カタール — OpenHistory
国名
イスラーム以前の古い時代に書かれた西洋の記録において一帯がCataraと呼ばれ20 ており、そのアラビア語当て字であるقَطَارَا(Qaṭārā、カターラー)もしくはكَتَارَا(Katārā、カターラー)が国名の元となった
といった説が知られている。後者に関してはカタールのドーハにある文化村كَتَارَا(Katārā、カターラー)の施設名ともなっている。
英語での公式国名はState of Qatar 、通称 Qatar (英語発音: [\ˈkɑːtɑːr ](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) カー ター、[\ˈkætɑː](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) キャ ター)。世界の国と地域の中で、唯一“Q”で始まる英語国名である。国民・形容詞は Qatari(英語発音:[\kɑˈtɑːri](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7)カターリ)。
日本語 では「カタール国」「カタール」「カタル」と書かれる。漢字表記 は華太瑠.
歴史 カタールでは、紀元前3000年から紀元前2000年ごろの遺物が見つかっている。また、ペルシャ湾 での真珠 採取の産地として古代から知られてきた。
1825年にカタール王家サーニー家 (Āl-Thānī)の創始者サーニー・ビン・ムハンマドがビダウ(البدع al-Bida‘、現在のドーハ )を治めるカタールのハーキム に選ばれた。バーレーン のハリーファ家 (Āl-Khalīfa)が1868年まで北カタールを治めていた。その年、カタール貴族 の依頼によりイギリス の仲介でバーレーンの主張を取り下げさせたが、オスマン帝国 がカタールを占領した。
第一次世界大戦 で敗戦国となったオスマン帝国が撤退したあとはイギリスの実効支配 の下、3代目カタール首長(アミール )・アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニー をシェイク とした自治権を認めた。イギリスとカタール間の1916年の条約は、イギリスとその他のペルシャ湾諸国の条約と同じく、イギリスの承認なく自国領の変更は認めず、諸外国との外交関係も一切認めないというものだった。その代わりイギリスは海上からの侵攻に対しては保護を与え、陸上からの攻撃に対しては支援を与えるという内容だった。
独立 1960年に5代目首長アフマド が就任。1968年に発表されたイギリスのスエズ運河 以東撤退宣言に伴い、イギリスの保護領トルーシャル・オマーン (Trucial Oman :休戦オマーン。トルーシャル・コーストTrucial Coast :休戦海岸とも。のちにアラブ首長国連邦 (UAE)となる勢力)は、1971年の独立を目指してアラブ首長国連邦(Federation of Arab Emirates:FAE)を結成した。当時は首長国が単独で独立国家となるのは難しいと考えており、カタールやバーレーン もその一員としてFAEに含まれていたが、すでにカタールとバーレーンは石油生産の好調で単独独立が可能な状態になっていた。他首長国との利権問題もあってカタールとバーレーンは近隣国のサウジアラビア やアラブ首長国連邦の一部になることを断り、カタールは1971年9月3日に単独で独立した。同年9月11日にアラブ連盟 に、21日に国際連合 に加盟した。
湾岸戦争
無血クーデター 1995年に首長であるハマド が、父であるハリーファの外遊中に無血クーデター を起こして政権を奪取(7代目首長)。ハマドは、政権を奪取して以降、天然資源のみに頼った経済体制を危惧して、観光 産業の育成などに着手している。かつてはハリーファの閉鎖的な政策の影響で宿泊施設すらほとんどなく、「世界一退屈な都市」とまで言われた首都ドーハ にもさまざまな娯楽施設などが建設され、賑わいを見せている。また、衛星テレビ局アルジャジーラ が、彼のポケットマネー(1億5000万USドル )で設立された。1996年から湾岸諸国の中で唯一イスラエル の通商代表部が置かれていたが、2009年に閉鎖された24 。
タミム首長
政治
元首 カタールはサーニー家 (آل ثاني、Āl-Thānī)による首長制 (君主制 の一種)である。現行憲法 は2003年4月29日に承認されたもので、三権分立 の立場を取り、民主主義 や女性参政権 の保障などを謳っている。しかし、実際はサーニー家に実権が集中している状況である。
立法 議会 としては45議席の「諮問評議会 」が置かれており、閣僚への質問権や予算案承認のための投票権などを持つ。議員は全員が首長より任命される。
一時期は公選制の導入が2003年の憲法改正で決まったものの、その後選挙は実施されなかった。2011年にアラブの春 が波及し国内でも民主化 運動が行われるようになると、政府は選挙の実施を表明した25 。しかし当初2013年に予定されていた選挙は再三にわたり延期され、国内外から批判の声が高まった。2021年10月2日に同国初となる顧問評議会選挙が実施された(45議席のうち30議席は直接選挙、15議席は首長による任命とする一部公選制)26 。しかし2024年11月の憲法改正で公選制は廃止され、全員が任命制に戻された27 。
行政
司法 司法権 は上級刑事裁判所、下級刑事裁判所、民事・商事裁判所、労働裁判所、高等裁判所の5裁判所が行使する。死刑 制度(絞首、銃殺)が存在する。
有力部族 昔からのカタール土着の部族。1868年のカタール独立以来、首長のポストを独占している。2002年の内閣閣僚はサーニー家が6割を占めていた28 が、2013年6月にタミーム・ビン・ハマド・アール=サーニーが首長となって新たに任命した20人の閣僚の内、サーニー家は首相を含め3人であった29 。
2002年当時の財務相Yusif Husayn al-Kamalを出している28 。
国際関係
日本との関係
外交 2012年、ターリバーン の対外連絡事務所を設置32 、ターリバーンとアメリカ 両国とのパイプを持つ国となった。2020年、アフガニスタン からアメリカ軍 が撤退する交渉ではカタールが会談場所となり、2021年にアメリカ軍が撤退してターリバーンが再びアフガニスタンを制圧した後は、欧州 各国とターリバーンの対話の窓口としての役割を果たした33 。同年、ターリバーンに対しては、アメリカ軍撤退後に空白となったカーブル国際空港 の航空管制支援や物資の供給なども行っている34 。
2014年、サウジアラビア、バーレーン 、UAE の3か国が、内政干渉に対する報復という理由で駐カタール大使をそれぞれ本国召還し、カタールと周辺諸国の軋轢が表面化した35 。さらに2017年6月、ムスリム同胞団への支援やイラン ・トルコ との接近に対して、一部のイスラム諸国 (サウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプト 、イエメン 、モルディブ 、モーリタニア など)がカタールとの国交 断絶を表明した(2017年カタール外交危機 )36 。しばらくの間、イスラム諸国との関係悪化は続いたが、2021年1月4日、カタールとサウジアラビア間で国交回復に向けた合意が実現した37 。翌5日にはサウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプトの4カ国との国交を完全に回復させることで合意した38 。一方、この危機以降、カタールとトルコの関係が非常に深くなっており、国内にトルコ軍 が一時駐留していた39 40 。
カタールの最大の問題の一つが近隣国際関係で、オーストラリア に本部を置き、アメリカ、オランダ 、メキシコ 、ベルギー などに支部を持つ経済平和研究所が2022年1月に発表した「国防経済外部効果」、「観光客数」、「国内近隣外国人平等法」、これを再定義して2022年の積極的平和指数の1項目、近隣国際関係指数は4.41と、世界から見てアフガニスタンよりも低い国際ランクとなるほど悪いものであった41 。
軍事 カタール固有の軍事力は、軍事予算はGNP 比4.2%(1993)、総兵力1万1800人である。
2016年、カタールをかつて支配していたトルコ に軍事基地を提供する協定を結んだ42 。
国民
民族 人口は2019年の推定で284万6092人。2013年の調査では、全人口180万人のうち、カタール国籍はわずか13%の27万8000人にすぎず、87%にあたる150万人が外国人労働者である。そのうち、インド人 が54万5000人と最大の勢力となっている。次いで、フィリピン人 、ネパール人 、パキスタン人 、スリランカ人 、バングラデシュ人 などが多く、南アジア 諸国からの労働者がほとんどを占めている。
言語
宗教
地理 カタール半島は、サウジアラビア側から160km 突き出ている。国内の大部分は不毛な砂漠 であり、最も高い地点で海抜 103m である。この砂漠の地下にドゥハーン油田 が存在し、一方、世界最大級のノースガス田はカタール半島北東からイラン方向の海底に広がる。カタール半島の付け根付近にあるホール・アル=ウデイド (Kawhr al Udayd)は、静かな内海 であることから別名を「インランド・シー」(英 : Inland Sea)とも呼ぶ。
地方行政区分
都市
経済 2015年の国内総生産 (GDP)は約1920億ドル(約21兆円)であり49 、日本の埼玉県 よりやや大きい経済規模である50 。人口は埼玉県の3分の1弱で、同年の一人当たりGDPは7万8829ドルで世界第5位49 、一人当たり国民総所得 (GNI)は8万5430ドルで世界第2位である51 。一時は一人当たりGDPで世界一を誇ったことから「世界でもっとも裕福な国」と呼ばれた52 。
1940年代の石油発見以前の産業は漁業と真珠取りだけであった。1920年代から日本の養殖真珠が世界に出回るとカタールの天然真珠は衰退した。石油と天然ガス に依存する経済体制で、輸出の大半が石油・天然ガスおよびその関連製品で占められている。インド 、パキスタン 、イラン などからの外国人労働者がカタール国籍を持つ総人口より多く、外国人労働者に労働力を大きく依存している。
豊富なオイルマネー により国民は所得税がかからない。さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、10年後には自分のものとなる。
2004年、ドーハに科学技術パークを開き、世界中から技術関連企業を呼んだ。現在、油価は低下したものの炭化水素はカタールの背骨であり続けるが、政府は知識集約型の民間投資も促進しようとしている。カタール金融センター(QFC)は湾岸諸国を巻き込んだ投資に今後10年間で1兆ドルを供給することを発表している。
液化天然ガス カタールの重要資源は液化天然ガス(LNG)である。各国とのLNG契約も長期にわたり、2021年7月には韓国と20年間、2022年11月21日には、中国と27年間に及ぶ契約が締結したことを発表した。一方日本とは契約が難航し、長期契約は全て売り切れとなった。2021年現在のカタールのLNG輸出先は以下の通りである。
農業 カタールの年降水量は40ミリ前後であるため、降雨 に頼った農業 は不可能である。しかしながら、灌漑 などを利用した農業が営まれており、農地 面積は国土の0.7%(80平方キロメートル 、1994年)に達する。牧場 は同4.5%(500平方キロメートル)である。農業従事者の人口に占める割合は0.5%。
漁業は盛んではないが、約7000トンの水揚高が記録されている。
原油の埋蔵量は252億バレル 、天然ガスは880立方フィート で、ロシア とイランに次いで世界第3位(シェア12.9%)。産出量は原油日量192万バレル(シェア2.1%)なのに対し、天然ガスは日量1780億立方フィートでシェア4.8%である(数字は2017年、BP 統計調べ)。日本の天然ガス輸入先としてはマレーシア 、インドネシア 、オーストラリア に次いでカタールが第4位にあたる53 。輸出に占める鉱業の割合は非常に高く、2002年時点で天然ガス42.6%、原油35.0%に達する。2008年までの油価高騰により石油ガスがGDPの50%、輸出の85%、政府収入の70%を占めるようになった。カタールの天然ガス輸出先は第1位が日本で全体の約21%、第2位が韓国で約18%、第3位がインドで約15%となっている(JOGMEC 調べ)。
国営エネルギー会社カタール・ペトロリアム(QP)を有し、ノースガス田開発などを手がけている54 。
工業 工業は発達しておらず、食肉加工、窒素肥料 の製造、セメント 製造などが小規模に営まれている段階である。もっとも規模が大きいのが石油化学工業 、次に製鉄 である。輸出に占める工業製品の割合は2002年の段階で石油製品6.7%、プラスチック3.1%、鉄鋼2.8%である。
情報通信 しばしば「中東のCNN 」と形容されるアルジャジーラ の本社がドーハに置かれている。開局時はアラビア語のニュースTVでスタートしたが、現在いくつものチャンネルを有する。アラビア語と英語の新聞がいくつかあり、英字ビジネス月刊誌は『Qatar Today』が唯一で、他にアラビア語のビジネス誌、女性誌、ファッション誌が同じ出版社から出ている。
観光
文化
食文化
音楽
芸術
世界遺産
祝祭日 ※独立記念日は2006年までは9月3日であったが、2007年より変更されている。
スポーツ クリケット がサッカーに次いで人気のスポーツとなっている。1980年にカタール・クリケット協会が設立され、2000年に国際クリケット評議会 に加盟した61 。カタール・クリケット協会はドーハ並びにカタール全体にクリケットがプレーできるように発展させる措置を講じている61 。クリケットが最も人気の地域である南アジア 出身の外国人労働者 が、カタールの人口の多くを占めていることもクリケット人気の要因の一つである。2017年に国際クリケット評議会に準会員として加盟した。2013年に開場したドーハに所在するウェスト・エンド・パーク国際クリケットスタジアム はメインとなるクリケットスタジアムである。
カタールのスポーツは球技 や陸上競技 、競馬 や水泳 など幅広く展開されている。また、古くから存在するものとはしてはラクダ のレース(競駝 、キャメルレーシング)があり、国内にはキャメルレーシング用の競技場が都市の一つであるシャハーニーヤ に設けられている。
著名な出身者 →詳細は「Category:カタールの人物」を参照
脚注
有力部族
カタール国
دولة قطر
国の標語:الله الوطن الأمير
(神・国家・首長)
国歌 :平和への賛歌
カタール国 (カタールこく、アラビア語 : دَوْلَةُ قَطَر、Dawlat Qaṭar、ダウラト・カタル)、通称カタール は、西アジア に位置する国家。中東 のアラビア半島 北東部に位置するカタール半島 を領土とし、南はサウジアラビア と国境を接し、残りの領土はペルシャ湾 に囲まれている。ペルシャ湾の入り江であるバーレーン湾が、カタールとバーレーン を隔てている。首都は国民の8割以上が住むドーハ で、国土の大部分は平坦な低地の砂漠で構成されている。
1868年にムハンマド・ビン・サーニーがイギリス と条約を結び、独立国としての地位を認められて以来、カタールはサーニー家 による世襲君主制 国家として統治されてきた。オスマン帝国 の支配を経て、20世紀初頭にはイギリスの保護領となり、1971年に独立した。現在の首長はタミーム・ビン・ハマド で、カタール憲法に基づき、行政・立法のほぼすべての権限を持ち、司法も支配している1 。首相 と内閣は首長が任命する。一部選挙で選ばれた諮問評議会 は、立法を阻止することができ、大臣を解任する能力も限られている。
2017年初頭、カタールの総人口は260万人で、そのうち31万3000人がカタール国民、230万人がエクスパット である 。公式の宗教は である 。所得面では、 (PPP)が世界第4位 、一人当たりのGNI(アトラス方式)が世界第11位 。カタールの は42位で、 では3番目に高いHDIである 。世界第3位の 埋蔵量と 埋蔵量を背景に、高所得者層が多い経済国である 。カタールは世界有数の液化天然ガス輸出国であり 、一人当たりの 排出量は世界一である 。
国名
イスラーム以前の古い時代に書かれた西洋の記録において一帯がCataraと呼ばれ20 ており、そのアラビア語当て字であるقَطَارَا(Qaṭārā、カターラー)もしくはكَتَارَا(Katārā、カターラー)が国名の元となった
といった説が知られている。後者に関してはカタールのドーハにある文化村كَتَارَا(Katārā、カターラー)の施設名ともなっている。
英語での公式国名はState of Qatar 、通称 Qatar (英語発音: [\ˈkɑːtɑːr ](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) カー ター、[\ˈkætɑː](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) キャ ター)。世界の国と地域の中で、唯一“Q”で始まる英語国名である。国民・形容詞は Qatari(英語発音:[\kɑˈtɑːri](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7)カターリ)。
日本語 では「カタール国」「カタール」「カタル」と書かれる。漢字表記 は華太瑠.
歴史 カタールでは、紀元前3000年から紀元前2000年ごろの遺物が見つかっている。また、ペルシャ湾 での真珠 採取の産地として古代から知られてきた。
1825年にカタール王家サーニー家 (Āl-Thānī)の創始者サーニー・ビン・ムハンマドがビダウ(البدع al-Bida‘、現在のドーハ )を治めるカタールのハーキム に選ばれた。バーレーン のハリーファ家 (Āl-Khalīfa)が1868年まで北カタールを治めていた。その年、カタール貴族 の依頼によりイギリス の仲介でバーレーンの主張を取り下げさせたが、オスマン帝国 がカタールを占領した。
第一次世界大戦 で敗戦国となったオスマン帝国が撤退したあとはイギリスの実効支配 の下、3代目カタール首長(アミール )・アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニー をシェイク とした自治権を認めた。イギリスとカタール間の1916年の条約は、イギリスとその他のペルシャ湾諸国の条約と同じく、イギリスの承認なく自国領の変更は認めず、諸外国との外交関係も一切認めないというものだった。その代わりイギリスは海上からの侵攻に対しては保護を与え、陸上からの攻撃に対しては支援を与えるという内容だった。
独立 1960年に5代目首長アフマド が就任。1968年に発表されたイギリスのスエズ運河 以東撤退宣言に伴い、イギリスの保護領トルーシャル・オマーン (Trucial Oman :休戦オマーン。トルーシャル・コーストTrucial Coast :休戦海岸とも。のちにアラブ首長国連邦 (UAE)となる勢力)は、1971年の独立を目指してアラブ首長国連邦(Federation of Arab Emirates:FAE)を結成した。当時は首長国が単独で独立国家となるのは難しいと考えており、カタールやバーレーン もその一員としてFAEに含まれていたが、すでにカタールとバーレーンは石油生産の好調で単独独立が可能な状態になっていた。他首長国との利権問題もあってカタールとバーレーンは近隣国のサウジアラビア やアラブ首長国連邦の一部になることを断り、カタールは1971年9月3日に単独で独立した。同年9月11日にアラブ連盟 に、21日に国際連合 に加盟した。
湾岸戦争
無血クーデター 1995年に首長であるハマド が、父であるハリーファの外遊中に無血クーデター を起こして政権を奪取(7代目首長)。ハマドは、政権を奪取して以降、天然資源のみに頼った経済体制を危惧して、観光 産業の育成などに着手している。かつてはハリーファの閉鎖的な政策の影響で宿泊施設すらほとんどなく、「世界一退屈な都市」とまで言われた首都ドーハ にもさまざまな娯楽施設などが建設され、賑わいを見せている。また、衛星テレビ局アルジャジーラ が、彼のポケットマネー(1億5000万USドル )で設立された。1996年から湾岸諸国の中で唯一イスラエル の通商代表部が置かれていたが、2009年に閉鎖された24 。
タミム首長
政治
元首 カタールはサーニー家 (آل ثاني、Āl-Thānī)による首長制 (君主制 の一種)である。現行憲法 は2003年4月29日に承認されたもので、三権分立 の立場を取り、民主主義 や女性参政権 の保障などを謳っている。しかし、実際はサーニー家に実権が集中している状況である。
立法 議会 としては45議席の「諮問評議会 」が置かれており、閣僚への質問権や予算案承認のための投票権などを持つ。議員は全員が首長より任命される。
一時期は公選制の導入が2003年の憲法改正で決まったものの、その後選挙は実施されなかった。2011年にアラブの春 が波及し国内でも民主化 運動が行われるようになると、政府は選挙の実施を表明した25 。しかし当初2013年に予定されていた選挙は再三にわたり延期され、国内外から批判の声が高まった。2021年10月2日に同国初となる顧問評議会選挙が実施された(45議席のうち30議席は直接選挙、15議席は首長による任命とする一部公選制)26 。しかし2024年11月の憲法改正で公選制は廃止され、全員が任命制に戻された27 。
行政
司法 司法権 は上級刑事裁判所、下級刑事裁判所、民事・商事裁判所、労働裁判所、高等裁判所の5裁判所が行使する。死刑 制度(絞首、銃殺)が存在する。
有力部族 昔からのカタール土着の部族。1868年のカタール独立以来、首長のポストを独占している。2002年の内閣閣僚はサーニー家が6割を占めていた28 が、2013年6月にタミーム・ビン・ハマド・アール=サーニーが首長となって新たに任命した20人の閣僚の内、サーニー家は首相を含め3人であった29 。
2002年当時の財務相Yusif Husayn al-Kamalを出している28 。
国際関係
日本との関係
外交 2012年、ターリバーン の対外連絡事務所を設置32 、ターリバーンとアメリカ 両国とのパイプを持つ国となった。2020年、アフガニスタン からアメリカ軍 が撤退する交渉ではカタールが会談場所となり、2021年にアメリカ軍が撤退してターリバーンが再びアフガニスタンを制圧した後は、欧州 各国とターリバーンの対話の窓口としての役割を果たした33 。同年、ターリバーンに対しては、アメリカ軍撤退後に空白となったカーブル国際空港 の航空管制支援や物資の供給なども行っている34 。
2014年、サウジアラビア、バーレーン 、UAE の3か国が、内政干渉に対する報復という理由で駐カタール大使をそれぞれ本国召還し、カタールと周辺諸国の軋轢が表面化した35 。さらに2017年6月、ムスリム同胞団への支援やイラン ・トルコ との接近に対して、一部のイスラム諸国 (サウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプト 、イエメン 、モルディブ 、モーリタニア など)がカタールとの国交 断絶を表明した(2017年カタール外交危機 )36 。しばらくの間、イスラム諸国との関係悪化は続いたが、2021年1月4日、カタールとサウジアラビア間で国交回復に向けた合意が実現した37 。翌5日にはサウジアラビア、UAE、バーレーン、エジプトの4カ国との国交を完全に回復させることで合意した38 。一方、この危機以降、カタールとトルコの関係が非常に深くなっており、国内にトルコ軍 が一時駐留していた39 40 。
カタールの最大の問題の一つが近隣国際関係で、オーストラリア に本部を置き、アメリカ、オランダ 、メキシコ 、ベルギー などに支部を持つ経済平和研究所が2022年1月に発表した「国防経済外部効果」、「観光客数」、「国内近隣外国人平等法」、これを再定義して2022年の積極的平和指数の1項目、近隣国際関係指数は4.41と、世界から見てアフガニスタンよりも低い国際ランクとなるほど悪いものであった41 。
軍事 カタール固有の軍事力は、軍事予算はGNP 比4.2%(1993)、総兵力1万1800人である。
2016年、カタールをかつて支配していたトルコ に軍事基地を提供する協定を結んだ42 。
国民
民族 人口は2019年の推定で284万6092人。2013年の調査では、全人口180万人のうち、カタール国籍はわずか13%の27万8000人にすぎず、87%にあたる150万人が外国人労働者である。そのうち、インド人 が54万5000人と最大の勢力となっている。次いで、フィリピン人 、ネパール人 、パキスタン人 、スリランカ人 、バングラデシュ人 などが多く、南アジア 諸国からの労働者がほとんどを占めている。
言語
宗教
地理 カタール半島は、サウジアラビア側から160km 突き出ている。国内の大部分は不毛な砂漠 であり、最も高い地点で海抜 103m である。この砂漠の地下にドゥハーン油田 が存在し、一方、世界最大級のノースガス田はカタール半島北東からイラン方向の海底に広がる。カタール半島の付け根付近にあるホール・アル=ウデイド (Kawhr al Udayd)は、静かな内海 であることから別名を「インランド・シー」(英 : Inland Sea)とも呼ぶ。
地方行政区分
都市
経済 2015年の国内総生産 (GDP)は約1920億ドル(約21兆円)であり49 、日本の埼玉県 よりやや大きい経済規模である50 。人口は埼玉県の3分の1弱で、同年の一人当たりGDPは7万8829ドルで世界第5位49 、一人当たり国民総所得 (GNI)は8万5430ドルで世界第2位である51 。一時は一人当たりGDPで世界一を誇ったことから「世界でもっとも裕福な国」と呼ばれた52 。
1940年代の石油発見以前の産業は漁業と真珠取りだけであった。1920年代から日本の養殖真珠が世界に出回るとカタールの天然真珠は衰退した。石油と天然ガス に依存する経済体制で、輸出の大半が石油・天然ガスおよびその関連製品で占められている。インド 、パキスタン 、イラン などからの外国人労働者がカタール国籍を持つ総人口より多く、外国人労働者に労働力を大きく依存している。
豊富なオイルマネー により国民は所得税がかからない。さらに、医療費、電気代、電話代が無料、大学を卒業すると一定の土地を無償で借りることができ、10年後には自分のものとなる。
2004年、ドーハに科学技術パークを開き、世界中から技術関連企業を呼んだ。現在、油価は低下したものの炭化水素はカタールの背骨であり続けるが、政府は知識集約型の民間投資も促進しようとしている。カタール金融センター(QFC)は湾岸諸国を巻き込んだ投資に今後10年間で1兆ドルを供給することを発表している。
液化天然ガス カタールの重要資源は液化天然ガス(LNG)である。各国とのLNG契約も長期にわたり、2021年7月には韓国と20年間、2022年11月21日には、中国と27年間に及ぶ契約が締結したことを発表した。一方日本とは契約が難航し、長期契約は全て売り切れとなった。2021年現在のカタールのLNG輸出先は以下の通りである。
農業 カタールの年降水量は40ミリ前後であるため、降雨 に頼った農業 は不可能である。しかしながら、灌漑 などを利用した農業が営まれており、農地 面積は国土の0.7%(80平方キロメートル 、1994年)に達する。牧場 は同4.5%(500平方キロメートル)である。農業従事者の人口に占める割合は0.5%。
漁業は盛んではないが、約7000トンの水揚高が記録されている。
原油の埋蔵量は252億バレル 、天然ガスは880立方フィート で、ロシア とイランに次いで世界第3位(シェア12.9%)。産出量は原油日量192万バレル(シェア2.1%)なのに対し、天然ガスは日量1780億立方フィートでシェア4.8%である(数字は2017年、BP 統計調べ)。日本の天然ガス輸入先としてはマレーシア 、インドネシア 、オーストラリア に次いでカタールが第4位にあたる53 。輸出に占める鉱業の割合は非常に高く、2002年時点で天然ガス42.6%、原油35.0%に達する。2008年までの油価高騰により石油ガスがGDPの50%、輸出の85%、政府収入の70%を占めるようになった。カタールの天然ガス輸出先は第1位が日本で全体の約21%、第2位が韓国で約18%、第3位がインドで約15%となっている(JOGMEC 調べ)。
国営エネルギー会社カタール・ペトロリアム(QP)を有し、ノースガス田開発などを手がけている54 。
工業 工業は発達しておらず、食肉加工、窒素肥料 の製造、セメント 製造などが小規模に営まれている段階である。もっとも規模が大きいのが石油化学工業 、次に製鉄 である。輸出に占める工業製品の割合は2002年の段階で石油製品6.7%、プラスチック3.1%、鉄鋼2.8%である。
情報通信 しばしば「中東のCNN 」と形容されるアルジャジーラ の本社がドーハに置かれている。開局時はアラビア語のニュースTVでスタートしたが、現在いくつものチャンネルを有する。アラビア語と英語の新聞がいくつかあり、英字ビジネス月刊誌は『Qatar Today』が唯一で、他にアラビア語のビジネス誌、女性誌、ファッション誌が同じ出版社から出ている。
観光
文化
食文化
音楽
芸術
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祝祭日 ※独立記念日は2006年までは9月3日であったが、2007年より変更されている。
スポーツ クリケット がサッカーに次いで人気のスポーツとなっている。1980年にカタール・クリケット協会が設立され、2000年に国際クリケット評議会 に加盟した61 。カタール・クリケット協会はドーハ並びにカタール全体にクリケットがプレーできるように発展させる措置を講じている61 。クリケットが最も人気の地域である南アジア 出身の外国人労働者 が、カタールの人口の多くを占めていることもクリケット人気の要因の一つである。2017年に国際クリケット評議会に準会員として加盟した。2013年に開場したドーハに所在するウェスト・エンド・パーク国際クリケットスタジアム はメインとなるクリケットスタジアムである。
カタールのスポーツは球技 や陸上競技 、競馬 や水泳 など幅広く展開されている。また、古くから存在するものとはしてはラクダ のレース(競駝 、キャメルレーシング)があり、国内にはキャメルレーシング用の競技場が都市の一つであるシャハーニーヤ に設けられている。
著名な出身者 →詳細は「Category:カタールの人物」を参照
脚注
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