第三帝国 — OpenHistory
ロシア・北欧における第三帝国
ドイツにおける第三帝国
ディートリヒ・エッカート 国家社会主義ドイツ労働者党の前身ドイツ労働者党 の創設者の一人であった劇作家でイプセンの影響を受けたディートリヒ・エッカート は、反ユダヤ主義雑誌「アウフ・グート・ドイッチュ」1919年7月号に発表した論文「ルターと利子」で、ドイツ民族が第三帝国を実現して救済をもたらすと論じた7 9 10 。エッカートはイプセンよりも露骨な反ユダヤ主義 を前面に押し出して、悪魔のようなユダヤ人が利子率を作り出したと論じた7 。
メラー・ファン・デン・ブルック メラーの「第三帝国」の理念は、結局のところ神秘的で漠然とした思想であり、メラー自身、こうした第三帝国の曖昧な思想は問題的であると感じていた。彼によれば、この思想は「不思議な雲のごときもの」であり、全く彼岸の存在であった15 。しかし、現実の彼方のものであっても、やはりそれは一つの現実の思想とならねばならいとして、現状を「第三帝国」の思想によって克服しようとメラーは訴えている。
メラーのこの著作は二つの異なる方向に影響を及ぼした。まず第一には、ナチス が第三帝国のスローガンを採用したことによって16 、この名称が特殊な作用を及ぼし、ついにはこの著作の内容とは異なる結果が生じてしまった。ナチ党のイデオローグたちは、メラーの著書がナチズム の世界観の発展において重要な地位を占めることになったことを認めているが17 、その場合でも信念における一致よりは、むしろ第三帝国のスローガンの民衆に対する宣伝効果が重視されていた。いずれにせよ、ナチ党に対するメラー派の同志たちの冷淡な態度からみて、新ナショナリズムの教説を説く彼等がかなりの点でナチズムに共鳴しなかったと結論するのは可能である。 第二は、それが、民主的、自由主義的諸制度を軽蔑する態度を人々に吹き込んだことである。この影響は巧妙に操作された宣伝スローガンの効果とは比較しえないが、それが当時のナショナリズムの心情をもった知識人の大部分の政治的意志形成に重要な役割を果たしたことは否定しえない。メラーの「第三帝国」は青年保守派 のいわばバイブルであったからである18 。
ナチ党 「Drittes Reich(第三帝国)」は、神聖ローマ帝国 を第一帝国、ビスマルク の帝政ドイツ を第二帝国とし、その後を継ぐドイツ民族による3度目の帝国として国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチ党)統治下のドイツ(ナチス・ドイツ )で用いられた19 。ただし、当時の公式のドイツ国名は「Deutsches Reich(ドイツ国 )」、もしくは「Großdeutsches Reich(大ドイツ国)」であった。なお、ライヒ (Reich) とは、ドイツ語 で「一支配者が全ての地域 (Land) を治めている全国 (Reich)」と規定され、「ライヒ=帝国 」ではない20 。
正確な時期は不明であるが、ナチ党の数ある用語の一つとして「第三帝国」は用いられた。例としては全権委任法 成立翌日に発行された『フェルキッシャー・ベオバハター 』は「ドイツはめざめた。偉大な仕事が始まった。『第三ライヒ(第三帝国)』の日が到来したのだ。」と書いており21 、ナチ党の側がいわゆるナチス・ドイツ 時代を指す用語としても用いられた。
しかし、この呼称は海外の反ナチ運動 の風刺 に用いられるようになったため、 1939年6月13日、総統 アドルフ・ヒトラー は「第三帝国」の用語を使用しないよう告げた。7月10日には、ヨーゼフ・ゲッベルス も国民啓蒙・宣伝省 において宣伝の文句として使用するのを控えるよう通達している22 。しかし、この措置は徹底されず、ゲッベルスは以降も自身の演説などで引用した他、ヒトラー自身も、1941年12月17日から18日にかけての談話で「今や、ドイツという時、それは『第三帝国』以外の何ものでもない」と語っている23 。
日本 日本 においては茅原華山 が維新 以前の「覇者の帝国」と維新以後の「藩閥官僚の帝国」を超克する民本主義 の帝国の出現を唱え、大正2年(1913年)に『第三帝国』という評論雑誌を発刊している24 。
参考文献
小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』ちくま新書、2000年。
杉哲「西尾実と道元(IX)」『熊本大学教育学部紀要. 人文科学』第60巻、熊本大学、2011年、69-80頁、NAID 110006000032 。
多田眞鋤「ナチズムの精神構造 : ドイツ精神史への一視角」『横浜商大論集』37(1)、横浜商科大学、2003年、68-89頁、NAID 110006000032 。
南利明「NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制(二)」『静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇』24(2)、静岡大学、1988年、199-223頁、NAID 110007615716 。
山崎充彦「ドイツにおける議会制批判論議の一側面 : メラー・ファン・デン・ブルックの『第三帝国』をめぐって」『国際文化論集』第18巻、桃山学院大学、1998年、53-68頁、NAID 110004694975 。
『ヒトラーのテーブル・トーク 1941-1944 上』三交社 、1994年。ISBN 4879191221。
脚注
ロシア・北欧における第三帝国
ドイツにおける第三帝国
ディートリヒ・エッカート 国家社会主義ドイツ労働者党の前身ドイツ労働者党 の創設者の一人であった劇作家でイプセンの影響を受けたディートリヒ・エッカート は、反ユダヤ主義雑誌「アウフ・グート・ドイッチュ」1919年7月号に発表した論文「ルターと利子」で、ドイツ民族が第三帝国を実現して救済をもたらすと論じた7 9 10 。エッカートはイプセンよりも露骨な反ユダヤ主義 を前面に押し出して、悪魔のようなユダヤ人が利子率を作り出したと論じた7 。
メラー・ファン・デン・ブルック メラーの「第三帝国」の理念は、結局のところ神秘的で漠然とした思想であり、メラー自身、こうした第三帝国の曖昧な思想は問題的であると感じていた。彼によれば、この思想は「不思議な雲のごときもの」であり、全く彼岸の存在であった15 。しかし、現実の彼方のものであっても、やはりそれは一つの現実の思想とならねばならいとして、現状を「第三帝国」の思想によって克服しようとメラーは訴えている。
メラーのこの著作は二つの異なる方向に影響を及ぼした。まず第一には、ナチス が第三帝国のスローガンを採用したことによって16 、この名称が特殊な作用を及ぼし、ついにはこの著作の内容とは異なる結果が生じてしまった。ナチ党のイデオローグたちは、メラーの著書がナチズム の世界観の発展において重要な地位を占めることになったことを認めているが17 、その場合でも信念における一致よりは、むしろ第三帝国のスローガンの民衆に対する宣伝効果が重視されていた。いずれにせよ、ナチ党に対するメラー派の同志たちの冷淡な態度からみて、新ナショナリズムの教説を説く彼等がかなりの点でナチズムに共鳴しなかったと結論するのは可能である。 第二は、それが、民主的、自由主義的諸制度を軽蔑する態度を人々に吹き込んだことである。この影響は巧妙に操作された宣伝スローガンの効果とは比較しえないが、それが当時のナショナリズムの心情をもった知識人の大部分の政治的意志形成に重要な役割を果たしたことは否定しえない。メラーの「第三帝国」は青年保守派 のいわばバイブルであったからである18 。
ナチ党 「Drittes Reich(第三帝国)」は、神聖ローマ帝国 を第一帝国、ビスマルク の帝政ドイツ を第二帝国とし、その後を継ぐドイツ民族による3度目の帝国として国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチ党)統治下のドイツ(ナチス・ドイツ )で用いられた19 。ただし、当時の公式のドイツ国名は「Deutsches Reich(ドイツ国 )」、もしくは「Großdeutsches Reich(大ドイツ国)」であった。なお、ライヒ (Reich) とは、ドイツ語 で「一支配者が全ての地域 (Land) を治めている全国 (Reich)」と規定され、「ライヒ=帝国 」ではない20 。
正確な時期は不明であるが、ナチ党の数ある用語の一つとして「第三帝国」は用いられた。例としては全権委任法 成立翌日に発行された『フェルキッシャー・ベオバハター 』は「ドイツはめざめた。偉大な仕事が始まった。『第三ライヒ(第三帝国)』の日が到来したのだ。」と書いており21 、ナチ党の側がいわゆるナチス・ドイツ 時代を指す用語としても用いられた。
しかし、この呼称は海外の反ナチ運動 の風刺 に用いられるようになったため、 1939年6月13日、総統 アドルフ・ヒトラー は「第三帝国」の用語を使用しないよう告げた。7月10日には、ヨーゼフ・ゲッベルス も国民啓蒙・宣伝省 において宣伝の文句として使用するのを控えるよう通達している22 。しかし、この措置は徹底されず、ゲッベルスは以降も自身の演説などで引用した他、ヒトラー自身も、1941年12月17日から18日にかけての談話で「今や、ドイツという時、それは『第三帝国』以外の何ものでもない」と語っている23 。
日本 日本 においては茅原華山 が維新 以前の「覇者の帝国」と維新以後の「藩閥官僚の帝国」を超克する民本主義 の帝国の出現を唱え、大正2年(1913年)に『第三帝国』という評論雑誌を発刊している24 。
参考文献
小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』ちくま新書、2000年。
杉哲「西尾実と道元(IX)」『熊本大学教育学部紀要. 人文科学』第60巻、熊本大学、2011年、69-80頁、NAID 110006000032 。
多田眞鋤「ナチズムの精神構造 : ドイツ精神史への一視角」『横浜商大論集』37(1)、横浜商科大学、2003年、68-89頁、NAID 110006000032 。
南利明「NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制(二)」『静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇』24(2)、静岡大学、1988年、199-223頁、NAID 110007615716 。
山崎充彦「ドイツにおける議会制批判論議の一側面 : メラー・ファン・デン・ブルックの『第三帝国』をめぐって」『国際文化論集』第18巻、桃山学院大学、1998年、53-68頁、NAID 110004694975 。
『ヒトラーのテーブル・トーク 1941-1944 上』三交社 、1994年。ISBN 4879191221。
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