モロッコ — OpenHistory
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モロッコ - モロッコ王国
- المملكة المغربية(アラビア語)ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ(ベルベル語)
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- 国の標語:الله، الوطن، الملك(アラビア語)ⴰⴽⵓⵛ, ⴰⵎⵓⵔ, ⴰⴳⵍⵍⵉⴷ(ベルベル語派)(神、国、王)ⁱ
- 国歌:النشيد الوطني المغربي(アラビア語)ⵉⵣⵍⵉ ⴰⵏⴰⵎⵓⵔ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ(ベルベル語派)国王万歳
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- ⁱ この標語は、憲法に明記された現国王の標語である。 モロッコ本土のみのデータ。 710,850 kmには、モロッコが主張する西サハラ全体が含まれる。 モロッコ王
建国 1956年4月7日 最終更新 2026/10/16 15:01
目次 1. 国名 2. 歴史 2.1. アル=アンダルスのイスラーム化 2.2. 18世紀まで 2.3. フランス資本の定着まで 2.4. 外資と君主と実効支配 3. 政治 4. 国際関係 4.1. アルジェリアとの関係 4.2. イスラエルとの関係 4.3. 日本との関係 5. 軍事 6. 地方行政区分 6.1. 主要都市 7. 地理 7.1. 気候 7.2. 植生 8. 経済 8.1. 鉱業・電力 8.2. 農業 8.3. 工業 8.4. 貿易 8.5. 観光業 9. 交通 10. 国民 10.1. 民族 10.2. 言語 10.3. 宗教 10.4. 教育 10.5. 保健 11. 文化 11.1. 食文化 11.2. 文学 11.3. 音楽 11.4. 建築 11.5. 祝祭日 11.6. スポーツ 12. 著名な出身者 13. 参考文献 14. 脚注 モロッコ王国
المملكة المغربية (アラビア語)
ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ (ベルベル語)
国の標語:الله، الوطن، الملك(アラビア語)
ⴰⴽⵓⵛ, ⴰⵎⵓⵔ, ⴰⴳⵍⵍⵉⴷ(ベルベル語派)
(神、国、王)1
国歌 :النشيد الوطني المغربي (アラビア語)
ⵉⵣⵍⵉ ⴰⵏⴰⵎⵓⵔ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ(ベルベル語派)
国王万歳
1 この標語は、憲法に明記された現国王の標語である。
2 モロッコ本土のみのデータ。
3 710,850 km2には、モロッコが主張する西サハラ全体が含まれる1 。
モロッコ王国 (モロッコおうこく、アラビア語 : المملكة المغربية、ベルベル語 : ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ)、通称モロッコ は、北アフリカ 北西部のマグリブ に位置する立憲君主制 の国家 である。東でアルジェリア と、南で西サハラ (紛争地域)と、北でスペイン の飛地 (セウタ とメリリャ )と接し、西は大西洋 に、北は地中海 に面している。首都はラバト である。
南に接する西サハラはスペインが放棄後、モロッコと現地住民による亡命政府であるサハラ・アラブ民主共和国 の両国が領有権を主張している。モロッコは西サハラの約7.5割を実効支配 しているが、領有を承認しているのはアメリカ合衆国をはじめとした50か国程度にとどまり、国際的には広く認められていない(西サハラの法的地位 を参照)。実効支配下を含めた面積は約604,107 km2(うち2 、西サハラ部分が190,100 km2)、人口は33,848,242人(2014年国勢調査 )。
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国名 正式名称はアラビア語 で、المملكة المغربية (Al-Mamlaka l-Maghribiya 、アル=マムラカ・ル=マグリビーヤ)。通称、المغرب (al-Maghrib、アル=マグリブ、「マグリブ の王国」の意味)。ベルベル語 で ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ (tageldit n lmeɣrib )、通称 ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ (Lmeɣrib、ルマグリブ)。
公式のフランス語表記は、Royaume du Maroc (ロワイヨーム・デュ・マロック)。 通称、Maroc 。
公式の英語表記は、Kingdom of Morocco (キングダム・オヴ・モロッコ)。通称、Morocco 。
日本語の表記は、モロッコ王国 。通称、モロッコ 。漢字の当て字 は、摩洛哥 ・馬羅哥 ・莫羅哥 ・茂禄子 など4 。
アラビア語の国名にある「マグリブ 」は、「日の没する地」「西方」を意味する。「マグリブ」は地域名としては北アフリカ西部を指すが、モロッコはマグリブの中でも最も西の果てにある国と位置付けられる。中世には他のマグリブ地域と区別するために「アル=マグリブ・ル=アクサー」(極西)とも呼ばれていた。
アラビア語以外の多くの言語での国名である「モロッコ」は、以前の首都マラケシュ に由来する。
トルコ語 での国名は「Fas」で、1925年までの首都フェズ に由来する。
歴史
アル=アンダルスのイスラーム化
18世紀まで マリーン朝の滅亡後、1472年にワッタース朝 フェス王国 が成立したが、1492年にカトリック両王 の下で誕生したスペイン王国 がナスル朝を滅ぼしてレコンキスタを完遂すると、ワッタース朝はポルトガルに加え、スペインの脅威をも受けることにもなった。ワッタース朝は衰退し、ポルトガルに攻略されたアガディール などを奪還したサアド朝 (サーディ朝)によってフェスを攻略され、1550年に滅亡した。
1660年に現在まで続くアラウィー朝 が成立した。1757年に即位したムハンマド3世はヨーロッパ諸国との友好政策を採り、デンマーク を皮切りに各国と通商協定を結び、1777年には世界で初めてアメリカ合衆国 を承認した。
フランス資本の定着まで 1904年の英仏協商 でモロッコを狙っていたイギリス・フランス両国の妥協が成立し、フランスがモロッコにおける優越権を獲得した。なお、これが1905年に英仏協商に反対していたドイツ帝国が、タンジール事件 を起こした原因になった。さらに1911年にドイツ帝国が再びアガディール事件 を起こし、フランスを威嚇したものの、最終的にはドイツが妥協した。1912年のフェス条約 で国土の大部分がフランスの保護領にされ、仏西条約 で北部リーフ地域はスペイン領モロッコ となった。
モロッコは1956年にフランスから独立した。スペインはセウタ 、メリリャ 、イフニ の飛地領とモロッコ南部保護領(タルファヤ 地方)を除いてスペイン領の領有権を放棄した。翌1957年にスルターン ・ムハンマド5世 が国王に即位し、スルターン号が廃止された。1957年にイフニを巡ってスペインとの間でイフニ戦争 が勃発し、紛争の結果、スペインは南部保護領だったタルファヤ地方をモロッコへ返還した。
外資と君主と実効支配 1961年にハサン皇太子 が、父の死去に伴い国王に即位した。翌1962年に憲法 が制定され、モロッコは君主の権限の強い立憲君主制 国家に移行した。ハサン2世は内政面では政党を弾圧し、軍部と警察に依拠して国内を統治しながら外資 導入を軸に経済発展を進め、対外的にはアメリカ合衆国 など西側諸国 との協力関係を重視しながらも、パレスチナ問題 ではアラブを支持した。1965年にはハッサン2世への反対運動を展開していた人民諸勢力全国同盟(UNFP)の党首・メフディー・ベン・バルカ の失踪事件が、パリ で起こった。1967年のイスラエル と6日間戦争 の結果、アラブ世界 に復帰した。1969年にはスペインが飛地領のイフニをモロッコに譲渡したが、スペイン領西サハラ はスペインの領有が続いた。
1992年に憲法が改正された。1999年に国王ハサン2世 が死去したため、シディ・ムハンマド皇太子がムハンマド6世 として即位した。同年から直接投資 受入額が急伸した。2002年にペレヒル島危機 が起こり、スペイン との間で緊張が高まったものの、アメリカ合衆国の仲裁で戦争には至らなかった。2003年5月16日にイスラーム主義 組織によって、カサブランカ で自爆テロ事件が発生した。ムハンマド6世は2004年の新家族法の制定に主導権を執るなど、自由主義的 な改革を進める立場を示した。モロッコの実質経済成長率は、1997年のマイナス成長を最後に、2019年までプラス成長を続けている。
世界金融危機 が最も顕在化した2008年10月に、モロッコはEU の近隣諸国で初めて「優先的地位(Advanced Status)」を獲得した8 9 。
2016年7月17日に、ムハンマド6世がアフリカ連合への復帰を目指すと表明した10 11 。2016年9月には加盟申請を行った旨を明らかにした12 。そして2017年1月31日に、エチオピアの首都アディスアベバ で開かれた首脳会議で、アフリカ連合への再加入が承認された13 。
2018年5月1日に、モロッコのブリタ外務大臣が、イラン との国交を断絶したと表明した。西サハラで独立運動を展開するポリサリオ戦線に対して、イランおよびイランの影響下にあるヒズボラ (レバノン のイスラム教シーア派 組織)が、アルジェリア経由で支援を与えている事を理由に挙げた。なお、イランとは2009年~2014年にも断交していた14 。
2021年8月24日にアルジェリア政府は、カビリー地方の独立運動や国内の山火事にモロッコが関与しているとして、モロッコとの国交断絶を宣言した15 。
政治 2011年の2月から4月にかけて、アラブの春 の影響でデモ が発生し、憲法改正 が承諾された。2011年7月の憲法改正により、国王の権限縮小と首相の権限強化が為された16 。
2011年の憲法改正後、2011年11月25日に実施された下院選挙では、定数395議席の内、公正発展党 (PDJ) が80議席を獲得し、第1党となった18 19 。政党連合「民主主義連合」を形成する独立党(イスティクラール党)は45議席となった。この2011年の選挙以降は、それまで国王任命であった首相が、選挙で多数議席を獲得した政党から選出されている。
合法イスラーム主義政党の公正発展党 以外にも、モロッコ・アフガン やAQIM などの非合法イスラーム主義組織が存在する。しかし、2003年のカサブランカでの自爆テロ事件以降、非合法イスラーム主義組織は厳しく取り締まられている。
国際関係 西サハラを放棄したモーリタニアとは異なり、西サハラを併合したいモロッコと、それを承認しない国際社会の利害対立は有る。 隣国で言えば、西サハラの支援をするアルジェリアとは対立してきた。
一方で、特に地理的に近いスペインやフランスとの関係は深く、貿易の上で重要な地位を占める。
またイスラム教以外を禁止してはいないものの、イスラム教を国教としており、イスラム教圏、特にアラブ諸国との関係も密接である。
アルジェリアとの関係 隣国のアルジェリアとは互いに反政府勢力を支援しているとして、長年緊張関係が続いてきた15 。2021年8月にアルジェリア政府は国内で発生した山火事に、モロッコが関与していると発表した15 。2021年8月24日にアルジェリアは、モロッコとの国交断絶を宣言した15 。
イスラエルとの関係 モロッコはアラブ諸国の中でもユダヤ人に寛容な国の一つであるため、モロッコにはユダヤ人が多く暮らしていた歴史があり、現在も約2000人のユダヤ人がモロッコで生活している20 。2020年12月10日にはアメリカの仲介により、モロッコはイスラエルと国交正常化した。これによりモロッコはアラブ諸国でイスラエルと国交正常化した6カ国目の国となった21 。また、2023年7月17日にイスラエルはモロッコによる西サハラの主権を認めた22 。
日本との関係
在留日本人数 - 350名(2018年10月,在留邦人統計)23
在日モロッコ人数 - 637名(2019年06月,在留外国人統計)23
軍事 モロッコには18ヶ月の徴兵 期間が存在し、50歳まで予備役義務が存在する。国軍は王立陸軍、海軍、空軍、国家警察、王立ジャンダルメ から構成される。国王は憲法によって軍の最高司令官であると規定されている。 2003年のカサブランカ でのテロのような例外を除いて、軍の派遣は稀である。国際連合 は小規模な監視部隊を、多くのモロッコ兵が駐留している西サハラに維持している。
なお、赤道ギニア など数か国に、元首の警護や軍事教練などを目的として、少数の将兵を派遣している。
地方行政区分 モロッコの行政区分は、12の地方と、51の第2級行政区画で構成されている。この行政区画は西サハラおよびサハラ・アラブ民主共和国 の実効支配地域を含む。
主要都市 2021年時点で、人口100万人を超えていた都市が2つ存在する。一方で、2020年時点でも、都市人口率は63.5パーセントと低い24 。
カサブランカ - モロッコ最大の都市で、2021年時点での人口は、314万人である25 。映画 でも名を知られている。加工貿易のための特区が設けられている。さらに、金融業のための特区も設けられている。
ケニトラ - 2021年の時点での人口は、36.7万人である25 。加工貿易のための特区が設けられている。
エルジャディダ - 2021年の時点での人口は、14.8万人である25 。
マラケシュ - 2021年の時点での人口は、83.9万人である25 。観光業が盛んである。かつては都が置かれ、モロッコの国名も、この都市名に由来する。
フェズ - 2021年の時点での人口は、96.5万人である25 。かつてはモロッコの首都であった。迷宮のような市街地が有名。
タンジール - 2021年の時点での人口は、68.8万人である25 。ジブラルタル海峡に面しており、スペインと近い。加工貿易のための特区が設けられている。
ラバト - モロッコの首都である。2021年時点の人口は、166万人である25 。ブー・レグレ川 の河口は、ここに有る。
テトゥワン - 2021年の時点での人口は、32.6万人である25 。地中海に面する。
アガディール - 2021年の時点での人口は、69.8万人である25 。大西洋に面し、漁業も行われる。
クーリブガ - 2021年の時点での人口は、16.8万人である25 。リン鉱石の採掘で知られ、港町のカサブランカとは鉄道で結ばれている。
ウジタ - 2021年の時点での人口は、40.5万人である25 。アルジェリアとの国境付近の町で、アルジェリアの首都のアルジェ方面への鉄道も通る。鉛や亜鉛の主要な鉱山も存在する。
地理 モロッコの国土は、アフリカ大陸の北西端に位置する。海岸のうち約3/4は北大西洋に面し、残りは地中海に沿っている。東西1300 km、南北1000 kmに伸びる国土の形状は、約45度傾いた歪んだ長方形に見える。モロッコの南西に分布するカナリア諸島 はスペイン領であり、本土以外に国土を持たない。国土の北部、地中海沿岸のセウタ とメリリャ は、スペイン本国の飛地である。南西側で陸続きの西サハラ を実効支配しているものの、国際社会で占領行為の正当性が広く認められているわけではない。なお、西サハラはかつてスペインの植民地(スペイン領サハラ )だった。
モロッコには大きな山脈が4つある。リーフ地方 (エル・リーフ)の山脈は他の3つの山脈とは独立し、地中海沿いのセウタやメリリャを北に眺め下ろしている。最高地点は約2400 mである。南方の3つの山脈はアトラス山脈 に属する。アトラス山脈自体はチュニジア 北部からアルジェリア北部を通過し、ほぼモロッコの南西端まで2000 km以上にわたって延びる。アトラス山脈は複数の山脈が平行に走る褶曲山脈 である。モロッコ国内では北から順に、中アトラス山脈(モワヤンアトラス山脈)、大アトラス山脈(オートアトラス山脈)、前アトラス山脈(アンティアトラス山脈)と呼ばれる。アンティアトラス山脈の南斜面が終わる付近に国境がある。アトラス山脈の平均標高は3000 mを超え、国土のほぼ中央にそびえる標高4165 mのツブカル山 (トゥブカル山)が国内最高地点であり、北アフリカの最高峰でもある。カサブランカ などのモロッコの主要都市は大西洋岸の海岸線、もしくはリーフ山地の西、中アトラス山脈の北斜面から海岸線に向かって広がるモロッコ大平原地帯に点在する。
ジブラルタル海峡を挟んでスペインと向き合う26 。スペイン=モロッコ間は、ユーラシアプレート とアフリカプレート の境界に当たる。アフリカプレートが年間0.6 cmの速度で北進したため、アトラス山脈が生成したと考えられている。アトラス山脈の南には山脈の全長にわたって巨大な断層が続く。このため地球上では比較的、地震の発生が多い地域である。記録的な大地震は隣国アルジェリアに多いものの、リスボン大地震 と同時期の1755年11月19日に発生した地震や1757年4月15日の地震では、いずれも死者が3000人に達した。1960年2月29日の地震は被害が大きく、死者は1万5000人だった。
主要河川は、地中海に流れ込むムルーヤ川 、大西洋に流れ込むスース川 、テンシフィット川 など10本程度ある。ジス川 とレリス川 は、サハラ沙漠 に向かって流れ降る。ドラア川 もサハラ砂漠に向かって流れるが、この川は雨量が非常に多い場合にはサハラを横断して大西洋に注ぐ場合がある。エジプト 、スーダン を縦断するナイル川 を除くと、モロッコは北アフリカでは最も水系が発達している。さらに、山脈による充分な高低差も存在する。これらの理由で、降水量が比較的少ないのにも拘らず、総発電量の約6パーセントを水力発電 でまかなってきた。
気候 年間を通じて、大西洋上に海洋性熱帯気団 が居座っており、常に北東の向きの風が卓越している27 。2023年の時点で、既にモロッコの総発電量の約7%28 ( アフリカ第二位の割合29 )が風力発電 で占められていた理由の1つが、ここにある。
モロッコ沿岸を北から南の方向へと、寒流のカナリア海流 が流れる。さらに、モロッコの内陸部に連なるアトラス山脈が、海からの湿気を遮るために、山脈を境界として気候が変わる。
ケッペンの気候区分 によると、アトラス山脈より北は地中海性気候 (Cs) に一部ステップ気候 (Bs)が混じる。基本的に夏に乾燥する気候である。アトラス山脈やリフ山脈の標高の高い場所では、冬季に積雪が見られる。アトラス山脈の南斜面はそのままサハラ沙漠につながっており、北部がギール砂漠、南部がドラー砂漠と細分される。気候区分は、砂漠気候 (BW)である。
モロッコ最大の都市であるカサブランカの気候は、1月の気温が12.4 ℃、7月が22.3 ℃で、年間降水量は379.7 mm である。冬季の降水量は100 (mm/月)に達するのに対し、夏季には1 mmを下回る。首都ラバトの気候もカサブランカとほぼ同じである。
植生 国土の北部を中心に、約12パーセントを森林が占める。また国土の18パーセントを農耕地が占め、農耕地の5パーセントは灌漑によって維持されている。一方で、アトラス山脈の南側は、沙漠地帯が目立つ。
経済 カサブランカはモロッコ最大の経済都市であり、アフリカ有数の世界都市 である。
IMF の統計によると、2015年のモロッコの国内総生産(GDP) は、約1031億ドル である。国民1人当たりのGDPは3079ドルと、アフリカ諸国では比較的高い水準にあり、アジアなどの新興国 に匹敵するレベルである。アフリカでは経済基盤も発達している方だとされる。
モロッコの主要な貿易相手国としては、地理的に近い先進国のフランスとスペインが挙げられる31 。モロッコ自身は先進工業国とは呼べないが、衣料品などの軽工業のほか、石油精製や肥料などの基礎的な諸工業が発達している(以下、統計資料はFAO Production Yearbook 2002、United Nations Industrial Commodity Statistical Yearbook 2001年を用いた)。かつて宗主国 だったフランスだけでなく、欧米諸国の企業が、自動車や鉄道・航空機部品などの工場を増やしている。これはモロッコがアフリカでは政情・治安が安定していると判断され、インフラストラクチャー が整備されており、50以上の国・地域と自由貿易協定(FTA) を締結していて輸出がし易いという背景がある32 。その他ヨーロッパ連合 諸国に出稼ぎ、移住したモロッコ人による送金も外貨収入源となっている。
なお、カサブランカやタンジールやケニトラには、加工貿易用のフリーゾーンが設けられている。カサブランカには金融フリーゾーン(カサブランカ・ファイナンス・シティ)もある。モロッコ以外のアフリカ諸国へ進出する外国企業への税制面の優遇措置も導入し、アフリカ・ビジネスの拠点(ハブ)になりつつある33 。
また、モロッコは羊毛 の生産や34 、同じく繊維材料のサイザルアサ の栽培でも知られ34 、繊維製品や衣料製品といった軽工業などの工業生産も見られる35 。また、皮革製品の製造も行われている35 。
さらに、生産量世界第6位のオリーブ 栽培などの農業が経済に貢献している。
これらに加えて、大西洋岸は漁場として優れており、魚介類の輸出もモロッコにとっては主要な産業である36 。
鉱業・電力 エネルギー資源に関しては、原油と天然ガスが少し産出する程度で37 、産油国とまでは言えない程度である。一方で、鉱業の分野では、合金として幅広い用途を有するコバルト 34 、また亜鉛 も産出するものの34 、それよりも亜鉛などの工業的な精製の際に不純物を取り除くためなどに用いるストロンチウム 34 、さらに肥料などの原料として知られるリン鉱石 の採掘が盛んである34 38 。また、鉛 も比較的有力な鉱産資源である。これ以外にも、ニッケル 、鉄 、銅 、銀 、金 の採掘も行われている34 。
モロッコの鉱物資源はアトラス山脈の断層地帯に集中しており、アトラス山脈の造山活動によって鉱脈が形成されたと考えられている。例えば、かつてはマラケシュの東で、マンガン の採掘も行われていた。また例えば、ウジタで亜鉛や鉛が採掘されている。
農業などに利用できない砂漠では、再生可能エネルギー による発電を拡大している。太陽光発電 所や太陽熱発電 所、風力発電 所が相次ぎ建設されており、スペイン企業による風力発電機の生産も2017年に始まった。エネルギー消費に占める再生可能エネルギーの比率(20%強)を2030年に52%へ高めることを計画している39 。
農業 アトラス山脈よりも北側の大西洋沿岸地域や地中海沿岸地域では、ある程度の降水量が見込めるため天水 に頼った農業が可能である。農業従事者は429万人(2005年)である。国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計(2005年)によると、世界第7位のオリーブ (50万トン、世界シェア3.5%)、第9位のサイザルアサ (2200トン)が目立つ。世界シェア1%を超える農作物は、テンサイ (456万トン、1.9%)、オレンジ (124万トン、1.5%)、トマト (120万トン、1.0%)、ナツメヤシ (6万9000トン、1.0%)がある。主要穀物の栽培量は乾燥に強いコムギ (304万トン)、次いでジャガイモ (144万トン)、オオムギ (110万トン)である。
畜産業はヒツジ (1703万頭)、ニワトリ (1億4000万羽)を主とする。
工業 モロッコは世界的に見て硫酸 の製造の盛んな地域であり、2004年の製造量は、950万トンであった34 。
貿易 モロッコの輸出額は238億ドル。品目は、 機械類 (15.9%) 、 衣類 (14.4%) 、化学肥料 (8.8%)、野菜・果実 (7.9%)、魚介類 (7.6%) である。(2011年) ここで言う電気機械とは、電気ケーブルを意味している。リン鉱石は価格が安いため、品目の割合としては5位である。主な相手国は、輸出は、スペイン、フランス 、ブラジル、イタリア、インド 。(2014年)
モロッコの輸入額は116億ドル。品目は、原油 (12.0%)、繊維 (11.9%)、電気機械 (11.7%)。主な相手国はスペイン、フランス、中国、アメリカ合衆国、イギリスである。(2014年)
参考までに、モロッコにとって主要な貿易相手国ではないものの、日本との貿易では、輸出がタコ (61.1%)、モンゴウイカ (7.3%)、衣類 (5.1%)の順で、リン鉱石も5位に入る。輸入は、乗用車 (32.4%)、トラック (28.6%)、タイヤ (5.6%)である。
観光業 モロッコ政府としても観光立国を掲げ、人材や観光地の育成に注力している43 。2015年の観光客数は在外モロッコ人の割合が増加傾向にあるが、約1018万人を数えた43 。
交通
国民 2004年にムハンマド6世の主導権によって新家族法が成立し、女性の婚姻可能年齢は18歳以上に引き上げられ、一夫多妻制 についても厳しい基準が要求されるようになった。ただし、現在も一夫多妻制は条件を満たせば認められる。特に著名なモロッコのフェミニストとして、イスラーム教をフェミニズム 的に読み替えることで男女平等の実現を達成することを主張するファーティマ・メルニーシー の名が挙げられる。新家族法制定で、女性は結婚時に夫に複数の妻(イスラム教徒の男は4人まで妻を持てる)を持たないよう求めることができ、女性から離婚 を請求することができ、家庭における夫婦の責任が同等となり、女性は自分自身で結婚を決めることができるようになった44 。
1999年にマイクロクレジット 法が成立し、政府やNGO団体の協力により受益者が増えている。
民族 歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人 が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人 である。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血 がほとんどと言われる事が多いが、実際は両者の混血が進んでいる。また過去に存在したベルベル人の独立問題などもあり(リーフ共和国 )、モロッコ政府としては、あくまでも両者はモロッコ人であるという考え方の元で、敢えて民族ごとの統計を取るなどの作業は行われていない。
ユダヤ人 はモロッコ各地の旧市街に存在するメラーと呼ばれる地区に古くから居住していたが、イスラエル 建国以来イスラエルやカナダ などへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。その他にもブラックアフリカ に起源を持つ黒人 などのマイノリティも存在する。
言語 なお、山岳地帯では、タマジグト と総称されるベルベル語が話され、これらは大別してタシュリヒート語 (モワイヤン、オートアトラス地域)、タスーシッツ語 (アガディール地方、アンチアトラス地域)、タアリフィート語 (リーフ山脈地域)に分かれている。また、ベルベル人は、国内のアラブ人からはシルハと呼ばれるのに対し、ベルベル人自身は自分達をイマジゲン(自由な人の意)と呼ぶ。ベルベル語が話されないアラブ人家庭に生まれ育つと、ベルベル語は全く理解できない事が多い。これはアラビア語とベルベル語とが、全く異なった言語のためである。
また、かつてモロッコはフランスの保護領であったためにフランス語 も比較的有力であり、さらに現在でもモロッコにとっては貿易相手としてフランスが重要なため、第二言語 としてフランス語が教えられ、政府、教育、メディア、ビジネスなどで幅広く使われ、全世代に通用するなど準公用語的地位にある。公文書は基本的にアラビア語、一部の書類はフランス語でも書かれる。商品や案内表記などは、アラビア語とフランス語が併記されている場合が多い。
一方で、タンジェ のようなモロッコの北端部の都市はスペインの影響が強く、スペイン語 もよく通じる。
宗教
教育 6歳から13歳までの7年間の初等教育 が、義務教育と定められているものの、就学率は低い。モロッコの教育は初等教育を通して無料かつ必修である。それにもかかわらず、特に農村部の女子を始めとした多くの子供が、学校に通っていない。教育はアラビア語やフランス語で行われる。識字率は男性84.8%、女性67.4%(2021年推定)46 。農村部の女子に至っては非識字率が90%近くにまで達する。
保健
医療 医療機関の質は悪くないが、医療サービスの質はあまり良いとは言えない。47
性別適合手術 世界中の少なからぬ国において、モロッコという国名から「性転換 」手術をイメージする人々が、特に1970年産まれ以前の世代では少なからず存在している。
これは男性から女性への性転換手術、現在で言う性別適合手術 の技法が、モロッコのマラケシュに在住していたフランス人医師ジョルジュ・ビュルー により開発された事に起因する。ビュルーが手法を確立した1950年代後半以降、フランスの有名なキャバレー 「カルーゼル」に所属していた多くの「性転換ダンサー」がビュルーの手術を受けたため有名になり、一時期は世界中から「女性に生まれ変わりたい」という願望を抱く男性が大量にマラケシュのビュルーの所へと押し寄せた。
日本もその例外ではなく、1960年代に3回にわたって行われた「カルーゼル」のダンサー(いわゆる「ブルーボーイ」)の日本公演が、この性転換手術の存在が知られる1つのきっかけとなり、その後、有名な例では、芸能タレントのカルーセル麻紀 や、俳優の光岡優 などが、モロッコに渡航しビュルーの執刀による手術を受けた。特に日本においては1973年以降のカルーセル麻紀に関する各種報道の影響で「性転換手術」=「モロッコ」のイメージが広まり、その影響は長らく残った48 。
なお、ビュルーは1987年に死亡し、今日では性別適合手術を希望する人は手術してくれる病院・医師の数が豊富なタイ王国 で受けるのが主流となっている。
妊娠中絶 モロッコで妊娠中絶 は、法的に認可されていない。ウィミン・オン・ウェーブ (オランダの医師が1999年に設立した団体)が、モロッコで望まぬ妊娠をしている女性を船に乗せて、公海上で中絶手術をする目的で2012年にモロッコに入港しようとしたが、モロッコ海軍に阻止されて追い返された49 。同船の医師は、モロッコでは違法に実施される危険な中絶処置のために、年間90人のモロッコ人女性の命が失われているとし、安全に中絶処置が実施される必要性を訴えた49 。
文化
食文化 モロッコで主食としている作物は、コムギである地域が目立つ50 。ただし、地域によって特色も見られる。例えば、モロッコは漁業が重要な産業の1つであり36 、海岸部では魚介類を利用した料理が見られる51 。また、乾燥地帯の多い土地柄で、水が貴重な地域も有り、水を節約すべく蒸し煮を行うためのタジン鍋 を多用する50 。モロッコでは牧畜も行われており、モロッコで最も一般的に食される赤味の肉は牛肉であり、モロッコ産の羊肉は好まれるが相対的に高価である。特に沙漠地域では、食肉をタジン鍋で調理した料理を食べる頻度が比較的高い50 。
ただし、数世紀に及ぶモロッコと外部世界の相互作用の結果として、モロッコの料理は多様である。モロッコ料理はベルベル、スペイン、コルシカ、ポルトガル、ムーア、中東、地中海、アフリカの各料理の混合である。モロッコ料理は土着のベルベル料理、スペインから追放されたモリスコ がもたらしたアラブ・アンダルシア料理、トルコ人 によってもたらされたトルコ料理 、アラブ人がもたらした中東料理の影響を受けており、ユダヤ料理 の影響も同等である。
文学 モロッコ文学はアラビア語、ベルベル語、フランス語で書かれる。アル=アンダルス で発達した文学もまた、モロッコ文学に位置づけられる。ムワッヒド朝下のモロッコは繁栄の時代を経験し、学術が栄えた。ムワッヒド朝はマラケシュを建設し、同時に書店を設立し、これが後世の者に「史上初の書籍市」とも評された。ムワッヒド朝のカリフであったアブー・ヤアクーブ は、本の収集をこの上なく好んだ。彼は偉大な図書館を設立し、その図書館は最終的にカスバとなり、公立図書館となった。中世においてタンジェ出身のイブン・バットゥータ はアフリカ、アジア、 ヨーロッパに巡る大旅行の体験を述べた紀行文学『大旅行記 』(『三大陸周遊記』、1355年)を著した。
近代モロッコ文学は1930年代に始まった。モロッコがフランスとスペインの保護領だった事は、モロッコの知識人に他のアラブ文学やヨーロッパとの自由な接触の享受による、文学作品の交換と執筆の余地を残した。
音楽 モロッコ音楽は、アラブ起源の楽曲が支配的である。ただし、その他にもベルベル人のアッヒドゥース やアフワーシュ 、黒人のグナワ (「ギニア 」に由来)、イベリア半島のイスラーム王朝からもたらされ、ヌーバ と呼ばれて高度に体系化されたアル=アンダルス音楽など、多様な音楽の形態が存在する。
建築
祝祭日 モロッコには下記のモロッコの祝日に加えイスラム教の祝日も存在する。モロッコの祝日は毎年同じ日に祝られるが、イスラム教の祝日はイスラム暦によって決められるため移動祝日である53 。
スポーツ 1961年に参戦したデビスカップ でも当初は長らく弱小国であったが、上記3人の活躍と共に次第に強くなっていき、彼らが全盛期を迎えた1990年代後半から2000年代前半には、最上位カテゴリのワールドグループに通算で5回の出場を果たし、テニス強豪国の一角を占めるまでになった。ただ3人の引退に伴う2000年代後半以降は低迷したものの、2010年代にシングルスランキングで100番台に乗せてきた、レダ・エル・アムラニのような若手も現れ始めている。
フェドカップ の同国代表も、大会参戦開始は1966年と中東諸国の中でも最も早かったが、この年の出場後の1995年に再び参加するまで、30年近く国際舞台の場に出なかった。その後も断続的な参加を続けた程度に過ぎず、2010年時点までの通算参加年数はわずか9年に留まっている。
モロッコの著名な格闘家 では、K-1 とIT'S SHOWTIME の元ヘビー級 王者である**バダ・ハリ **がおり、かつてK-1世界ヘビー級王者戴冠後に「モロッコは世界的に自慢できる物が無い国なんだ。だから俺がK-1世界王者として活躍する事によって、世界中の人々に "モロッコ?ハリの母国だよね" と言ってもらえるようにしたい。"世界王者" という部分が重要なんだ」と語った。
著名な出身者
参考文献
川田順造『マグレブ紀行』中央公論社、東京〈中公新書246〉、1971年1月。
私市正年、佐藤健太郎(編著)『モロッコを知るための65章』明石書店、東京〈エリア・スタディーズ〉、2007年4月。ISBN 978-4-7503-2519-4。
佐藤次高(編)『西アジア史I──アラブ』山川出版社、東京〈新版世界各国史8〉、2002年3月。ISBN 4634413809。
福井英一郎(編)『アフリカI』朝倉書店、東京〈世界地理9〉、2002年9月。ISBN 4-254-16539-0。
宮治一雄『アフリカ現代史V』(2000年4月第2版)山川出版社、東京〈世界現代史17〉。ISBN 4-634-42170-4。
脚注
軍事
モロッコ王国
المملكة المغربية (アラビア語)
ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ (ベルベル語)
国の標語:الله، الوطن، الملك(アラビア語)
ⴰⴽⵓⵛ, ⴰⵎⵓⵔ, ⴰⴳⵍⵍⵉⴷ(ベルベル語派)
(神、国、王)1
国歌 :النشيد الوطني المغربي (アラビア語)
ⵉⵣⵍⵉ ⴰⵏⴰⵎⵓⵔ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ(ベルベル語派)
国王万歳
1 この標語は、憲法に明記された現国王の標語である。
2 モロッコ本土のみのデータ。
3 710,850 km2には、モロッコが主張する西サハラ全体が含まれる1 。
モロッコ王国 (モロッコおうこく、アラビア語 : المملكة المغربية、ベルベル語 : ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ)、通称モロッコ は、北アフリカ 北西部のマグリブ に位置する立憲君主制 の国家 である。東でアルジェリア と、南で西サハラ (紛争地域)と、北でスペイン の飛地 (セウタ とメリリャ )と接し、西は大西洋 に、北は地中海 に面している。首都はラバト である。
南に接する西サハラはスペインが放棄後、モロッコと現地住民による亡命政府であるサハラ・アラブ民主共和国 の両国が領有権を主張している。モロッコは西サハラの約7.5割を実効支配 しているが、領有を承認しているのはアメリカ合衆国をはじめとした50か国程度にとどまり、国際的には広く認められていない( を参照)。実効支配下を含めた面積は約604,107 km2(うち 、西サハラ部分が190,100 km2)、人口は33,848,242人(2014年国勢調査 )。
国名 正式名称はアラビア語 で、المملكة المغربية (Al-Mamlaka l-Maghribiya 、アル=マムラカ・ル=マグリビーヤ)。通称、المغرب (al-Maghrib、アル=マグリブ、「マグリブ の王国」の意味)。ベルベル語 で ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ (tageldit n lmeɣrib )、通称 ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ (Lmeɣrib、ルマグリブ)。
公式のフランス語表記は、Royaume du Maroc (ロワイヨーム・デュ・マロック)。 通称、Maroc 。
公式の英語表記は、Kingdom of Morocco (キングダム・オヴ・モロッコ)。通称、Morocco 。
日本語の表記は、モロッコ王国 。通称、モロッコ 。漢字の当て字 は、摩洛哥 ・馬羅哥 ・莫羅哥 ・茂禄子 など4 。
アラビア語の国名にある「マグリブ 」は、「日の没する地」「西方」を意味する。「マグリブ」は地域名としては北アフリカ西部を指すが、モロッコはマグリブの中でも最も西の果てにある国と位置付けられる。中世には他のマグリブ地域と区別するために「アル=マグリブ・ル=アクサー」(極西)とも呼ばれていた。
アラビア語以外の多くの言語での国名である「モロッコ」は、以前の首都マラケシュ に由来する。
トルコ語 での国名は「Fas」で、1925年までの首都フェズ に由来する。
歴史
アル=アンダルスのイスラーム化
18世紀まで マリーン朝の滅亡後、1472年にワッタース朝 フェス王国 が成立したが、1492年にカトリック両王 の下で誕生したスペイン王国 がナスル朝を滅ぼしてレコンキスタを完遂すると、ワッタース朝はポルトガルに加え、スペインの脅威をも受けることにもなった。ワッタース朝は衰退し、ポルトガルに攻略されたアガディール などを奪還したサアド朝 (サーディ朝)によってフェスを攻略され、1550年に滅亡した。
1660年に現在まで続くアラウィー朝 が成立した。1757年に即位したムハンマド3世はヨーロッパ諸国との友好政策を採り、デンマーク を皮切りに各国と通商協定を結び、1777年には世界で初めてアメリカ合衆国 を承認した。
フランス資本の定着まで 1904年の英仏協商 でモロッコを狙っていたイギリス・フランス両国の妥協が成立し、フランスがモロッコにおける優越権を獲得した。なお、これが1905年に英仏協商に反対していたドイツ帝国が、タンジール事件 を起こした原因になった。さらに1911年にドイツ帝国が再びアガディール事件 を起こし、フランスを威嚇したものの、最終的にはドイツが妥協した。1912年のフェス条約 で国土の大部分がフランスの保護領にされ、仏西条約 で北部リーフ地域はスペイン領モロッコ となった。
モロッコは1956年にフランスから独立した。スペインはセウタ 、メリリャ 、イフニ の飛地領とモロッコ南部保護領(タルファヤ 地方)を除いてスペイン領の領有権を放棄した。翌1957年にスルターン ・ムハンマド5世 が国王に即位し、スルターン号が廃止された。1957年にイフニを巡ってスペインとの間でイフニ戦争 が勃発し、紛争の結果、スペインは南部保護領だったタルファヤ地方をモロッコへ返還した。
外資と君主と実効支配 1961年にハサン皇太子 が、父の死去に伴い国王に即位した。翌1962年に憲法 が制定され、モロッコは君主の権限の強い立憲君主制 国家に移行した。ハサン2世は内政面では政党を弾圧し、軍部と警察に依拠して国内を統治しながら外資 導入を軸に経済発展を進め、対外的にはアメリカ合衆国 など西側諸国 との協力関係を重視しながらも、パレスチナ問題 ではアラブを支持した。1965年にはハッサン2世への反対運動を展開していた人民諸勢力全国同盟(UNFP)の党首・メフディー・ベン・バルカ の失踪事件が、パリ で起こった。1967年のイスラエル と6日間戦争 の結果、アラブ世界 に復帰した。1969年にはスペインが飛地領のイフニをモロッコに譲渡したが、スペイン領西サハラ はスペインの領有が続いた。
1992年に憲法が改正された。1999年に国王ハサン2世 が死去したため、シディ・ムハンマド皇太子がムハンマド6世 として即位した。同年から直接投資 受入額が急伸した。2002年にペレヒル島危機 が起こり、スペイン との間で緊張が高まったものの、アメリカ合衆国の仲裁で戦争には至らなかった。2003年5月16日にイスラーム主義 組織によって、カサブランカ で自爆テロ事件が発生した。ムハンマド6世は2004年の新家族法の制定に主導権を執るなど、自由主義的 な改革を進める立場を示した。モロッコの実質経済成長率は、1997年のマイナス成長を最後に、2019年までプラス成長を続けている。
世界金融危機 が最も顕在化した2008年10月に、モロッコはEU の近隣諸国で初めて「優先的地位(Advanced Status)」を獲得した8 9 。
2016年7月17日に、ムハンマド6世がアフリカ連合への復帰を目指すと表明した10 11 。2016年9月には加盟申請を行った旨を明らかにした12 。そして2017年1月31日に、エチオピアの首都アディスアベバ で開かれた首脳会議で、アフリカ連合への再加入が承認された13 。
2018年5月1日に、モロッコのブリタ外務大臣が、イラン との国交を断絶したと表明した。西サハラで独立運動を展開するポリサリオ戦線に対して、イランおよびイランの影響下にあるヒズボラ (レバノン のイスラム教シーア派 組織)が、アルジェリア経由で支援を与えている事を理由に挙げた。なお、イランとは2009年~2014年にも断交していた14 。
2021年8月24日にアルジェリア政府は、カビリー地方の独立運動や国内の山火事にモロッコが関与しているとして、モロッコとの国交断絶を宣言した15 。
政治 2011年の2月から4月にかけて、アラブの春 の影響でデモ が発生し、憲法改正 が承諾された。2011年7月の憲法改正により、国王の権限縮小と首相の権限強化が為された16 。
2011年の憲法改正後、2011年11月25日に実施された下院選挙では、定数395議席の内、公正発展党 (PDJ) が80議席を獲得し、第1党となった18 19 。政党連合「民主主義連合」を形成する独立党(イスティクラール党)は45議席となった。この2011年の選挙以降は、それまで国王任命であった首相が、選挙で多数議席を獲得した政党から選出されている。
合法イスラーム主義政党の公正発展党 以外にも、モロッコ・アフガン やAQIM などの非合法イスラーム主義組織が存在する。しかし、2003年のカサブランカでの自爆テロ事件以降、非合法イスラーム主義組織は厳しく取り締まられている。
国際関係 西サハラを放棄したモーリタニアとは異なり、西サハラを併合したいモロッコと、それを承認しない国際社会の利害対立は有る。 隣国で言えば、西サハラの支援をするアルジェリアとは対立してきた。
一方で、特に地理的に近いスペインやフランスとの関係は深く、貿易の上で重要な地位を占める。
またイスラム教以外を禁止してはいないものの、イスラム教を国教としており、イスラム教圏、特にアラブ諸国との関係も密接である。
アルジェリアとの関係 隣国のアルジェリアとは互いに反政府勢力を支援しているとして、長年緊張関係が続いてきた15 。2021年8月にアルジェリア政府は国内で発生した山火事に、モロッコが関与していると発表した15 。2021年8月24日にアルジェリアは、モロッコとの国交断絶を宣言した15 。
イスラエルとの関係 モロッコはアラブ諸国の中でもユダヤ人に寛容な国の一つであるため、モロッコにはユダヤ人が多く暮らしていた歴史があり、現在も約2000人のユダヤ人がモロッコで生活している20 。2020年12月10日にはアメリカの仲介により、モロッコはイスラエルと国交正常化した。これによりモロッコはアラブ諸国でイスラエルと国交正常化した6カ国目の国となった21 。また、2023年7月17日にイスラエルはモロッコによる西サハラの主権を認めた22 。
日本との関係
在留日本人数 - 350名(2018年10月,在留邦人統計)23
在日モロッコ人数 - 637名(2019年06月,在留外国人統計)23
軍事 モロッコには18ヶ月の徴兵 期間が存在し、50歳まで予備役義務が存在する。国軍は王立陸軍、海軍、空軍、国家警察、王立ジャンダルメ から構成される。国王は憲法によって軍の最高司令官であると規定されている。 2003年のカサブランカ でのテロのような例外を除いて、軍の派遣は稀である。国際連合 は小規模な監視部隊を、多くのモロッコ兵が駐留している西サハラに維持している。
なお、赤道ギニア など数か国に、元首の警護や軍事教練などを目的として、少数の将兵を派遣している。
地方行政区分 モロッコの行政区分は、12の地方と、51の第2級行政区画で構成されている。この行政区画は西サハラおよびサハラ・アラブ民主共和国 の実効支配地域を含む。
主要都市 2021年時点で、人口100万人を超えていた都市が2つ存在する。一方で、2020年時点でも、都市人口率は63.5パーセントと低い24 。
カサブランカ - モロッコ最大の都市で、2021年時点での人口は、314万人である25 。映画 でも名を知られている。加工貿易のための特区が設けられている。さらに、金融業のための特区も設けられている。
ケニトラ - 2021年の時点での人口は、36.7万人である25 。加工貿易のための特区が設けられている。
エルジャディダ - 2021年の時点での人口は、14.8万人である25 。
マラケシュ - 2021年の時点での人口は、83.9万人である25 。観光業が盛んである。かつては都が置かれ、モロッコの国名も、この都市名に由来する。
フェズ - 2021年の時点での人口は、96.5万人である25 。かつてはモロッコの首都であった。迷宮のような市街地が有名。
タンジール - 2021年の時点での人口は、68.8万人である25 。ジブラルタル海峡に面しており、スペインと近い。加工貿易のための特区が設けられている。
ラバト - モロッコの首都である。2021年時点の人口は、166万人である25 。ブー・レグレ川 の河口は、ここに有る。
テトゥワン - 2021年の時点での人口は、32.6万人である25 。地中海に面する。
アガディール - 2021年の時点での人口は、69.8万人である25 。大西洋に面し、漁業も行われる。
クーリブガ - 2021年の時点での人口は、16.8万人である25 。リン鉱石の採掘で知られ、港町のカサブランカとは鉄道で結ばれている。
ウジタ - 2021年の時点での人口は、40.5万人である25 。アルジェリアとの国境付近の町で、アルジェリアの首都のアルジェ方面への鉄道も通る。鉛や亜鉛の主要な鉱山も存在する。
地理 モロッコの国土は、アフリカ大陸の北西端に位置する。海岸のうち約3/4は北大西洋に面し、残りは地中海に沿っている。東西1300 km、南北1000 kmに伸びる国土の形状は、約45度傾いた歪んだ長方形に見える。モロッコの南西に分布するカナリア諸島 はスペイン領であり、本土以外に国土を持たない。国土の北部、地中海沿岸のセウタ とメリリャ は、スペイン本国の飛地である。南西側で陸続きの西サハラ を実効支配しているものの、国際社会で占領行為の正当性が広く認められているわけではない。なお、西サハラはかつてスペインの植民地(スペイン領サハラ )だった。
モロッコには大きな山脈が4つある。リーフ地方 (エル・リーフ)の山脈は他の3つの山脈とは独立し、地中海沿いのセウタやメリリャを北に眺め下ろしている。最高地点は約2400 mである。南方の3つの山脈はアトラス山脈 に属する。アトラス山脈自体はチュニジア 北部からアルジェリア北部を通過し、ほぼモロッコの南西端まで2000 km以上にわたって延びる。アトラス山脈は複数の山脈が平行に走る褶曲山脈 である。モロッコ国内では北から順に、中アトラス山脈(モワヤンアトラス山脈)、大アトラス山脈(オートアトラス山脈)、前アトラス山脈(アンティアトラス山脈)と呼ばれる。アンティアトラス山脈の南斜面が終わる付近に国境がある。アトラス山脈の平均標高は3000 mを超え、国土のほぼ中央にそびえる標高4165 mのツブカル山 (トゥブカル山)が国内最高地点であり、北アフリカの最高峰でもある。カサブランカ などのモロッコの主要都市は大西洋岸の海岸線、もしくはリーフ山地の西、中アトラス山脈の北斜面から海岸線に向かって広がるモロッコ大平原地帯に点在する。
ジブラルタル海峡を挟んでスペインと向き合う26 。スペイン=モロッコ間は、ユーラシアプレート とアフリカプレート の境界に当たる。アフリカプレートが年間0.6 cmの速度で北進したため、アトラス山脈が生成したと考えられている。アトラス山脈の南には山脈の全長にわたって巨大な断層が続く。このため地球上では比較的、地震の発生が多い地域である。記録的な大地震は隣国アルジェリアに多いものの、リスボン大地震 と同時期の1755年11月19日に発生した地震や1757年4月15日の地震では、いずれも死者が3000人に達した。1960年2月29日の地震は被害が大きく、死者は1万5000人だった。
主要河川は、地中海に流れ込むムルーヤ川 、大西洋に流れ込むスース川 、テンシフィット川 など10本程度ある。ジス川 とレリス川 は、サハラ沙漠 に向かって流れ降る。ドラア川 もサハラ砂漠に向かって流れるが、この川は雨量が非常に多い場合にはサハラを横断して大西洋に注ぐ場合がある。エジプト 、スーダン を縦断するナイル川 を除くと、モロッコは北アフリカでは最も水系が発達している。さらに、山脈による充分な高低差も存在する。これらの理由で、降水量が比較的少ないのにも拘らず、総発電量の約6パーセントを水力発電 でまかなってきた。
気候 年間を通じて、大西洋上に海洋性熱帯気団 が居座っており、常に北東の向きの風が卓越している27 。2023年の時点で、既にモロッコの総発電量の約7%28 ( アフリカ第二位の割合29 )が風力発電 で占められていた理由の1つが、ここにある。
モロッコ沿岸を北から南の方向へと、寒流のカナリア海流 が流れる。さらに、モロッコの内陸部に連なるアトラス山脈が、海からの湿気を遮るために、山脈を境界として気候が変わる。
ケッペンの気候区分 によると、アトラス山脈より北は地中海性気候 (Cs) に一部ステップ気候 (Bs)が混じる。基本的に夏に乾燥する気候である。アトラス山脈やリフ山脈の標高の高い場所では、冬季に積雪が見られる。アトラス山脈の南斜面はそのままサハラ沙漠につながっており、北部がギール砂漠、南部がドラー砂漠と細分される。気候区分は、砂漠気候 (BW)である。
モロッコ最大の都市であるカサブランカの気候は、1月の気温が12.4 ℃、7月が22.3 ℃で、年間降水量は379.7 mm である。冬季の降水量は100 (mm/月)に達するのに対し、夏季には1 mmを下回る。首都ラバトの気候もカサブランカとほぼ同じである。
植生 国土の北部を中心に、約12パーセントを森林が占める。また国土の18パーセントを農耕地が占め、農耕地の5パーセントは灌漑によって維持されている。一方で、アトラス山脈の南側は、沙漠地帯が目立つ。
経済 カサブランカはモロッコ最大の経済都市であり、アフリカ有数の世界都市 である。
IMF の統計によると、2015年のモロッコの国内総生産(GDP) は、約1031億ドル である。国民1人当たりのGDPは3079ドルと、アフリカ諸国では比較的高い水準にあり、アジアなどの新興国 に匹敵するレベルである。アフリカでは経済基盤も発達している方だとされる。
モロッコの主要な貿易相手国としては、地理的に近い先進国のフランスとスペインが挙げられる31 。モロッコ自身は先進工業国とは呼べないが、衣料品などの軽工業のほか、石油精製や肥料などの基礎的な諸工業が発達している(以下、統計資料はFAO Production Yearbook 2002、United Nations Industrial Commodity Statistical Yearbook 2001年を用いた)。かつて宗主国 だったフランスだけでなく、欧米諸国の企業が、自動車や鉄道・航空機部品などの工場を増やしている。これはモロッコがアフリカでは政情・治安が安定していると判断され、インフラストラクチャー が整備されており、50以上の国・地域と自由貿易協定(FTA) を締結していて輸出がし易いという背景がある32 。その他ヨーロッパ連合 諸国に出稼ぎ、移住したモロッコ人による送金も外貨収入源となっている。
なお、カサブランカやタンジールやケニトラには、加工貿易用のフリーゾーンが設けられている。カサブランカには金融フリーゾーン(カサブランカ・ファイナンス・シティ)もある。モロッコ以外のアフリカ諸国へ進出する外国企業への税制面の優遇措置も導入し、アフリカ・ビジネスの拠点(ハブ)になりつつある33 。
また、モロッコは羊毛 の生産や34 、同じく繊維材料のサイザルアサ の栽培でも知られ34 、繊維製品や衣料製品といった軽工業などの工業生産も見られる35 。また、皮革製品の製造も行われている35 。
さらに、生産量世界第6位のオリーブ 栽培などの農業が経済に貢献している。
これらに加えて、大西洋岸は漁場として優れており、魚介類の輸出もモロッコにとっては主要な産業である36 。
鉱業・電力 エネルギー資源に関しては、原油と天然ガスが少し産出する程度で37 、産油国とまでは言えない程度である。一方で、鉱業の分野では、合金として幅広い用途を有するコバルト 34 、また亜鉛 も産出するものの34 、それよりも亜鉛などの工業的な精製の際に不純物を取り除くためなどに用いるストロンチウム 34 、さらに肥料などの原料として知られるリン鉱石 の採掘が盛んである34 38 。また、鉛 も比較的有力な鉱産資源である。これ以外にも、ニッケル 、鉄 、銅 、銀 、金 の採掘も行われている34 。
モロッコの鉱物資源はアトラス山脈の断層地帯に集中しており、アトラス山脈の造山活動によって鉱脈が形成されたと考えられている。例えば、かつてはマラケシュの東で、マンガン の採掘も行われていた。また例えば、ウジタで亜鉛や鉛が採掘されている。
農業などに利用できない砂漠では、再生可能エネルギー による発電を拡大している。太陽光発電 所や太陽熱発電 所、風力発電 所が相次ぎ建設されており、スペイン企業による風力発電機の生産も2017年に始まった。エネルギー消費に占める再生可能エネルギーの比率(20%強)を2030年に52%へ高めることを計画している39 。
農業 アトラス山脈よりも北側の大西洋沿岸地域や地中海沿岸地域では、ある程度の降水量が見込めるため天水 に頼った農業が可能である。農業従事者は429万人(2005年)である。国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計(2005年)によると、世界第7位のオリーブ (50万トン、世界シェア3.5%)、第9位のサイザルアサ (2200トン)が目立つ。世界シェア1%を超える農作物は、テンサイ (456万トン、1.9%)、オレンジ (124万トン、1.5%)、トマト (120万トン、1.0%)、ナツメヤシ (6万9000トン、1.0%)がある。主要穀物の栽培量は乾燥に強いコムギ (304万トン)、次いでジャガイモ (144万トン)、オオムギ (110万トン)である。
畜産業はヒツジ (1703万頭)、ニワトリ (1億4000万羽)を主とする。
工業 モロッコは世界的に見て硫酸 の製造の盛んな地域であり、2004年の製造量は、950万トンであった34 。
貿易 モロッコの輸出額は238億ドル。品目は、 機械類 (15.9%) 、 衣類 (14.4%) 、化学肥料 (8.8%)、野菜・果実 (7.9%)、魚介類 (7.6%) である。(2011年) ここで言う電気機械とは、電気ケーブルを意味している。リン鉱石は価格が安いため、品目の割合としては5位である。主な相手国は、輸出は、スペイン、フランス 、ブラジル、イタリア、インド 。(2014年)
モロッコの輸入額は116億ドル。品目は、原油 (12.0%)、繊維 (11.9%)、電気機械 (11.7%)。主な相手国はスペイン、フランス、中国、アメリカ合衆国、イギリスである。(2014年)
参考までに、モロッコにとって主要な貿易相手国ではないものの、日本との貿易では、輸出がタコ (61.1%)、モンゴウイカ (7.3%)、衣類 (5.1%)の順で、リン鉱石も5位に入る。輸入は、乗用車 (32.4%)、トラック (28.6%)、タイヤ (5.6%)である。
観光業 モロッコ政府としても観光立国を掲げ、人材や観光地の育成に注力している43 。2015年の観光客数は在外モロッコ人の割合が増加傾向にあるが、約1018万人を数えた43 。
交通
国民 2004年にムハンマド6世の主導権によって新家族法が成立し、女性の婚姻可能年齢は18歳以上に引き上げられ、一夫多妻制 についても厳しい基準が要求されるようになった。ただし、現在も一夫多妻制は条件を満たせば認められる。特に著名なモロッコのフェミニストとして、イスラーム教をフェミニズム 的に読み替えることで男女平等の実現を達成することを主張するファーティマ・メルニーシー の名が挙げられる。新家族法制定で、女性は結婚時に夫に複数の妻(イスラム教徒の男は4人まで妻を持てる)を持たないよう求めることができ、女性から離婚 を請求することができ、家庭における夫婦の責任が同等となり、女性は自分自身で結婚を決めることができるようになった44 。
1999年にマイクロクレジット 法が成立し、政府やNGO団体の協力により受益者が増えている。
民族 歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人 が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人 である。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血 がほとんどと言われる事が多いが、実際は両者の混血が進んでいる。また過去に存在したベルベル人の独立問題などもあり(リーフ共和国 )、モロッコ政府としては、あくまでも両者はモロッコ人であるという考え方の元で、敢えて民族ごとの統計を取るなどの作業は行われていない。
ユダヤ人 はモロッコ各地の旧市街に存在するメラーと呼ばれる地区に古くから居住していたが、イスラエル 建国以来イスラエルやカナダ などへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。その他にもブラックアフリカ に起源を持つ黒人 などのマイノリティも存在する。
言語 なお、山岳地帯では、タマジグト と総称されるベルベル語が話され、これらは大別してタシュリヒート語 (モワイヤン、オートアトラス地域)、タスーシッツ語 (アガディール地方、アンチアトラス地域)、タアリフィート語 (リーフ山脈地域)に分かれている。また、ベルベル人は、国内のアラブ人からはシルハと呼ばれるのに対し、ベルベル人自身は自分達をイマジゲン(自由な人の意)と呼ぶ。ベルベル語が話されないアラブ人家庭に生まれ育つと、ベルベル語は全く理解できない事が多い。これはアラビア語とベルベル語とが、全く異なった言語のためである。
また、かつてモロッコはフランスの保護領であったためにフランス語 も比較的有力であり、さらに現在でもモロッコにとっては貿易相手としてフランスが重要なため、第二言語 としてフランス語が教えられ、政府、教育、メディア、ビジネスなどで幅広く使われ、全世代に通用するなど準公用語的地位にある。公文書は基本的にアラビア語、一部の書類はフランス語でも書かれる。商品や案内表記などは、アラビア語とフランス語が併記されている場合が多い。
一方で、タンジェ のようなモロッコの北端部の都市はスペインの影響が強く、スペイン語 もよく通じる。
宗教
教育 6歳から13歳までの7年間の初等教育 が、義務教育と定められているものの、就学率は低い。モロッコの教育は初等教育を通して無料かつ必修である。それにもかかわらず、特に農村部の女子を始めとした多くの子供が、学校に通っていない。教育はアラビア語やフランス語で行われる。識字率は男性84.8%、女性67.4%(2021年推定)46 。農村部の女子に至っては非識字率が90%近くにまで達する。
保健
医療 医療機関の質は悪くないが、医療サービスの質はあまり良いとは言えない。47
性別適合手術 世界中の少なからぬ国において、モロッコという国名から「性転換 」手術をイメージする人々が、特に1970年産まれ以前の世代では少なからず存在している。
これは男性から女性への性転換手術、現在で言う性別適合手術 の技法が、モロッコのマラケシュに在住していたフランス人医師ジョルジュ・ビュルー により開発された事に起因する。ビュルーが手法を確立した1950年代後半以降、フランスの有名なキャバレー 「カルーゼル」に所属していた多くの「性転換ダンサー」がビュルーの手術を受けたため有名になり、一時期は世界中から「女性に生まれ変わりたい」という願望を抱く男性が大量にマラケシュのビュルーの所へと押し寄せた。
日本もその例外ではなく、1960年代に3回にわたって行われた「カルーゼル」のダンサー(いわゆる「ブルーボーイ」)の日本公演が、この性転換手術の存在が知られる1つのきっかけとなり、その後、有名な例では、芸能タレントのカルーセル麻紀 や、俳優の光岡優 などが、モロッコに渡航しビュルーの執刀による手術を受けた。特に日本においては1973年以降のカルーセル麻紀に関する各種報道の影響で「性転換手術」=「モロッコ」のイメージが広まり、その影響は長らく残った48 。
なお、ビュルーは1987年に死亡し、今日では性別適合手術を希望する人は手術してくれる病院・医師の数が豊富なタイ王国 で受けるのが主流となっている。
妊娠中絶 モロッコで妊娠中絶 は、法的に認可されていない。ウィミン・オン・ウェーブ (オランダの医師が1999年に設立した団体)が、モロッコで望まぬ妊娠をしている女性を船に乗せて、公海上で中絶手術をする目的で2012年にモロッコに入港しようとしたが、モロッコ海軍に阻止されて追い返された49 。同船の医師は、モロッコでは違法に実施される危険な中絶処置のために、年間90人のモロッコ人女性の命が失われているとし、安全に中絶処置が実施される必要性を訴えた49 。
文化
食文化 モロッコで主食としている作物は、コムギである地域が目立つ50 。ただし、地域によって特色も見られる。例えば、モロッコは漁業が重要な産業の1つであり36 、海岸部では魚介類を利用した料理が見られる51 。また、乾燥地帯の多い土地柄で、水が貴重な地域も有り、水を節約すべく蒸し煮を行うためのタジン鍋 を多用する50 。モロッコでは牧畜も行われており、モロッコで最も一般的に食される赤味の肉は牛肉であり、モロッコ産の羊肉は好まれるが相対的に高価である。特に沙漠地域では、食肉をタジン鍋で調理した料理を食べる頻度が比較的高い50 。
ただし、数世紀に及ぶモロッコと外部世界の相互作用の結果として、モロッコの料理は多様である。モロッコ料理はベルベル、スペイン、コルシカ、ポルトガル、ムーア、中東、地中海、アフリカの各料理の混合である。モロッコ料理は土着のベルベル料理、スペインから追放されたモリスコ がもたらしたアラブ・アンダルシア料理、トルコ人 によってもたらされたトルコ料理 、アラブ人がもたらした中東料理の影響を受けており、ユダヤ料理 の影響も同等である。
文学 モロッコ文学はアラビア語、ベルベル語、フランス語で書かれる。アル=アンダルス で発達した文学もまた、モロッコ文学に位置づけられる。ムワッヒド朝下のモロッコは繁栄の時代を経験し、学術が栄えた。ムワッヒド朝はマラケシュを建設し、同時に書店を設立し、これが後世の者に「史上初の書籍市」とも評された。ムワッヒド朝のカリフであったアブー・ヤアクーブ は、本の収集をこの上なく好んだ。彼は偉大な図書館を設立し、その図書館は最終的にカスバとなり、公立図書館となった。中世においてタンジェ出身のイブン・バットゥータ はアフリカ、アジア、 ヨーロッパに巡る大旅行の体験を述べた紀行文学『大旅行記 』(『三大陸周遊記』、1355年)を著した。
近代モロッコ文学は1930年代に始まった。モロッコがフランスとスペインの保護領だった事は、モロッコの知識人に他のアラブ文学やヨーロッパとの自由な接触の享受による、文学作品の交換と執筆の余地を残した。
音楽 モロッコ音楽は、アラブ起源の楽曲が支配的である。ただし、その他にもベルベル人のアッヒドゥース やアフワーシュ 、黒人のグナワ (「ギニア 」に由来)、イベリア半島のイスラーム王朝からもたらされ、ヌーバ と呼ばれて高度に体系化されたアル=アンダルス音楽など、多様な音楽の形態が存在する。
建築
祝祭日 モロッコには下記のモロッコの祝日に加えイスラム教の祝日も存在する。モロッコの祝日は毎年同じ日に祝られるが、イスラム教の祝日はイスラム暦によって決められるため移動祝日である53 。
スポーツ 1961年に参戦したデビスカップ でも当初は長らく弱小国であったが、上記3人の活躍と共に次第に強くなっていき、彼らが全盛期を迎えた1990年代後半から2000年代前半には、最上位カテゴリのワールドグループに通算で5回の出場を果たし、テニス強豪国の一角を占めるまでになった。ただ3人の引退に伴う2000年代後半以降は低迷したものの、2010年代にシングルスランキングで100番台に乗せてきた、レダ・エル・アムラニのような若手も現れ始めている。
フェドカップ の同国代表も、大会参戦開始は1966年と中東諸国の中でも最も早かったが、この年の出場後の1995年に再び参加するまで、30年近く国際舞台の場に出なかった。その後も断続的な参加を続けた程度に過ぎず、2010年時点までの通算参加年数はわずか9年に留まっている。
モロッコの著名な格闘家 では、K-1 とIT'S SHOWTIME の元ヘビー級 王者である**バダ・ハリ **がおり、かつてK-1世界ヘビー級王者戴冠後に「モロッコは世界的に自慢できる物が無い国なんだ。だから俺がK-1世界王者として活躍する事によって、世界中の人々に "モロッコ?ハリの母国だよね" と言ってもらえるようにしたい。"世界王者" という部分が重要なんだ」と語った。
著名な出身者
参考文献
川田順造『マグレブ紀行』中央公論社、東京〈中公新書246〉、1971年1月。
私市正年、佐藤健太郎(編著)『モロッコを知るための65章』明石書店、東京〈エリア・スタディーズ〉、2007年4月。ISBN 978-4-7503-2519-4。
佐藤次高(編)『西アジア史I──アラブ』山川出版社、東京〈新版世界各国史8〉、2002年3月。ISBN 4634413809。
福井英一郎(編)『アフリカI』朝倉書店、東京〈世界地理9〉、2002年9月。ISBN 4-254-16539-0。
宮治一雄『アフリカ現代史V』(2000年4月第2版)山川出版社、東京〈世界現代史17〉。ISBN 4-634-42170-4。
脚注
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