運が高まり、チリは1818年にスペイン から独立した。その後の国家運営では、銅 や硝石 の鉱物資源が経済の中心となった。外交では、ペルー 及びボリビア とは度々紛争を起こしている。
1970年の大統領選挙により、人民連合 のアジェンデ大統領 を首班とする社会主義 政権が誕生した。これは世界初の民主的選挙によって成立した社会主義 政権であった。しかし、銅鉱業で大きな利益を得ていた米国 はこれを受け入れず、アジェンデ勝利後すぐにニクソン大統領 は就任阻止を指示した8 。これは失敗したが、その後も金融封鎖やストライキの支援などにより経済に打撃を与えた9 。最終的には米国の支援した1973年のクーデター により、ピノチェト 軍事政権 が発足した。ピノチェト政権はシカゴ学派を重用した新自由主義 経済の走りである。政権下では反体制派への弾圧が苛烈を極め、4万人以上が殺害、拷問、投獄された10 。1980年にはピノチェトが大統領に就任した。しかし、1982年の経済崩壊や1983年から88年にかけての大規模な市民抵抗などの出来事の結果として、政府は徐々に集会、言論、結社の自由を拡大し、労働組合や政治活動も認めるようになった。そして、1988年の国民投票ではピノチェトの続投が否認され、新時代となった。
ピノチェト政権下の経済政策は議論があるものの、その後の政権も踏襲しており、1985年から1996年までの実体経済における平均成長率は、チリ以外のラテンアメリカ諸国を上回る7%を記録し、「チリの奇跡 」とも称される。しかし、21世紀以降は国民の所得格差と固定化、脆弱な年金制度と言った長年の問題が表面化している11 。
政治 政治制度は大統領 を元首 とする共和制国家であり、三権分立 を旨とする議会制民主主義 を採用している。行政 は大統領を長とする。大統領は4年任期で選挙により選ばれ、2期連続で就任することはできない。内閣の閣僚は大統領が任命する。2006年1月15日に社会党 のミシェル・バチェレ が大統領に就任した。これはチリ史上初の女性 大統領である12 。2008年現在のチリ憲法は、1932年憲法を元にアウグスト・ピノチェト を権力者とする軍政下に改正された1980年憲法である。特徴としては、大統領 の権力が強められ、また国政への軍の最高司令官の参加が制度化された。しかし、1988年のピノチェト大統領の信任を問う国民投票に敗北したあと、憲法に対して大統領の権力を弱め、軍部の発言力を抑えるような修正がなされた。憲法の民主的な改正に関する議論は継続され、2005年に再改正された。2022年には制憲議会より大きな政府を志向する左派主導の新憲法案が提示されたが、急進的な内容が災いし9月4日の国民投票では賛成が38%にとどまり否決された13 。仕切り直しとなった2023年5月7日の制憲議会選挙では現行憲法に肯定的な右派勢力が草案承認に必要な3分の2を確保する結果となり14 、右派色の強い改憲案が12月17日の国民投票にかけられたがやはり否決されており、1932年憲法を抜本的に改正する憲法を制定する見通しは立っていない15 16 。
立法 は、両院制 であり、議会はバルパライソ に所在する。上院 は43議席であり、一般投票により選出され、任期は8年。2005年までそのほかに国家安全保障委員会や司法機関、共和国大統領、前大統領などが11名を任命する制度があったが、憲法改正によりこの11議席は廃止された。下院 は120議席であり、任期は4年。法案が採択されるには、両院および拒否権を持つ共和国大統領の承認を得なければならない。また両者ともに法案を提議することができるが、これを施行する権限は大統領にしかない点が問題とされている。
司法 の最高機関は最高裁判所である。憲法に関する判断は憲法裁判所が行い、憲法に反すると考えられた法律を差し止めることができる。
ピノチェト軍事政権から民政移管した1990年以降の中道左派と中道右派の政権交代の下で、右派政権時代は医療・教育・福祉予算を抑える新自由主義路線が維持され、左派政権時代はバラマキとも批判されかねない政策がおこなわれてきた19 。
国際関係 独立直後からチリは隣国のペルー、ボリビアに干渉を行ってきた。1836年から1839年までの連合戦争ではペルー・ボリビア連合 に終始敵対し、これを崩壊させるのに大きな役割を果たした。その後、1879年にアタカマ の硝石資源を巡ってペルー、ボリビア両国に宣戦布告 し、この太平洋戦争によって両国から領土を得た。その影響でボリビアは現在でも国交がない。
19世紀を通してチリは経済的にはイギリスと、文化的にはフランスと関係が深かった。この時期にチリ海軍 はイギリスの、法や教育はフランスの20 21 22 、陸軍はプロイセン の影響を強く受けた。
1973年のクーデターにより、チリは軍事政権による人権侵害などのために国際的孤立に陥ったが、民政移管した1990年以来、チリは国際的孤立から復活した。2010年、チリはOECD の31番目の公式加盟国になった。
軍政期の1983年に長年緊張関係が続いており、何度も戦争直前にまで陥った隣国アルゼンチンがラウル・アルフォンシン 政権の下でチリとの歴史的な和解を進めてピクトン島、レノックス島、ヌエバ島 のチリ領有を認めると、パタゴニアをめぐってのチリの領土問題は解決した。また、太平洋戦争以来続いたペルーとの緊張も収まりつつある。しかし、太平洋戦争で併合したアントファガスタ を返還するように求めるボリビアとの緊張はいまだに続いている。
なお、チリはイギリス、アルゼンチンと同様に南極大陸 の一部に対して領有権(チリ領南極 )を主張している。
2009年3月27、28日の両日、中部の都市ビニャデルマル で欧米(スペイン、イギリス、ノルウェーの首相、アメリカの副大統領 )23 と南米(ブラジル 、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ の大統領)の8か国による首脳会議が開かれた。首脳らは同会議を「進歩派首脳会議」と呼んでいる24 。会議は、4月20日にロンドン で開かれる第2回20か国・地域首脳会合 (G20金融サミット)に向けた意見調整を目的に行われた。各首脳は新たな世界秩序の形成に向けた展望を論議した。同会議は最終宣言を発表した。
日本との関係 1897年に日本チリ修好通商条約が締結され、同年9月25日に外交関係を樹立。太平洋戦争 末期の1945年4月11日にチリが対日宣戦布告し断交するものの、サンフランシスコ講和条約 締結後の1952年10月17日に外交関係を再開した25 。
軍事 チリの大統領は軍隊の指揮権を有し、軍は国防相と大統領の統制を受けている。また、チリでは徴兵制 が実施され、国民は2年間の兵役の義務を有している。陸海空三軍のほかに国家警察(カラビネーロス )が存在し28 29 、規模は4万人ほどである。また、チリはブラジル に続いて南アメリカで2番目に大きな軍事予算を組んでいる。
伝統的にチリの軍隊は、「軍は憲法の番人である」として、他のラテンアメリカ諸国より政治に介入する頻度は比較的大きくなかったが、アジェンデがスト解決のために軍人を利用し始めたことから崩れ始め、1973年のピノチェト将軍らによるチリ・クーデターにより崩された30 。その後、軍政期に軍はコンドル作戦 などを遂行し、自国民や近隣諸国の反体制派市民の拷問 、殺害に携わったが、1990年の民政移管後は、それなりの規模と発言力を保ちながら国民との和解が進められた31 。
陸軍 チリ陸軍 は兵員4万5,000人を有し、サンティアゴに司令部がある。6つの軍管区に分けられ、ランカグア に飛行旅団 が、コリナ に特殊部隊 の司令部がある。チリ陸軍はラテンアメリカでも最も整備され、専門的かつ技術革新の進んだ軍隊の一つである。
海軍 チリ海軍 は海兵隊 2,300人を含む兵員2万3,000人を有している。29隻の艦艇を有するが、水上戦闘艦艇は内8隻のフリゲート のみである。水上艦隊の母港はバルパライソ にある。海軍は輸送と警戒にあたる航空機を保有しているが、戦闘機や爆撃機は有していない。4隻の潜水艦 を運用し、潜水艦の基地はタルカワノ にある。
空軍
カラビネーロス 1973年9月の軍事クーデターに参加後、チリ国家警察(カラビネーロス・デ・チレ )は国防省と一体化した。民政移管後に、警察の実質的な指揮権は内務省の下に置かれたが、国防省の名目的指揮下に置かれたままとなった。40,964人32 の男女が法の執行、交通整理、麻薬 鎮圧、国境の管理、対テロ作戦 などの任務にチリ国内で従事する。
地方行政区分 チリは、州監督官(Intendente)を長とする16の州(Region)に分けられる。州はさらにいくつかの県(Provincia)に分割され、それぞれに県知事(Gobernador provincial)が置かれる。県はさらに市町村(Comunas)に分けられ、市(町、村)長がいる33 。監督官と知事は大統領により任命され、市(町、村)長は一般投票により選ばれる。
1974年に各州には北から南へ順にローマ数字 が割り当てられた。しかし首都州は例外的に頭文字のRMとされたこと、またその後に新設された州には位置に関係なく割り振られたことから、当初の意義を失い2018年2月に廃止された34 。
主要都市
地理
気候 気候は幅広く、太平洋上に浮かぶラパ・ヌイ島 (パスクア島、イースター島)の熱帯気候 35 から、国土の北3分の1を占め、世界で最も乾燥した砂漠とされるアタカマ砂漠 、中央部の肥沃な渓谷地域、そして元々は森林に覆われていた湿度は高いが寒い南部、ツンドラ 気候が広がる最南部のパタゴニア 地方に大きく分けられる。
時間帯
治安 チリは中南米の国の中では治安が良い国とされてきたが、2013年以降は悪化傾向にあり、貧富の格差の拡大も相まって地方にも犯罪が波及しつつある。そのため防犯意識を持って行動する必要があるとされる36 。
経済 2021年のチリの名目GDP は、世界44位であり、3,167.70億USドル である37 。チリのGDPは、2000年代から大幅に成長しており、4倍以上の著しい伸び率が見られる38 。2022年9月時点では、経済活動指数の変動も少なく、国民の生活は比較的安定している39 。しかし、失業率 は7.9%と未だに高い水準であり、日本の3倍以上にもなる40 。
経済はほとんど輸出により成り立っている41 。輸出品目の第2位は農業関連製品で、第1位は以前より世界一の生産量を誇る銅 である。1970年代初頭は輸出品の70%を銅が占めていたが、現在は40%とその重要度は低下している。最近では、各地で産出される良質なワイン 、サーモン 、木材パルプ の輸出が始められた42 。
チリ北部の主要産業は鉱業 であるが、南部には大規模な農業 、酪農 がある。バルパライソ といった主要港のある中央部にはサービス業 と工業 が集中している。チリのサービス業部門は大きく、世界で最も自由化され先端をいく通信インフラが整っている。1990年代のにわか景気では、毎年7 - 12%の経済成長を記録したが、1997年のアジア通貨危機 以降は、年3%にまで落ち着いた。
第一次産業
農業 農業 では、果樹 類の生産が特筆される。16世紀からポトシ 市場向けにワインの原材料としてぶどう が広く生産されている。1970年代には過剰生産とワインの品質低下がたたって、一時生産量が低迷したが、ワインの品質改良などの地道な努力が功を奏し、1990年代以降は再び生産量を増やしている。日本のワイン輸入量の国別シェアで、フランスなど南欧諸国を上回り首位となっている(2018年)43 。 農業従事者は、2005年にはチリの労働者の13.2%を占めている。
林業 林業 については、国土の2割が森林 となっており木材生産が盛んに行われてきたが、1980年代以降、アメリカ合衆国 や日本 の業者が進出し、パルプ 用の木材チップの生産を飛躍的に高めた。南部のパタゴニア地方を中心とした原生林 での生産が有望視されているが、無秩序に近い環境破壊 を訴える自然保護団体 も存在し、先住民マプーチェ人をはじめとする現地の住民も無軌道な乱伐に反対している。
水産業 近年では、チリはノルウェー とともにサケの世界有数の輸出国となっている。 漁業 については、東太平洋がアンチョビ などの好漁場であり、古くから活発に漁業が営まれてきた。気候 や地形 の類似点から、北半球 のサケ類 の移植が進められたが、自然放流 により再生産を図る計画は失敗。しかし、代わりに始まったサケ類の養殖 事業は大成功を収め、2005年には世界のサケ類の養殖生産高の3分の1、約60万トンを誇る規模(世界第2位)となっている。
鉱業 鉱業 については、地下資源、特に金属 鉱物 資源に恵まれている。2003年時点で、銅 の採掘量は世界一であり、490万トンに達する。これは世界シェアの36.0%に相当する。銀 は1,250トンであり、世界第6位、シェア6.7%である。金の世界シェアも1.5%である。このほか、亜鉛 、鉄 、鉛 を産出する。
金属以外の無機鉱物資源では、ヨウ素 、硫黄 、塩、カリ塩、リン鉱石 が有望であり、リン鉱石以外は世界シェア1%を上回る。有機鉱物資源も見られるが、規模は小さい。たとえば、石炭 の産出量は43万トンに留まる。19世紀に火薬の原料として世界最大の産出量があったアタカマ砂漠のチリ硝石 は20世紀に入ると化学製品に押され役目が終わった。
鉱業は、国内15地域のうち13地域で存在し、25種類の製品を産する。特にタラパカ、アントファガスタ、アタカマ地域の主要な経済活動であり、コキンボ、バルパライソ、オヒギンス地域でも非常に重要である。マガヤネス地域では石油 生産が重要である。
主な製品は銅で、世界の36%を供給する世界最大の生産国であり、世界の銅埋蔵量の28%を占めている。チリの輸出の30%を占める銅鉱山アカウントは1970年には60%以上をカバーしていた。世界最大の銅会社、国営コデルコは、チュキカマタ、エルテニエンテで世界最大の露天掘りおよび地下の主要鉱床で操業している。
鉄、モリブデン 、硝石、銀 - 金のような他の資源開発も重要である。2012年に、鉱物の世界生産の37%がこの国に集中しており、さらにリチウム の世界埋蔵量の21.9%が存在する。ラピスラズリ は、チリ北部コムバルバラ地域に原石が豊富に存在すると1984年に宣言された貴重な装飾用の石である。
観光 観光 は、2005年にこの部門は国のGDPの1.33%に相当し、15億ドル以上を生成して13.6%増加した1990年代半ば以降、チリの主要な経済資源の一つとなっている。海外での観光振興では、チリは2012年に合計600万ドルの資金を投資した49 。
観光客が本土への全ての訪問の1.8%に達したとき、世界観光機関 (WTO)によると50 、チリのラテン語圏の外国人観光客のための政策は2010年に始まったという51 。その年、国は1,636万ドルの売上高を挙げ、観光客は276万人に達した。これらの訪問者のほとんどは、アルゼンチンや大陸の国から来た人々であった52 。しかし近年の最大の成長は、主にドイツなどのヨーロッパからの訪問者に対応したことである。2011年第1四半期中に、その年の終わりまでに合計306万人となった前年同期比9.2%の増加を表す104万人以上の観光客が来訪した。一方では、合計372万人のチリ人が、2011年に他の国を訪問した53 。
起業 チリは、COVID-19 流行前の2019年、GEM(Global Entrepreneurship Monitor)の研究における総合起業活動指数®(TEA)が世界1位である54 。チリ政府は、2010年よりStart-Up Chile を設立し、2021年には、資金提供や資金調達プラットフォームを設立し、55 スタートアップ を試みる企業への支援を行っている。しかし、事業の休業や廃業も多くみられる。革新的な世界のスタートアップ100社が選出された「テクノロジー・パイオニア・コミュニティ2022」では、チリ発のスタートアップとして、ホームとグロバル66の2社が選出された。チリからは継続的に選出されており、今後の成長が期待される56 。
インフラ
エネルギー チリでは、再生可能資源 があまり多くないため化石燃料 に依存しており、その価格と国際情勢に大きく左右される。2010年には、消費量の30%に相当する日量10640バレル の石油を南部で生産し、残りは輸入された。
また、国内で消費される天然ガス の約53%が輸入されている。推計によると、2009年の消費量、28.4億立方メートルの47.53パーセントに相当する13.5億立方メートルが輸入された。 2000年代のを通して、アルゼンチンはパイプライン を介して主要な輸入元であったが、2009年にキンテロ 港に液化天然ガス (LNG)ターミナルが開設され、輸入元を世界中に多様化している。
チリでは、ノルテグランデ、電力中央相互接続システム、電力システム、アイセン 電力システム、マガジャネスの相互接続システムの4つの電力システムがある。2008年には電力生産は、主に火力発電 により、次に水力発電 によって生成され、6万280ギガワット 時であったと推定される。また、818ギガワット時は、アルゼンチン北部から電気を輸入する計画があったが、実際に輸入されたのは2009年であった。水力発電の発電量が少ないのは、ダムの建設による環境や生態系の破壊を防止するために、政府は水力埋蔵量の20%未満に抑えている。
チリの最初の水力発電は、トーマス・エジソン によって設計され、1896年にロタに建てられた南米で2番目の水力発電所であるチビリンゴ水力発電所である。
現時点では原子力発電所 はないものの、2006年には原子力エネルギーの安全な使用の技術的実現可能性についての議論が始まった。再生可能な資源の候補としては、風力発電 、地熱 、潮力 、太陽光 、太陽熱 などがある。
電気通信 チリは、本島と南極基地を含め、国土の多くをカバーする通信 システムを持っている。1968年にはエンテルチリ 社が所有する、ラテンアメリカで最初の南極衛星通信 地球局が稼働した57 。
2010年の人間開発指数 によれば、チリは100人あたり32.5のインターネットユーザーがいる62 。
1987年に国別トップレベルドメイン「.cl」が登録され、1993年に最初のラテンアメリカのWebサーバ がチリに設置された63 64 。
交通
航空
鉄道 細長い国土を縦に貫く「チリ縦貫鉄道」と、そこから分かれてアンデス山脈や太平洋側の町を結ぶ「支線」が国内の鉄道を構成している。詳細はチリの鉄道 を参照。
チリ国鉄 が後述の近郊電車のほか、サンティアゴと中部のタルカ・チリャンの間に中距離電車を、コンセプシオン やテムコ の間に季節運行の夜行列車を走らせている。南部のプエルトモント を発着する夜行列車は「車両の老朽化」を理由として、2003年に運行が休止された。
サンティアゴ大都市圏にはメトロトレン と呼ばれる近郊電車が運行されているほか、サンティアゴの都心にはフランス の協力で建設された5路線の地下鉄 (メトロ=Metro)があり、さらに数年以内には2路線の開通が予定されている。渋滞の影響を受けない交通機関 として信頼されている。
鉄道による貨物輸送も盛んであり、特に鉱石や木材、水産物などの運搬に重宝されている。
道路
国民 独立直後の1830年にようやく100万人を越えたチリの人口は、1960年のセンサスでは737万4,115人、1970年のセンサスでは888万4,768人、1983年年央推計では約1,168万人となった。
人口 チリの人口は約1,750万人ほどであり69 、1990年代から出生率の低下とともに人口増加率は低くなっている。2050年までには人口2,020万人に達すると見積もられている。国民の85%が都市部に居住し、そのうち40%が大サンティアゴ都市圏に居住している。
そのほか、インディヘナとしては、パスクア島(イースター島)にはポリネシア系の、北部のアンデス山岳地帯にはケチュア人やアイマラ人など、南部ビオビオ川以南の森林地帯にはマプーチェ人 が、その他にはピクンチェ人、ウイリンチェ人、アタカメーニョ人、ディアグイタ人、ペウエンチェ人などが、クリストファー・コロンブス の到来以前より居住しており、こうしたインディヘナを合わせると全人口の5%ほどになる。また、きわめて少数であるが、植民地時代に連れて来られた黒人 奴隷 の子孫としてアフリカ系チリ人が存在するが、チリの黒人は人口の1%に満たない。
言語
宗教 伝統的にローマ・カトリック の国であるが、2012年の国勢調査で自らをカトリックと回答した国民は66.6%と、前回(2002年)の70%から減少した74 75 。プロテスタント は人口の17%で、その9割はペンテコステ派 であった。無宗教や無神論者、不可知論者と回答した国民は全体の12%であった。
2010年のコピアポ鉱山落盤事故 では、坑内に閉じ込められた作業員が、聖書と十字架像を所望したり、聖書をもとに作られた映画が地上から提供されるなどした。
婚姻 通常、婚姻によって改姓することはない(夫婦別姓 )。社交上「de+夫の姓」を追加した複合姓を用いることもあるが、一般的ではなくなりつつある76 。
保健
教育 チリの教育は、2009年の教育法(LGE)によって支配される。
19世紀にフランスとドイツの制度を参考に近代的教育制度が確立された。6歳から13歳までの8年間の初等教育 と前期中等教育 が無償の義務教育期間となり、その後4年間の後期中等教育を経て高等教育 への道が開ける。
識字率は約96.4%78 であり、これはアルゼンチン、ウルグアイ 、キューバ と共にラテンアメリカでもっとも高い部類に入る。
文化
食文化
文学
音楽 チリのフォルクローレ においてはクエッカ と呼ばれるリズムが中央部で発達し90 、そのほかに北部のケチュア人、アイマラ人にはワイニョ などが、南部のマプーチェ人や、パスクア島のポリネシア系住民にも独自のフォルクローレが存在する。
2009年12月5日、首都サンティアゴ・デ・チレ でハラの葬儀が催され、数万人の市民が参加した。1973年当時、ピノチェト軍事独裁政府の弾圧によってハラの葬儀を公式に開催することができなかった。死後36年を経て公式の葬儀が行われ、バチェレ政権の閣僚や政党幹部らも参加した。
映画
世界遺産
祝祭日
スポーツ
科学技術 多数の科学刊行物によると、チリは2011年時点、ラテンアメリカで4位、世界で38位の科学的特許 を持つ。また南極に4つの通年運用拠点、夏の間活動する8つの一時的な拠点を所有している。
国の象徴 チリの紋章には、国の動物であるコンドル (Vultur gryphus、山岳地帯に棲む大型の鳥)とアンデスジカ (Hippocamelus bisulcus、絶滅が危惧されている尾部の白い鹿)が描かれている。これらは国の標語である「理性によって、または力によって」とも関連がある。
国花はコピウエ であり、この花は南部の森林地帯に自生している。
著名な出身者
参考文献
岡本哲史 『衰退のレギュラシオン──チリ経済の開発と衰退化1830-1914年』新評論、東京、2000年12月。
岡本哲史「チリ経済の「奇跡」を再検証する 新自由主義改革の虚像と実像」『ラテン・アメリカは警告する──「構造改革」日本の未来』内橋克人 、佐野誠 編、新評論〈「失われた10年」を超えて──ラテン・アメリカの教訓第1巻〉、東京、2005年4月。
中川文雄 、三田千代子 編『ラテン・アメリカ人と社会』新評論、東京〈ラテンアメリカ・シリーズ4〉、1995年10月。ISBN 4-7948-0272-2。
脚注
主要都市
国名 正式名称はRepública de Chile(レプブリカ・デ・チーレ)。通称、Chile(チーレ [ˈt͡siːle]],或いはシーレ[ʃiːle])。公式の英語 表記はRepublic of Chile。通称、Chile(チリ /ˈʧɪl(i)/)。
日本語の表記はチリ共和国 。通称チリ 。かつては「チリー 」と表記されていたこともあった3 。漢字表記 は智利 。日本語での初出は、西川如見 『増補華夷通商考』(1708年、宝永 5年)に「チイカ」として紹介されるものとされる4 。その後の江戸時代 の文献では、谷川士清 『倭訓栞』、斎藤彦麻呂 『傍廂』が、それぞれ「智加」という漢字表記を用いている。
国名の由来は諸説ある。植民地時代 初期は「Chili」と表記されていたが、17世紀のスペイン人 史家ディエゴ・デ・ロサーレス によると、インカ人によるアコンカグア にある渓谷の呼称で、元は15世紀にインカ帝国 に征服される前、同地を支配していた先住民ピクンチェ族 の族長、「ティリ(Tili)」から転じたものとされている。このほか、先住民の言葉で「地の果て」「カモメ 」5 、ケチュア語 で「寒い」を意味する「Chiri」、「雪」もしくは「地上最深の場所」を意味する「Tchili」、マプチェ族 の言葉で同地に生息する鳥の鳴き声を表す擬音語 「cheele-cheele」に由来するなどの説がある6 7 。
歴史 19世紀に入り欧州がナポレオン戦争 を発端に混乱すると、南米で独立の機運が高まり、チリは1818年にスペイン から独立した。その後の国家運営では、銅 や硝石 の鉱物資源が経済の中心となった。外交では、ペルー 及びボリビア とは度々紛争を起こしている。
1970年の大統領選挙により、人民連合 のアジェンデ大統領 を首班とする社会主義 政権が誕生した。これは世界初の民主的選挙によって成立した社会主義 政権であった。しかし、銅鉱業で大きな利益を得ていた米国 はこれを受け入れず、アジェンデ勝利後すぐにニクソン大統領 は就任阻止を指示した8 。これは失敗したが、その後も金融封鎖やストライキの支援などにより経済に打撃を与えた9 。最終的には米国の支援した1973年のクーデター により、ピノチェト 軍事政権 が発足した。ピノチェト政権はシカゴ学派を重用した新自由主義 経済の走りである。政権下では反体制派への弾圧が苛烈を極め、4万人以上が殺害、拷問、投獄された10 。1980年にはピノチェトが大統領に就任した。しかし、1982年の経済崩壊や1983年から88年にかけての大規模な市民抵抗などの出来事の結果として、政府は徐々に集会、言論、結社の自由を拡大し、労働組合や政治活動も認めるようになった。そして、1988年の国民投票ではピノチェトの続投が否認され、新時代となった。
ピノチェト政権下の経済政策は議論があるものの、その後の政権も踏襲しており、1985年から1996年までの実体経済における平均成長率は、チリ以外のラテンアメリカ諸国を上回る7%を記録し、「チリの奇跡 」とも称される。しかし、21世紀以降は国民の所得格差と固定化、脆弱な年金制度と言った長年の問題が表面化している11 。
政治 政治制度は大統領 を元首 とする共和制国家であり、三権分立 を旨とする議会制民主主義 を採用している。行政 は大統領を長とする。大統領は4年任期で選挙により選ばれ、2期連続で就任することはできない。内閣の閣僚は大統領が任命する。2006年1月15日に社会党 のミシェル・バチェレ が大統領に就任した。これはチリ史上初の女性 大統領である12 。2008年現在のチリ憲法は、1932年憲法を元にアウグスト・ピノチェト を権力者とする軍政下に改正された1980年憲法である。特徴としては、大統領 の権力が強められ、また国政への軍の最高司令官の参加が制度化された。しかし、1988年のピノチェト大統領の信任を問う国民投票に敗北したあと、憲法に対して大統領の権力を弱め、軍部の発言力を抑えるような修正がなされた。憲法の民主的な改正に関する議論は継続され、2005年に再改正された。2022年には制憲議会より大きな政府を志向する左派主導の新憲法案が提示されたが、急進的な内容が災いし9月4日の国民投票では賛成が38%にとどまり否決された13 。仕切り直しとなった2023年5月7日の制憲議会選挙では現行憲法に肯定的な右派勢力が草案承認に必要な3分の2を確保する結果となり14 、右派色の強い改憲案が12月17日の国民投票にかけられたがやはり否決されており、1932年憲法を抜本的に改正する憲法を制定する見通しは立っていない15 16 。
立法 は、両院制 であり、議会はバルパライソ に所在する。上院 は43議席であり、一般投票により選出され、任期は8年。2005年までそのほかに国家安全保障委員会や司法機関、共和国大統領、前大統領などが11名を任命する制度があったが、憲法改正によりこの11議席は廃止された。下院 は120議席であり、任期は4年。法案が採択されるには、両院および拒否権を持つ共和国大統領の承認を得なければならない。また両者ともに法案を提議することができるが、これを施行する権限は大統領にしかない点が問題とされている。
司法 の最高機関は最高裁判所である。憲法に関する判断は憲法裁判所が行い、憲法に反すると考えられた法律を差し止めることができる。
ピノチェト軍事政権から民政移管した1990年以降の中道左派と中道右派の政権交代の下で、右派政権時代は医療・教育・福祉予算を抑える新自由主義路線が維持され、左派政権時代はバラマキとも批判されかねない政策がおこなわれてきた19 。
国際関係 独立直後からチリは隣国のペルー、ボリビアに干渉を行ってきた。1836年から1839年までの連合戦争ではペルー・ボリビア連合 に終始敵対し、これを崩壊させるのに大きな役割を果たした。その後、1879年にアタカマ の硝石資源を巡ってペルー、ボリビア両国に宣戦布告 し、この太平洋戦争によって両国から領土を得た。その影響でボリビアは現在でも国交がない。
19世紀を通してチリは経済的にはイギリスと、文化的にはフランスと関係が深かった。この時期にチリ海軍 はイギリスの、法や教育はフランスの20 21 22 、陸軍はプロイセン の影響を強く受けた。
1973年のクーデターにより、チリは軍事政権による人権侵害などのために国際的孤立に陥ったが、民政移管した1990年以来、チリは国際的孤立から復活した。2010年、チリはOECD の31番目の公式加盟国になった。
軍政期の1983年に長年緊張関係が続いており、何度も戦争直前にまで陥った隣国アルゼンチンがラウル・アルフォンシン 政権の下でチリとの歴史的な和解を進めてピクトン島、レノックス島、ヌエバ島 のチリ領有を認めると、パタゴニアをめぐってのチリの領土問題は解決した。また、太平洋戦争以来続いたペルーとの緊張も収まりつつある。しかし、太平洋戦争で併合したアントファガスタ を返還するように求めるボリビアとの緊張はいまだに続いている。
なお、チリはイギリス、アルゼンチンと同様に南極大陸 の一部に対して領有権(チリ領南極 )を主張している。
2009年3月27、28日の両日、中部の都市ビニャデルマル で欧米(スペイン、イギリス、ノルウェーの首相、アメリカの副大統領 )23 と南米(ブラジル 、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ の大統領)の8か国による首脳会議が開かれた。首脳らは同会議を「進歩派首脳会議」と呼んでいる24 。会議は、4月20日にロンドン で開かれる第2回20か国・地域首脳会合 (G20金融サミット)に向けた意見調整を目的に行われた。各首脳は新たな世界秩序の形成に向けた展望を論議した。同会議は最終宣言を発表した。
日本との関係 1897年に日本チリ修好通商条約が締結され、同年9月25日に外交関係を樹立。太平洋戦争 末期の1945年4月11日にチリが対日宣戦布告し断交するものの、サンフランシスコ講和条約 締結後の1952年10月17日に外交関係を再開した25 。
軍事 チリの大統領は軍隊の指揮権を有し、軍は国防相と大統領の統制を受けている。また、チリでは徴兵制 が実施され、国民は2年間の兵役の義務を有している。陸海空三軍のほかに国家警察(カラビネーロス )が存在し28 29 、規模は4万人ほどである。また、チリはブラジル に続いて南アメリカで2番目に大きな軍事予算を組んでいる。
伝統的にチリの軍隊は、「軍は憲法の番人である」として、他のラテンアメリカ諸国より政治に介入する頻度は比較的大きくなかったが、アジェンデがスト解決のために軍人を利用し始めたことから崩れ始め、1973年のピノチェト将軍らによるチリ・クーデターにより崩された30 。その後、軍政期に軍はコンドル作戦 などを遂行し、自国民や近隣諸国の反体制派市民の拷問 、殺害に携わったが、1990年の民政移管後は、それなりの規模と発言力を保ちながら国民との和解が進められた31 。
陸軍 チリ陸軍 は兵員4万5,000人を有し、サンティアゴに司令部がある。6つの軍管区に分けられ、ランカグア に飛行旅団 が、コリナ に特殊部隊 の司令部がある。チリ陸軍はラテンアメリカでも最も整備され、専門的かつ技術革新の進んだ軍隊の一つである。
海軍 チリ海軍 は海兵隊 2,300人を含む兵員2万3,000人を有している。29隻の艦艇を有するが、水上戦闘艦艇は内8隻のフリゲート のみである。水上艦隊の母港はバルパライソ にある。海軍は輸送と警戒にあたる航空機を保有しているが、戦闘機や爆撃機は有していない。4隻の潜水艦 を運用し、潜水艦の基地はタルカワノ にある。
空軍
カラビネーロス 1973年9月の軍事クーデターに参加後、チリ国家警察(カラビネーロス・デ・チレ )は国防省と一体化した。民政移管後に、警察の実質的な指揮権は内務省の下に置かれたが、国防省の名目的指揮下に置かれたままとなった。40,964人32 の男女が法の執行、交通整理、麻薬 鎮圧、国境の管理、対テロ作戦 などの任務にチリ国内で従事する。
地方行政区分 チリは、州監督官(Intendente)を長とする16の州(Region)に分けられる。州はさらにいくつかの県(Provincia)に分割され、それぞれに県知事(Gobernador provincial)が置かれる。県はさらに市町村(Comunas)に分けられ、市(町、村)長がいる33 。監督官と知事は大統領により任命され、市(町、村)長は一般投票により選ばれる。
1974年に各州には北から南へ順にローマ数字 が割り当てられた。しかし首都州は例外的に頭文字のRMとされたこと、またその後に新設された州には位置に関係なく割り振られたことから、当初の意義を失い2018年2月に廃止された34 。
主要都市
地理
気候 気候は幅広く、太平洋上に浮かぶラパ・ヌイ島 (パスクア島、イースター島)の熱帯気候 35 から、国土の北3分の1を占め、世界で最も乾燥した砂漠とされるアタカマ砂漠 、中央部の肥沃な渓谷地域、そして元々は森林に覆われていた湿度は高いが寒い南部、ツンドラ 気候が広がる最南部のパタゴニア 地方に大きく分けられる。
時間帯
治安 チリは中南米の国の中では治安が良い国とされてきたが、2013年以降は悪化傾向にあり、貧富の格差の拡大も相まって地方にも犯罪が波及しつつある。そのため防犯意識を持って行動する必要があるとされる36 。
経済 2021年のチリの名目GDP は、世界44位であり、3,167.70億USドル である37 。チリのGDPは、2000年代から大幅に成長しており、4倍以上の著しい伸び率が見られる38 。2022年9月時点では、経済活動指数の変動も少なく、国民の生活は比較的安定している39 。しかし、失業率 は7.9%と未だに高い水準であり、日本の3倍以上にもなる40 。
経済はほとんど輸出により成り立っている41 。輸出品目の第2位は農業関連製品で、第1位は以前より世界一の生産量を誇る銅 である。1970年代初頭は輸出品の70%を銅が占めていたが、現在は40%とその重要度は低下している。最近では、各地で産出される良質なワイン 、サーモン 、木材パルプ の輸出が始められた42 。
チリ北部の主要産業は鉱業 であるが、南部には大規模な農業 、酪農 がある。バルパライソ といった主要港のある中央部にはサービス業 と工業 が集中している。チリのサービス業部門は大きく、世界で最も自由化され先端をいく通信インフラが整っている。1990年代のにわか景気では、毎年7 - 12%の経済成長を記録したが、1997年のアジア通貨危機 以降は、年3%にまで落ち着いた。
第一次産業
農業 農業 では、果樹 類の生産が特筆される。16世紀からポトシ 市場向けにワインの原材料としてぶどう が広く生産されている。1970年代には過剰生産とワインの品質低下がたたって、一時生産量が低迷したが、ワインの品質改良などの地道な努力が功を奏し、1990年代以降は再び生産量を増やしている。日本のワイン輸入量の国別シェアで、フランスなど南欧諸国を上回り首位となっている(2018年)43 。 農業従事者は、2005年にはチリの労働者の13.2%を占めている。
林業 林業 については、国土の2割が森林 となっており木材生産が盛んに行われてきたが、1980年代以降、アメリカ合衆国 や日本 の業者が進出し、パルプ 用の木材チップの生産を飛躍的に高めた。南部のパタゴニア地方を中心とした原生林 での生産が有望視されているが、無秩序に近い環境破壊 を訴える自然保護団体 も存在し、先住民マプーチェ人をはじめとする現地の住民も無軌道な乱伐に反対している。
水産業 近年では、チリはノルウェー とともにサケの世界有数の輸出国となっている。 漁業 については、東太平洋がアンチョビ などの好漁場であり、古くから活発に漁業が営まれてきた。気候 や地形 の類似点から、北半球 のサケ類 の移植が進められたが、自然放流 により再生産を図る計画は失敗。しかし、代わりに始まったサケ類の養殖 事業は大成功を収め、2005年には世界のサケ類の養殖生産高の3分の1、約60万トンを誇る規模(世界第2位)となっている。
鉱業 鉱業 については、地下資源、特に金属 鉱物 資源に恵まれている。2003年時点で、銅 の採掘量は世界一であり、490万トンに達する。これは世界シェアの36.0%に相当する。銀 は1,250トンであり、世界第6位、シェア6.7%である。金の世界シェアも1.5%である。このほか、亜鉛 、鉄 、鉛 を産出する。
金属以外の無機鉱物資源では、ヨウ素 、硫黄 、塩、カリ塩、リン鉱石 が有望であり、リン鉱石以外は世界シェア1%を上回る。有機鉱物資源も見られるが、規模は小さい。たとえば、石炭 の産出量は43万トンに留まる。19世紀に火薬の原料として世界最大の産出量があったアタカマ砂漠のチリ硝石 は20世紀に入ると化学製品に押され役目が終わった。
鉱業は、国内15地域のうち13地域で存在し、25種類の製品を産する。特にタラパカ、アントファガスタ、アタカマ地域の主要な経済活動であり、コキンボ、バルパライソ、オヒギンス地域でも非常に重要である。マガヤネス地域では石油 生産が重要である。
主な製品は銅で、世界の36%を供給する世界最大の生産国であり、世界の銅埋蔵量の28%を占めている。チリの輸出の30%を占める銅鉱山アカウントは1970年には60%以上をカバーしていた。世界最大の銅会社、国営コデルコは、チュキカマタ、エルテニエンテで世界最大の露天掘りおよび地下の主要鉱床で操業している。
鉄、モリブデン 、硝石、銀 - 金のような他の資源開発も重要である。2012年に、鉱物の世界生産の37%がこの国に集中しており、さらにリチウム の世界埋蔵量の21.9%が存在する。ラピスラズリ は、チリ北部コムバルバラ地域に原石が豊富に存在すると1984年に宣言された貴重な装飾用の石である。
観光 観光 は、2005年にこの部門は国のGDPの1.33%に相当し、15億ドル以上を生成して13.6%増加した1990年代半ば以降、チリの主要な経済資源の一つとなっている。海外での観光振興では、チリは2012年に合計600万ドルの資金を投資した49 。
観光客が本土への全ての訪問の1.8%に達したとき、世界観光機関 (WTO)によると50 、チリのラテン語圏の外国人観光客のための政策は2010年に始まったという51 。その年、国は1,636万ドルの売上高を挙げ、観光客は276万人に達した。これらの訪問者のほとんどは、アルゼンチンや大陸の国から来た人々であった52 。しかし近年の最大の成長は、主にドイツなどのヨーロッパからの訪問者に対応したことである。2011年第1四半期中に、その年の終わりまでに合計306万人となった前年同期比9.2%の増加を表す104万人以上の観光客が来訪した。一方では、合計372万人のチリ人が、2011年に他の国を訪問した53 。
起業 チリは、COVID-19 流行前の2019年、GEM(Global Entrepreneurship Monitor)の研究における総合起業活動指数®(TEA)が世界1位である54 。チリ政府は、2010年よりStart-Up Chile を設立し、2021年には、資金提供や資金調達プラットフォームを設立し、55 スタートアップ を試みる企業への支援を行っている。しかし、事業の休業や廃業も多くみられる。革新的な世界のスタートアップ100社が選出された「テクノロジー・パイオニア・コミュニティ2022」では、チリ発のスタートアップとして、ホームとグロバル66の2社が選出された。チリからは継続的に選出されており、今後の成長が期待される56 。
インフラ
エネルギー チリでは、再生可能資源 があまり多くないため化石燃料 に依存しており、その価格と国際情勢に大きく左右される。2010年には、消費量の30%に相当する日量10640バレル の石油を南部で生産し、残りは輸入された。
また、国内で消費される天然ガス の約53%が輸入されている。推計によると、2009年の消費量、28.4億立方メートルの47.53パーセントに相当する13.5億立方メートルが輸入された。 2000年代のを通して、アルゼンチンはパイプライン を介して主要な輸入元であったが、2009年にキンテロ 港に液化天然ガス (LNG)ターミナルが開設され、輸入元を世界中に多様化している。
チリでは、ノルテグランデ、電力中央相互接続システム、電力システム、アイセン 電力システム、マガジャネスの相互接続システムの4つの電力システムがある。2008年には電力生産は、主に火力発電 により、次に水力発電 によって生成され、6万280ギガワット 時であったと推定される。また、818ギガワット時は、アルゼンチン北部から電気を輸入する計画があったが、実際に輸入されたのは2009年であった。水力発電の発電量が少ないのは、ダムの建設による環境や生態系の破壊を防止するために、政府は水力埋蔵量の20%未満に抑えている。
チリの最初の水力発電は、トーマス・エジソン によって設計され、1896年にロタに建てられた南米で2番目の水力発電所であるチビリンゴ水力発電所である。
現時点では原子力発電所 はないものの、2006年には原子力エネルギーの安全な使用の技術的実現可能性についての議論が始まった。再生可能な資源の候補としては、風力発電 、地熱 、潮力 、太陽光 、太陽熱 などがある。
電気通信 チリは、本島と南極基地を含め、国土の多くをカバーする通信 システムを持っている。1968年にはエンテルチリ 社が所有する、ラテンアメリカで最初の南極衛星通信 地球局が稼働した57 。
2010年の人間開発指数 によれば、チリは100人あたり32.5のインターネットユーザーがいる62 。
1987年に国別トップレベルドメイン「.cl」が登録され、1993年に最初のラテンアメリカのWebサーバ がチリに設置された63 64 。
交通
航空
鉄道 細長い国土を縦に貫く「チリ縦貫鉄道」と、そこから分かれてアンデス山脈や太平洋側の町を結ぶ「支線」が国内の鉄道を構成している。詳細はチリの鉄道 を参照。
チリ国鉄 が後述の近郊電車のほか、サンティアゴと中部のタルカ・チリャンの間に中距離電車を、コンセプシオン やテムコ の間に季節運行の夜行列車を走らせている。南部のプエルトモント を発着する夜行列車は「車両の老朽化」を理由として、2003年に運行が休止された。
サンティアゴ大都市圏にはメトロトレン と呼ばれる近郊電車が運行されているほか、サンティアゴの都心にはフランス の協力で建設された5路線の地下鉄 (メトロ=Metro)があり、さらに数年以内には2路線の開通が予定されている。渋滞の影響を受けない交通機関 として信頼されている。
鉄道による貨物輸送も盛んであり、特に鉱石や木材、水産物などの運搬に重宝されている。
道路
国民 独立直後の1830年にようやく100万人を越えたチリの人口は、1960年のセンサスでは737万4,115人、1970年のセンサスでは888万4,768人、1983年年央推計では約1,168万人となった。
人口 チリの人口は約1,750万人ほどであり69 、1990年代から出生率の低下とともに人口増加率は低くなっている。2050年までには人口2,020万人に達すると見積もられている。国民の85%が都市部に居住し、そのうち40%が大サンティアゴ都市圏に居住している。
そのほか、インディヘナとしては、パスクア島(イースター島)にはポリネシア系の、北部のアンデス山岳地帯にはケチュア人やアイマラ人など、南部ビオビオ川以南の森林地帯にはマプーチェ人 が、その他にはピクンチェ人、ウイリンチェ人、アタカメーニョ人、ディアグイタ人、ペウエンチェ人などが、クリストファー・コロンブス の到来以前より居住しており、こうしたインディヘナを合わせると全人口の5%ほどになる。また、きわめて少数であるが、植民地時代に連れて来られた黒人 奴隷 の子孫としてアフリカ系チリ人が存在するが、チリの黒人は人口の1%に満たない。
言語
宗教 伝統的にローマ・カトリック の国であるが、2012年の国勢調査で自らをカトリックと回答した国民は66.6%と、前回(2002年)の70%から減少した74 75 。プロテスタント は人口の17%で、その9割はペンテコステ派 であった。無宗教や無神論者、不可知論者と回答した国民は全体の12%であった。
2010年のコピアポ鉱山落盤事故 では、坑内に閉じ込められた作業員が、聖書と十字架像を所望したり、聖書をもとに作られた映画が地上から提供されるなどした。
婚姻 通常、婚姻によって改姓することはない(夫婦別姓 )。社交上「de+夫の姓」を追加した複合姓を用いることもあるが、一般的ではなくなりつつある76 。
保健
教育 チリの教育は、2009年の教育法(LGE)によって支配される。
19世紀にフランスとドイツの制度を参考に近代的教育制度が確立された。6歳から13歳までの8年間の初等教育 と前期中等教育 が無償の義務教育期間となり、その後4年間の後期中等教育を経て高等教育 への道が開ける。
識字率は約96.4%78 であり、これはアルゼンチン、ウルグアイ 、キューバ と共にラテンアメリカでもっとも高い部類に入る。
文化
食文化
文学
音楽 チリのフォルクローレ においてはクエッカ と呼ばれるリズムが中央部で発達し90 、そのほかに北部のケチュア人、アイマラ人にはワイニョ などが、南部のマプーチェ人や、パスクア島のポリネシア系住民にも独自のフォルクローレが存在する。
2009年12月5日、首都サンティアゴ・デ・チレ でハラの葬儀が催され、数万人の市民が参加した。1973年当時、ピノチェト軍事独裁政府の弾圧によってハラの葬儀を公式に開催することができなかった。死後36年を経て公式の葬儀が行われ、バチェレ政権の閣僚や政党幹部らも参加した。
映画
世界遺産
祝祭日
スポーツ
科学技術 多数の科学刊行物によると、チリは2011年時点、ラテンアメリカで4位、世界で38位の科学的特許 を持つ。また南極に4つの通年運用拠点、夏の間活動する8つの一時的な拠点を所有している。
国の象徴 チリの紋章には、国の動物であるコンドル (Vultur gryphus、山岳地帯に棲む大型の鳥)とアンデスジカ (Hippocamelus bisulcus、絶滅が危惧されている尾部の白い鹿)が描かれている。これらは国の標語である「理性によって、または力によって」とも関連がある。
国花はコピウエ であり、この花は南部の森林地帯に自生している。
著名な出身者
参考文献
岡本哲史 『衰退のレギュラシオン──チリ経済の開発と衰退化1830-1914年』新評論、東京、2000年12月。
岡本哲史「チリ経済の「奇跡」を再検証する 新自由主義改革の虚像と実像」『ラテン・アメリカは警告する──「構造改革」日本の未来』内橋克人 、佐野誠 編、新評論〈「失われた10年」を超えて──ラテン・アメリカの教訓第1巻〉、東京、2005年4月。
中川文雄 、三田千代子 編『ラテン・アメリカ人と社会』新評論、東京〈ラテンアメリカ・シリーズ4〉、1995年10月。ISBN 4-7948-0272-2。
脚注
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