万暦帝
万暦帝(ばんれきてい)は、明の第14代皇帝。諱は翊鈞(よくきん)。廟号は神宗。諡号は範天合道哲粛敦簡光文章武安仁止孝顕皇帝。日本では一般的に治世の元号を取って万暦帝と呼ばれる。
生誕~死没 1563年9月4日 ~ 1620年8月18日最終更新 2026/10/16 14:57
万暦帝(ばんれきてい)は、明の第14代皇帝。諱は翊鈞(よくきん)。廟号は神宗。諡号は範天合道哲粛敦簡光文章武安仁止孝顕皇帝。日本では一般的に治世の元号を取って万暦帝と呼ばれる。
生涯
万暦の中興
→「万暦の中興」も参照
隆慶帝の第3子として生まれ、10歳で即位した1。即位直後は主席大学士(宰相)張居正の手腕により、両税法にかわる一条鞭法の導入・無駄な官職の撤廃・全国的な検地・無用な公共事業の廃止などにより財政は好転し、大きな成果を上げた1。また、張居正は幼い万暦帝の教育も行っていた。政治面でも厳格であった張居正は教育に於いてもとても厳しく、万暦帝が書物の暗誦を一言一句間違えるだけで激しい怒号を浴びせたといわれている。そんな張居正だったが、万暦帝は師として仰ぎ、張居正が風邪を引いた際は山椒などが入った薬湯を自身で調合して飲ませていたりもした。
堕落
しかし万暦10年に(1582年)に張居正が死去し、親政を始めると一転して堕落し2、寵姫鄭貴妃の偏愛による立太子問題(詳しくは泰昌帝の項を参照)が起きた。また日本の豊臣秀吉が引き起こした朝鮮の役においては、宗主国として朝鮮を援助し、それ以外にも寧夏の哱拝の乱・播州のの鎮圧などによって、軍制の腐敗と相まって財政は悪化した。
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