林鵞峰
林 鵞峰は、江戸時代前期の儒者。林羅山の三男。名は春勝・恕、通称は又三郎、字は子和・之道。号は春斎・鵞峰・向陽軒など。
生誕~死没 1618年7月21日 ~ 1688年6月1日最終更新 2026/10/16 14:45
林 鵞峰(はやし がほう、元和4年5月29日(1618年7月21日)1 - 延宝8年5月5日(1680年6月1日)12)は、江戸時代前期の儒者。林羅山の三男1。名は春勝・恕1、通称は又三郎1、字は子和・之道1。号は春斎・鵞峰・向陽軒など1。
来歴
京都出身1。那波活所に漢学を1、松永貞徳に和学を学ぶ1。その後、父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えた。寛永11年(1634年)徳川家光に拝謁して幕政に参与する1。父羅山の死後の3年(1657年)を継ぐ。3年(1663年)、4代にを講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密にあずかった。儒学の学説の面では大きな功績を残さなかったが、林家の私塾を教科や教育課程の整備をすることで、幕府公認の学校(のちの)へと昇格させた意義は大きい。寛文5年(1665年)に『本朝一人一首』を編み、から期まで約300名のの詩評と小伝を著している。
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