夫差
夫差(ふさ)は、中国春秋時代の呉の第7代、最後の王。姓は姫。春秋五覇の一人に数えられることがある。先代の呉王闔閭の次男。越王勾践によって討たれた父の闔閭の仇を討つため、伍子胥の尽力を得て国力を充実させて覇を唱え、一度は勝利したものの、勾践の反撃により敗北して自決した。
生誕~死没 年不詳 ~ 紀元前473年最終更新 2026/10/16 14:55
基本情報
大きな地図で同時代を見る →夫差(ふさ)は、中国春秋時代の呉の第7代、最後の王。姓は姫。春秋五覇の一人に数えられることがある。先代の呉王闔閭の次男。越王勾践によって討たれた父の闔閭の仇を討つため、伍子胥の尽力を得て国力を充実させて覇を唱え、一度は勝利したものの、勾践の反撃により敗北して自決した。
生涯
太子擁立
夫差は呉王闔閭の次男として誕生し、本来ならば太子は、斉の景公の公女を娶っていた長兄の波であった1。しかし妻を亡くした兄の太子波が若死にした上に息子もいなかったので、彼にも王位継承を争う機会が生まれた。そのため夫差は闔閭の信任の厚い重臣である伍子胥に自分を新太子に推薦するよう熱心に頼みこんだ。闔閭は「夫差は暗愚なうえに人情に薄く人の上に立てるような人間ではない」と危惧を示したが、夫差の熱心な運動と何より自らの右腕である伍子胥の顔を立てるために、夫差を太子とした。
臥薪
闔閭は勾践が范蠡の助言を容れて国力を伸張させていた時に越に攻め込んだが逆撃され、闔閭は越の武将である霊姑孚が放った矢によって足の親指に傷を負い、それが原因で破傷風となって死んだ。闔閭は死に際して夫差の兄弟である公子子山2との後継者争いを避けるために急いで夫差を呼んで、自分の後継者に任命し「勾践がお前の父を殺したことを忘れるな」と遺言した。この言葉を忘れないように夫差は寝室に入る時は部下に闔閭の遺言を繰り返させ、寝る時はごつごつした薪の上に寝て体に痛みを感じることで復讐を忘れないようにした(『史記』呉太伯および越王勾践世家の「臥薪嘗胆」)。
伍子胥の補佐を受けて呉が国力を充実させていたところ、それを恐れた勾践が攻め込んで来たが、反撃して勾践を追い詰めた。追い詰められた勾践は命乞いをしてきた。伍子胥は許さないようにと言ったが、宰相の伯嚭(はくひ)は許すように言った。実は伯嚭は越から賄賂を受けており、越の策略に乗せられた夫差は勾践を許して帰国させた。
覇者を目指す
その後、夫差は伸張した国力を背景に北の黄河流域へと進出して、覇者になることを夢見た。だが伍子胥は越の復讐を恐れて北へ進出することを諌めた。このことで夫差は伍子胥に辟易し、伍子胥は自分が呉を支えているという自負もあり、意見の衝突で主従関係が上手くいかなくなった。ついに紀元前484年には伯嚭の讒言で伍子胥に死を賜ることとし、夫差に授けられた剣で伍子胥は自決した。この裏には范蠡の離間の計があったとも言われる。
夫差11年(紀元前485年)、夫差は軍を率いて斉を討ち、会盟を開いて呉が諸侯の盟主であると認めさせようとした。だが、元からの華北の盟主的存在であった晋がこれに反対した。
この記事は日本語版ウィキペディアの「夫差」をもとに作成されており、 (r103212705) CC BY-SA 4.0 ライセンスのもとで利用できます。原文の投稿者一覧は 原文の履歴で確認できます。
最終更新 2026/10/16 14:55 · r259848 · 記事の内容は CC BY-SA 4.0 のもとで利用できます。