正慶
正慶(しょうきょう、は、日本の元号の一つ。持明院統方で使用された。元徳の後、元弘の前。正慶元年/元弘2年の4月28日から正慶2年/元弘3年の5月25日までの期間を指す。この時代の天皇は光厳天皇であるが、先帝の後醍醐天皇は皇位継承を否定していた。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条守時。
施行~廃止 1332年4月 ~ 1333年4月最終更新 2026/10/16 14:48
基本情報
- 施行 ~ 廃止
- 1332年4月 ~ 1333年4月
正慶(しょうきょう、(しょうけい)は、日本の元号の一つ。持明院統(後の北朝)方で使用された。元徳の後、元弘の前。正慶元年/元弘2年(1332年)の4月28日(西暦5月23日)から正慶2年/元弘3年(1333年)の5月25日(西暦7月7日)までの期間を指す。この時代の天皇は光厳天皇であるが、先帝の後醍醐天皇は皇位継承を否定していた。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条守時。
改元
元徳3年8月9日(ユリウス暦1331年9月1日)、後醍醐天皇は「元徳」から「元弘」へと改元した。しかし、後醍醐天皇が倒幕を企てると、鎌倉幕府は改元を認めず「元徳」を使い続けるとともに、9月20日(10月22日)には皇太子の即位を要請して、光厳天皇が即位した。翌年、後醍醐天皇は隠岐に流され、元弘2年4月28日(1332年5月23日)、光厳天皇は正慶に代始改元した。出典は『易経』益卦の注「以 二 中正有慶之徳 一 、有 レ 攸 レ 往也、何適而不 レ 利哉」1。勘申者は菅原公時、菅原長員2。
しかし、正慶2年/元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が還幸して鎌倉幕府は滅亡した。5月25日(7月7日)に光厳天皇は退位し、正慶の元号は廃された。その翌年の元弘4年1月29日(1334年3月5日)には建武へと改元された。後醍醐天皇はこのとき、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言した。
西暦との対照表
※は小の月を示す。
脚注
Footnotes
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