セルビア — OpenHistory
19世紀初頭、セルビア地域の革命 は、この地域で最初の立憲君主国として国民国家を確立するものとなり、セルビア国家は後にその領域を拡大することとなる1 。1918年、第一次世界大戦 の余波で、セルビア帝国はヴォイヴォディナの旧ハプスブルク家の王冠領 と統合。同年後半には、他の南スラブ諸国とともにユーゴスラビアの建国に加わり、1990年代のユーゴスラビア戦争 まで様々な政治体制で存在した。ユーゴスラビアの崩壊中、セルビアは隣国モンテネグロと連合を結び『セルビア・モンテネグロ 』となるが2 、2006年に平和的な解体がなされ、1918年以来初めて主権国家としての独立を回復した3 。
2008年、アルバニア系が多数を占めるコソボ 議会の代表が一方的にセルビアからの独立を宣言。2016年7月現在、113の国連加盟国が独立国家としてコソボを承認している4 が、セルビアは一貫してコソボを自国領の一部であると主張している。コソボ北部にはセルビア人が多数を占める街もあり、度々紛争の火種となっている。
コソボ紛争でNATOに空爆されたことや、コソボを巡っての対立などもあり、国民感情・政治ともに反欧米的 な傾向にある。民族や文化が近いロシアは伝統的な友好国であり、中国とも友好的な関係である5 。
セルビアは高中所得国であり、国民皆保険と無料の初等中等教育を国民へ提供している。人間開発指数 の分野においては「非常に高い」とランク付けされている。また同国は軍事的中立政策を公式に堅持している国家となっている。2014年以来、同国は2030年までに欧州連合 (EU)への加盟を実現させることを目標としており、これまでEU加盟の交渉を幾度に亘って行なって来ている6 。
国名 セルビア語 では「Република Србија / Republika Srbija」([repǔblika sř̩bija] ( 音声ファイル) レプブリカ・スルビヤ)、通称「Србија / Srbija」([sř̩bija] ( 音声ファイル) スルビヤ )。日本語では「セルビア共和国 」、通称「セルビア 」。 英語の通称は「Serbia」([\ˈsɜrbiə](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) ( 音声ファイル)。漢字による当て字 は塞爾維亜 、または塞爾維 。
歴史
中世・近世・近代
6世紀 - バルカン半島西部(当時は東ローマ帝国 の領域)にセルビア人が居住を始める。
9世紀 - セルビア人がキリスト教 を受容する。
1171年 - セルビア王国 が成立。
1346年 - セルビア帝国 が成立。
1371年 - セルビア公国 が成立。
1459年 - セルビア公国がヨーロッパに侵攻してきたオスマン帝国 に滅ぼされる。
1817年 - セルビア公国 が成立し、オスマン帝国から自治権を獲得。事実上の独立を果たす。
1838年 - ベオグラード遷都。
1878年 - ベルリン条約 により、オスマン帝国から完全に独立。
1882年 - セルビア王国 が成立。
1912年 - 第一次バルカン戦争 でオスマン帝国に勝利し、領土を拡大。
戦間期
第二次世界大戦 第二次世界大戦 ではナチス・ドイツ に侵攻 され、王国政府はロンドンに逃れて亡命政権 を樹立した。ドイツ軍は、傀儡政権であるセルビア救国政府 を成立させる一方で、軍政を敷いてセルビアでの事実上の支配権を握った。他方で、ユーゴスラビア王国軍で主流であったセルビア人将校が中心となり、ドイツ軍に対抗する武装組織チェトニック が組織された。しかし、ドイツ軍政当局はドイツ軍の死者1人につきセルビア人市民100人、ドイツ軍の負傷者1人につきセルビア人市民50人を殺害する規定を導入し、セルビア人市民を虐殺した。チェトニックたちの多くはドイツ軍への抵抗をあきらめ、次第に軍政当局に協力する立場へと転じていった。
社会主義時代 ユーゴスラビアを自力で解放することに成功したチトーは、国王ペタル2世 の帰国とロンドンの亡命政権を否定し、独自にユーゴスラビアの再建を始めた。戦後の政権党となったユーゴスラビア共産党(1952年にユーゴスラビア共産主義者同盟 に改称)は、次第に共産主義の盟友であったソビエト連邦 との路線対立が拡大し、1948年にはコミンフォルム を追放された。それ以降、セルビアを含むユーゴスラビア連邦は、ソビエト連邦の支配からはずれ、他の東側諸国 とは一線を画するようになる。ユーゴスラビアは西側諸国 との良好な関係を築き、マーシャル・プラン を受け入れる姿勢を取り、ソ連と対立していた。1953年にチトーがユーゴスラビアの大統領となり、ソ連と一線を画した社会主義政策を展開した(自主管理社会主義 )。また、非同盟 運動を推進し、第三世界 の主要国としての地位を確立した。
しかし、1980年にチトーが死去すると、セルビア領であるコソボ社会主義自治州 がセルビアからの分離を求め、セルビア人との対立が深刻化するなどの民族対立や、地域の経済格差が顕在化した。セルビア人たちは、ユーゴスラビア連邦の枠内で自民族の権利が不当に低く扱われていると不満を募らせ、他方でスロベニアやクロアチアでは公然とユーゴスラビアからの分離を求める勢力が伸張した。1991年にはクロアチア 、スロベニア 、マケドニア共和国 がユーゴスラビアから独立、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ が独立した。残されたユーゴスラビア連邦はセルビア大統領のスロボダン・ミロシェヴィッチ が事実上支配下に置き、ユーゴスラビアはセルビア人の国家とみなされるようになった。
ユーゴスラビア連邦共和国時代 1995年に両紛争は終戦を迎えたものの、1996年ごろからコソボで大アルバニア を掲げるアルバニア人 の民族主義勢力コソボ解放軍 が、コソボの独立を求めての武力闘争を始めた。コソボ解放軍により同地方に在住するセルビア人が迫害されたため、セルビアはコソボ解放軍をテロリスト と見なし弾圧した。これによってコソボ紛争 が引き起こされ、1999年の北大西洋条約機構 による爆撃 に至った。これにより首都のベオグラードがアメリカ軍を主体とする北大西洋条約機構軍による激しい爆撃に晒された。1999年以降、セルビア領のコソボ・メトヒヤ自治州 からはセルビアの統治権が排除され、国際的な監視下に置かれることになった。
ユーゴスラビア崩壊以降の欧米の制裁による経済的苦境や、各種の紛争での敗北により、セルビアで強権を握っていたスロボダン・ミロシェヴィッチに対する不満が高まり、ミロシェヴィッチは2000年に失脚した(ブルドーザー革命 )。
セルビアとともにユーゴスラビア連邦を構成していたモンテネグロでも1997年ごろからミロ・ジュカノヴィッチ を中心に独立要求が強まったため、EUの仲介により2003年にはユーゴスラビア連邦は、より緩やかな国家連合であるセルビア・モンテネグロ に移行した。人口比で大幅にセルビアを下回るモンテネグロの政治的権限を大幅に拡大し、3年後の2006年以降再びモンテネグロの独立を問う事が出来る事を条件にして緩やかな連合国家に変更された。
独立以降 2006年5月21日にモンテネグロは独立についての住民投票 を実施し、賛成55.5%でモンテネグロ共和国の独立が決定した。これによって、モンテネグロは2006年6月3日(現地時間)に独立を宣言し、1918年のセルビアとの併合以来、88年ぶりに独立を回復することとなった。モンテネグロの独立によって、第2次世界大戦後にスロベニア 、クロアチア 、ボスニア・ヘルツェゴビナ 、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア の6共和国で誕生したユーゴスラビア連邦は完全に解体した。2006年6月5日、セルビア議会はセルビアがセルビア・モンテネグロの継承国家である事を宣言して、モンテネグロの独立を追認した。→ ウィキニュース
2008年2月17日にはセルビアの自治州でありながらセルビアの主権が及んでいない(その地位があいまいであった )コソボ が独立を宣言した。セルビアはコソボを自国の不可分の領土であるとして、コソボの独立を認めていない。セルビアの同意のないまま、国際的監視下にあるコソボが一方的に独立することに対する国際法上の懸念などにより、コソボの独立に明確に反対の意思を表明する国も多く、コソボの独立を承認している国連加盟国は2013年の時点では100カ国程度に留まっている。日本 は、コソボの独立を2008年3月18日に承認し、2009年2月25日に正式な外交部署を発足させた7 。
2009年12月22日、欧州連合 に加盟を申請した8 。EUからはコソボとの関係改善が加盟条件とされたため、共にEU加盟を目指すセルビアとコソボは関係改善を模索していた。2013年4月19日、セルビアとコソボは改善に向けた合意に達した9 が、2021年現在もなおセルビアとコソボは厳しい対立状況にあり10 、加盟交渉は継続中である。
SARS-CoV-2の感染拡大 2020年3月、欧州に拡大し始めた2019新型コロナウイルス の影響はセルビアにも及び始めた。同年3月15日、セルビア政府は非常事態宣言 を発令。宣言は、3月20日からセルビアの全陸上国境 の封鎖による入国禁止(ただし貨物は除く)、学校の閉鎖、自宅勤務の推奨、公共交通機関の運行を停止するなどの内容となった。次いで、 3月22日からは夜間外出禁止 、高齢者については生活必需品購入時を除く終日外出禁止措置を行った。2021年2月4日現在の感染者数は402700人(死者4085人)11 。
政治 セルビアは共和制 、議院内閣制 を採用する立憲国家である。現行憲法 は2006年11月に発布されたものである。事実上、セルビアから分離状態にあるコソボ は2008年2月に独立を宣言 し、一部の国々と独自の外交関係を持っているものの、セルビア共和国憲法ではコソボを「セルビアの不可分の地方」としている。
大統領 国家元首 である大統領 は国民の直接選挙で選出され、任期は5年。3選禁止。元首としてセルビア共和国を代表し、形式的に国軍の最高司令官を務め、国民議会 の解散や非常事態発令を行う。また、国民議会が可決した法案を差し戻し、再審議させる権利もあるが、国民議会が再度法案を可決した場合は、大統領の認可がなくとも法律として制定される。
行政府 実際の政治は行政府 たる内閣 が率いる。国民議会により選出された首相 が組閣を行うが、国民議会による承認が必要。
立法府
政党 セルビア独立後、ミロシェヴィッチ率いるセルビア社会党が多数派を占めたが、ミロシェヴィッチ政権の崩壊後、セルビア民主党を中心として政権が樹立された。その後、コソボ独立問題などで両党の対立が深刻化した。2008年5月の総選挙の後、民主党やG17プラスなどに、かつての仇敵であったセルビア社会党を加えた連立政権が発足した。セルビア社会党が政権の座につくのは、2000年のミロシェヴィッチ政権崩壊以来のことであった。
司法府 最高司法機関は最高破毀裁判所であり、長官は高等司法評議会の提案を受けて議会により選出される。任期は5年で再任はできない。下級裁判所の裁判官の任期は終身とされるが、最初の任官時の任期は3年である。高等司法評議会の提案により議会により選出される。法律等の合憲性を審査する裁判所として憲法裁判所が設置されている12 。
国際関係 同じスラブ系民族であるロシアは伝統的な友好国であり、欧州の中で最も緊密な関係にある。EUと加盟交渉を進めているにもかかわらず、ウクライナ侵攻をめぐる対ロシア制裁の発動を拒み、ロシアからの天然ガスの輸入を続けている。2024年2月にはロシアから対ドローンシステムや戦闘車両の購入に踏み切った。
民間レベルでも親露感情が強く、オープン・ソサエティー財団が2022年に実施した調査で、ロシアがウクライナの領土から撤収すれば紛争は解決すると考える人の割合はセルビアでは12%だった。日米欧では60%前後、中立的なスタンスのトルコやインドでさえ40〜50%台だったのに比べるとロシア寄りの姿勢が際立つ13 。
一方で国としてはロシアのウクライナ侵攻を支持しておらず、ワグネルがセルビア国内で勧誘を行った際は非難の声が起こった14 。
「一帯一路 」で欧州の玄関口に位置し、中国が鉄道や橋などのインフラ投資を重ねてきた。ビザ (査証)の相互免除協定や自由貿易協定 (FTA)をそれぞれ結ぶなど、友好的な関係にある15 。1999年にコソボ紛争 でNATOに空爆された 際、中国大使館が米軍に誤爆され、多数の死傷者を出した経緯から、反米・反NATO感情を共有している16 。
2023年に開催された一帯一路首脳会議では、欧州のほとんどが首脳級の参加を見送るなか、ブチッチ大統領とハンガリーのオルバン 首相だけが北京に足を運んだ13 。
2024年に習近平 総書記 (国家主席 )がセルビアを訪問した際は、街中に中国国旗や歓迎する言葉が中国語で掲げられ、ブチッチ大統領も歓迎スピーチで「台湾は中国」と発言するなど、欧州における最大の理解者となっている17 。
軍事
地理
住民 北部のヴォイヴォディナ は第一次大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国 からセルビア王国が獲得した領土でありハンガリー 系やスロバキア 系などセルビア系以外の住民が多い(特に北端の3自治体ではハンガリー人が多数派となっている)。また、モンテネグロ国境近くには、イスラム教徒(ボシュニャク人 )が多数派を占めるサンジャク があるが、ヴォイヴォディナ等とは異なりひとつの行政区にまとめられたり自治権を持ったりはしていない。セルビアが自国領と主張しているコソボ ではアルバニア人の方が多数である。
クロアチア やボスニア・ヘルツェゴビナ との国境では、クロアチアやボスニアの方にセルビア人 が多く住んでいたが、クロアチア国内に居住していたセルビア人は1991年から1995年に展開されたクロアチア紛争 で難民となり、その多くがセルビアに流入した。ミロシェヴィッチ政権はその一部をセルビア領のコソボに移住させ、コソボでの人口バランスの変化を狙った。コソボのアルバニア人は多産社会で、セルビア人よりも出産率が高いため、コソボのアルバニア人比率は40年ほどの間に劇的に増大していた。
地方行政区分 セルビア共和国は31の郡(オクルグ Округ / Okrug )とベオグラード からなる(コソボ の7つの郡を含む)。また、北部の7つの郡はヴォイヴォディナ 自治州に属している。南部の7つの郡が属するコソボは1999年以降は国連によってセルビアの影響力がほぼ排除され、2008年には独立を宣言したが、セルビア政府はこの独立を認めておらず、コソボは自国領との立場をとっている。
それぞれの郡は幾つかの基礎自治体(オプシュティナ Општина / Opština )に分けられ、これが最小の行政単位である。
経済 セルビアの2018年の国内総生産 は、IMF の試算によると約505億ドルである。また、同年の一人当たりのGDPは7,223ドルである。18 セルビア及びヴォイヴォディナではセルビア・ディナール が流通している。コソボではコソボ紛争以降セルビアの統治権は排除され、ドイツマルク が流通していた。2002年にドイツマルクの流通が停止されユーロに切り替わってからは、ユーロ が流通している。
鉱業 モンテネグロを含むセルビアの鉱業を特徴付けるのは豊富な有機鉱物資源である。品質は低いが燃料に向く褐炭 を大量に産出する。2002年時点の採掘量は、世界シェアの3.8%に達する3450万トン(世界第10位)である。このため、輸入に占める燃料の割合は数%以下であり、総発電量に占める火力発電の比率が64.5%と高い。つまり、エネルギー自給に関してはセルビアには問題が少ない。
品位の高い石炭 の採掘量は10万トン、原油 は88万トン、天然ガス は28千兆ジュールである。無機鉱物資源は種類が多いものの、採掘量は少ない。亜鉛 、金 、銀 、銅 、鉛 、アルミニウム の原料となるボーキサイト 、マグネシウム を産出する。火力発電 に加え、水力発電 (総発電量の36.5%)にも適した地形であるため、セルビアは電力に恵まれている。その結果、輸出に占めるアルミニウムの割合は8.4%に達し、最大の輸出品目となっている。
交通
道路
鉄道 セルビアの鉄道は主にセルビア鉄道 によって経営されており、同鉄道事業者 は観光用の鉄道や国内輸送から国際輸送まで幅広い分野を担っている。また、首都ベオグラードにおいて計画中のベオグラード地下鉄 があり、こちらは資金不足により幾度にわたって建設が遅れている問題点を残しているが、2014年にベオグラード市長がフランス の援助の下で2016年に着工する計画について言及しており19 、今後の計画の実現が注目されている。
航空
国民
民族 前回の国勢調査は、ユーゴスラビア紛争直前の1991年であったが、一連のユーゴスラビア紛争の結果旧ユーゴスラビア構成諸国家での民族構成の大きな変化が統計的に明らかになった。セルビアでは、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボなどからの大量のセルビア人難民が流入したためセルビア国内でセルビア人が占める割合が増大した。一方で、ヴォイヴォディナ地方を中心に住んでいたクロアチア人が大量にセルビアを脱出した。また、ユーゴスラビア解体の動きと連動して自らのエスニック・グループ が「ユーゴスラビア人」であると主張する人の割合は少なくなってきている。
言語 セルビア人の言語はセルビア語 、クロアチア人はクロアチア語 、ボシュニャク人はボスニア語 である。セルビア語の表記にはキリル文字 が、それ以外の言語ではラテン文字 が好まれることを除いて、この3つの言語に大きな差異はなく、かつてはひとまとめにセルビア・クロアチア語 とされていた。同じ地域に住み、同じ方言を話していても、セルビア人の話す言語はセルビア語、クロアチア人の話す言語はクロアチア語とみなされる。
婚姻 婚姻時、改姓せず夫婦別姓 とすることも、配偶者の姓に改姓し夫婦同姓とすることも、複合姓とすることも可能20 。
宗教
教育
保健
医療
治安 首都ベオグラードを中心に、窃盗 (スリや置き引き)の犯罪被害が発生しており、日本人が犯罪の被害に遭う事例も報告されている。
特に電車、バスなどの公共交通機関内、観光地(クネズミハイロバ通りやカレメグダン公園)、飲食店、大型ショッピングモール等では被害が多く見られているため、十分な注意が必要である21 。
人権
マスコミ
文化
食文化
文学 セルビアの文学では、ロマン主義的な詩人であるラーザ・コスティッチ の存在が知られている。彼はシェイクスピア の作品を積極的にセルビア語へ翻訳するなど、英文学の研究とその促進も活発に行なった。
音楽
映画
被服 セルビアの民族衣装はオスマン帝国の文化の影響を強く受けている面があり、ディナール、モラヴァ、パノニア、ヴァルダルといった幾つかのグループに分けられていることが特徴点となっている。
また同国は19世紀以降、西洋風の服飾やその関連文化を積極的に採り入れ続けている国の一つである。
建築 セルビアの建築文化は歴史上、諸外国の建築文化が融合している面を持っており、その内容も非常に多様で豊か且つ長いものとなっている。セルビアの建築文化は古いものではローマ建築 やビザンティン建築 、新しいものではポストモダン建築 と実に幅広い22 。
傍ら、ユーゴスラビア時代のブルータリズム 建築物も多数遺されていることが知られている。
世界遺産
祝祭日
スポーツ バレーボールもバスケットボール同様、セルビア国内では人気のスポーツとなっている。男子代表 、女子代表 はともに世界屈指の強豪チームでもある。
著名な出身者
脚注
大統領
現在のセルビアの領土は旧石器時代から継続的に人間が住んでいたことが確認されており、6世紀にはスラブ人が同国地域へ移住し出していたことが判明している。
19世紀初頭、セルビア地域の革命 は、この地域で最初の立憲君主国として国民国家を確立するものとなり、セルビア国家は後にその領域を拡大することとなる1 。1918年、第一次世界大戦 の余波で、セルビア帝国はヴォイヴォディナの旧ハプスブルク家の王冠領 と統合。同年後半には、他の南スラブ諸国とともにユーゴスラビアの建国に加わり、1990年代のユーゴスラビア戦争 まで様々な政治体制で存在した。ユーゴスラビアの崩壊中、セルビアは隣国モンテネグロと連合を結び『セルビア・モンテネグロ 』となるが2 、2006年に平和的な解体がなされ、1918年以来初めて主権国家としての独立を回復した3 。
2008年、アルバニア系が多数を占めるコソボ 議会の代表が一方的にセルビアからの独立を宣言。2016年7月現在、113の国連加盟国が独立国家としてコソボを承認している4 が、セルビアは一貫してコソボを自国領の一部であると主張している。コソボ北部にはセルビア人が多数を占める街もあり、度々紛争の火種となっている。
コソボ紛争でNATOに空爆されたことや、コソボを巡っての対立などもあり、国民感情・政治ともに反欧米的 な傾向にある。民族や文化が近いロシアは伝統的な友好国であり、中国とも友好的な関係である5 。
セルビアは高中所得国であり、国民皆保険と無料の初等中等教育を国民へ提供している。人間開発指数 の分野においては「非常に高い」とランク付けされている。また同国は軍事的中立政策を公式に堅持している国家となっている。2014年以来、同国は2030年までに欧州連合 (EU)への加盟を実現させることを目標としており、これまでEU加盟の交渉を幾度に亘って行なって来ている6 。
国名 セルビア語 では「Република Србија / Republika Srbija」([repǔblika sř̩bija] ( 音声ファイル) レプブリカ・スルビヤ)、通称「Србија / Srbija」([sř̩bija] ( 音声ファイル) スルビヤ )。日本語では「セルビア共和国 」、通称「セルビア 」。 英語の通称は「Serbia」([\ˈsɜrbiə](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) ( 音声ファイル)。漢字による当て字 は塞爾維亜 、または塞爾維 。
歴史
中世・近世・近代
6世紀 - バルカン半島西部(当時は東ローマ帝国 の領域)にセルビア人が居住を始める。
9世紀 - セルビア人がキリスト教 を受容する。
1171年 - セルビア王国 が成立。
1346年 - セルビア帝国 が成立。
1371年 - セルビア公国 が成立。
1459年 - セルビア公国がヨーロッパに侵攻してきたオスマン帝国 に滅ぼされる。
1817年 - セルビア公国 が成立し、オスマン帝国から自治権を獲得。事実上の独立を果たす。
1838年 - ベオグラード遷都。
1878年 - ベルリン条約 により、オスマン帝国から完全に独立。
1882年 - セルビア王国 が成立。
1912年 - 第一次バルカン戦争 でオスマン帝国に勝利し、領土を拡大。
戦間期
第二次世界大戦 第二次世界大戦 ではナチス・ドイツ に侵攻 され、王国政府はロンドンに逃れて亡命政権 を樹立した。ドイツ軍は、傀儡政権であるセルビア救国政府 を成立させる一方で、軍政を敷いてセルビアでの事実上の支配権を握った。他方で、ユーゴスラビア王国軍で主流であったセルビア人将校が中心となり、ドイツ軍に対抗する武装組織チェトニック が組織された。しかし、ドイツ軍政当局はドイツ軍の死者1人につきセルビア人市民100人、ドイツ軍の負傷者1人につきセルビア人市民50人を殺害する規定を導入し、セルビア人市民を虐殺した。チェトニックたちの多くはドイツ軍への抵抗をあきらめ、次第に軍政当局に協力する立場へと転じていった。
社会主義時代 ユーゴスラビアを自力で解放することに成功したチトーは、国王ペタル2世 の帰国とロンドンの亡命政権を否定し、独自にユーゴスラビアの再建を始めた。戦後の政権党となったユーゴスラビア共産党(1952年にユーゴスラビア共産主義者同盟 に改称)は、次第に共産主義の盟友であったソビエト連邦 との路線対立が拡大し、1948年にはコミンフォルム を追放された。それ以降、セルビアを含むユーゴスラビア連邦は、ソビエト連邦の支配からはずれ、他の東側諸国 とは一線を画するようになる。ユーゴスラビアは西側諸国 との良好な関係を築き、マーシャル・プラン を受け入れる姿勢を取り、ソ連と対立していた。1953年にチトーがユーゴスラビアの大統領となり、ソ連と一線を画した社会主義政策を展開した(自主管理社会主義 )。また、非同盟 運動を推進し、第三世界 の主要国としての地位を確立した。
しかし、1980年にチトーが死去すると、セルビア領であるコソボ社会主義自治州 がセルビアからの分離を求め、セルビア人との対立が深刻化するなどの民族対立や、地域の経済格差が顕在化した。セルビア人たちは、ユーゴスラビア連邦の枠内で自民族の権利が不当に低く扱われていると不満を募らせ、他方でスロベニアやクロアチアでは公然とユーゴスラビアからの分離を求める勢力が伸張した。1991年にはクロアチア 、スロベニア 、マケドニア共和国 がユーゴスラビアから独立、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ が独立した。残されたユーゴスラビア連邦はセルビア大統領のスロボダン・ミロシェヴィッチ が事実上支配下に置き、ユーゴスラビアはセルビア人の国家とみなされるようになった。
ユーゴスラビア連邦共和国時代 1995年に両紛争は終戦を迎えたものの、1996年ごろからコソボで大アルバニア を掲げるアルバニア人 の民族主義勢力コソボ解放軍 が、コソボの独立を求めての武力闘争を始めた。コソボ解放軍により同地方に在住するセルビア人が迫害されたため、セルビアはコソボ解放軍をテロリスト と見なし弾圧した。これによってコソボ紛争 が引き起こされ、1999年の北大西洋条約機構 による爆撃 に至った。これにより首都のベオグラードがアメリカ軍を主体とする北大西洋条約機構軍による激しい爆撃に晒された。1999年以降、セルビア領のコソボ・メトヒヤ自治州 からはセルビアの統治権が排除され、国際的な監視下に置かれることになった。
ユーゴスラビア崩壊以降の欧米の制裁による経済的苦境や、各種の紛争での敗北により、セルビアで強権を握っていたスロボダン・ミロシェヴィッチに対する不満が高まり、ミロシェヴィッチは2000年に失脚した(ブルドーザー革命 )。
セルビアとともにユーゴスラビア連邦を構成していたモンテネグロでも1997年ごろからミロ・ジュカノヴィッチ を中心に独立要求が強まったため、EUの仲介により2003年にはユーゴスラビア連邦は、より緩やかな国家連合であるセルビア・モンテネグロ に移行した。人口比で大幅にセルビアを下回るモンテネグロの政治的権限を大幅に拡大し、3年後の2006年以降再びモンテネグロの独立を問う事が出来る事を条件にして緩やかな連合国家に変更された。
独立以降 2006年5月21日にモンテネグロは独立についての住民投票 を実施し、賛成55.5%でモンテネグロ共和国の独立が決定した。これによって、モンテネグロは2006年6月3日(現地時間)に独立を宣言し、1918年のセルビアとの併合以来、88年ぶりに独立を回復することとなった。モンテネグロの独立によって、第2次世界大戦後にスロベニア 、クロアチア 、ボスニア・ヘルツェゴビナ 、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア の6共和国で誕生したユーゴスラビア連邦は完全に解体した。2006年6月5日、セルビア議会はセルビアがセルビア・モンテネグロの継承国家である事を宣言して、モンテネグロの独立を追認した。→ ウィキニュース
2008年2月17日にはセルビアの自治州でありながらセルビアの主権が及んでいない(その地位があいまいであった )コソボ が独立を宣言した。セルビアはコソボを自国の不可分の領土であるとして、コソボの独立を認めていない。セルビアの同意のないまま、国際的監視下にあるコソボが一方的に独立することに対する国際法上の懸念などにより、コソボの独立に明確に反対の意思を表明する国も多く、コソボの独立を承認している国連加盟国は2013年の時点では100カ国程度に留まっている。日本 は、コソボの独立を2008年3月18日に承認し、2009年2月25日に正式な外交部署を発足させた7 。
2009年12月22日、欧州連合 に加盟を申請した8 。EUからはコソボとの関係改善が加盟条件とされたため、共にEU加盟を目指すセルビアとコソボは関係改善を模索していた。2013年4月19日、セルビアとコソボは改善に向けた合意に達した9 が、2021年現在もなおセルビアとコソボは厳しい対立状況にあり10 、加盟交渉は継続中である。
SARS-CoV-2の感染拡大 2020年3月、欧州に拡大し始めた2019新型コロナウイルス の影響はセルビアにも及び始めた。同年3月15日、セルビア政府は非常事態宣言 を発令。宣言は、3月20日からセルビアの全陸上国境 の封鎖による入国禁止(ただし貨物は除く)、学校の閉鎖、自宅勤務の推奨、公共交通機関の運行を停止するなどの内容となった。次いで、 3月22日からは夜間外出禁止 、高齢者については生活必需品購入時を除く終日外出禁止措置を行った。2021年2月4日現在の感染者数は402700人(死者4085人)11 。
政治 セルビアは共和制 、議院内閣制 を採用する立憲国家である。現行憲法 は2006年11月に発布されたものである。事実上、セルビアから分離状態にあるコソボ は2008年2月に独立を宣言 し、一部の国々と独自の外交関係を持っているものの、セルビア共和国憲法ではコソボを「セルビアの不可分の地方」としている。
大統領 国家元首 である大統領 は国民の直接選挙で選出され、任期は5年。3選禁止。元首としてセルビア共和国を代表し、形式的に国軍の最高司令官を務め、国民議会 の解散や非常事態発令を行う。また、国民議会が可決した法案を差し戻し、再審議させる権利もあるが、国民議会が再度法案を可決した場合は、大統領の認可がなくとも法律として制定される。
行政府 実際の政治は行政府 たる内閣 が率いる。国民議会により選出された首相 が組閣を行うが、国民議会による承認が必要。
立法府
政党 セルビア独立後、ミロシェヴィッチ率いるセルビア社会党が多数派を占めたが、ミロシェヴィッチ政権の崩壊後、セルビア民主党を中心として政権が樹立された。その後、コソボ独立問題などで両党の対立が深刻化した。2008年5月の総選挙の後、民主党やG17プラスなどに、かつての仇敵であったセルビア社会党を加えた連立政権が発足した。セルビア社会党が政権の座につくのは、2000年のミロシェヴィッチ政権崩壊以来のことであった。
司法府 最高司法機関は最高破毀裁判所であり、長官は高等司法評議会の提案を受けて議会により選出される。任期は5年で再任はできない。下級裁判所の裁判官の任期は終身とされるが、最初の任官時の任期は3年である。高等司法評議会の提案により議会により選出される。法律等の合憲性を審査する裁判所として憲法裁判所が設置されている12 。
国際関係 同じスラブ系民族であるロシアは伝統的な友好国であり、欧州の中で最も緊密な関係にある。EUと加盟交渉を進めているにもかかわらず、ウクライナ侵攻をめぐる対ロシア制裁の発動を拒み、ロシアからの天然ガスの輸入を続けている。2024年2月にはロシアから対ドローンシステムや戦闘車両の購入に踏み切った。
民間レベルでも親露感情が強く、オープン・ソサエティー財団が2022年に実施した調査で、ロシアがウクライナの領土から撤収すれば紛争は解決すると考える人の割合はセルビアでは12%だった。日米欧では60%前後、中立的なスタンスのトルコやインドでさえ40〜50%台だったのに比べるとロシア寄りの姿勢が際立つ13 。
一方で国としてはロシアのウクライナ侵攻を支持しておらず、ワグネルがセルビア国内で勧誘を行った際は非難の声が起こった14 。
「一帯一路 」で欧州の玄関口に位置し、中国が鉄道や橋などのインフラ投資を重ねてきた。ビザ (査証)の相互免除協定や自由貿易協定 (FTA)をそれぞれ結ぶなど、友好的な関係にある15 。1999年にコソボ紛争 でNATOに空爆された 際、中国大使館が米軍に誤爆され、多数の死傷者を出した経緯から、反米・反NATO感情を共有している16 。
2023年に開催された一帯一路首脳会議では、欧州のほとんどが首脳級の参加を見送るなか、ブチッチ大統領とハンガリーのオルバン 首相だけが北京に足を運んだ13 。
2024年に習近平 総書記 (国家主席 )がセルビアを訪問した際は、街中に中国国旗や歓迎する言葉が中国語で掲げられ、ブチッチ大統領も歓迎スピーチで「台湾は中国」と発言するなど、欧州における最大の理解者となっている17 。
軍事
地理
住民 北部のヴォイヴォディナ は第一次大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国 からセルビア王国が獲得した領土でありハンガリー 系やスロバキア 系などセルビア系以外の住民が多い(特に北端の3自治体ではハンガリー人が多数派となっている)。また、モンテネグロ国境近くには、イスラム教徒(ボシュニャク人 )が多数派を占めるサンジャク があるが、ヴォイヴォディナ等とは異なりひとつの行政区にまとめられたり自治権を持ったりはしていない。セルビアが自国領と主張しているコソボ ではアルバニア人の方が多数である。
クロアチア やボスニア・ヘルツェゴビナ との国境では、クロアチアやボスニアの方にセルビア人 が多く住んでいたが、クロアチア国内に居住していたセルビア人は1991年から1995年に展開されたクロアチア紛争 で難民となり、その多くがセルビアに流入した。ミロシェヴィッチ政権はその一部をセルビア領のコソボに移住させ、コソボでの人口バランスの変化を狙った。コソボのアルバニア人は多産社会で、セルビア人よりも出産率が高いため、コソボのアルバニア人比率は40年ほどの間に劇的に増大していた。
地方行政区分 セルビア共和国は31の郡(オクルグ Округ / Okrug )とベオグラード からなる(コソボ の7つの郡を含む)。また、北部の7つの郡はヴォイヴォディナ 自治州に属している。南部の7つの郡が属するコソボは1999年以降は国連によってセルビアの影響力がほぼ排除され、2008年には独立を宣言したが、セルビア政府はこの独立を認めておらず、コソボは自国領との立場をとっている。
それぞれの郡は幾つかの基礎自治体(オプシュティナ Општина / Opština )に分けられ、これが最小の行政単位である。
経済 セルビアの2018年の国内総生産 は、IMF の試算によると約505億ドルである。また、同年の一人当たりのGDPは7,223ドルである。18 セルビア及びヴォイヴォディナではセルビア・ディナール が流通している。コソボではコソボ紛争以降セルビアの統治権は排除され、ドイツマルク が流通していた。2002年にドイツマルクの流通が停止されユーロに切り替わってからは、ユーロ が流通している。
鉱業 モンテネグロを含むセルビアの鉱業を特徴付けるのは豊富な有機鉱物資源である。品質は低いが燃料に向く褐炭 を大量に産出する。2002年時点の採掘量は、世界シェアの3.8%に達する3450万トン(世界第10位)である。このため、輸入に占める燃料の割合は数%以下であり、総発電量に占める火力発電の比率が64.5%と高い。つまり、エネルギー自給に関してはセルビアには問題が少ない。
品位の高い石炭 の採掘量は10万トン、原油 は88万トン、天然ガス は28千兆ジュールである。無機鉱物資源は種類が多いものの、採掘量は少ない。亜鉛 、金 、銀 、銅 、鉛 、アルミニウム の原料となるボーキサイト 、マグネシウム を産出する。火力発電 に加え、水力発電 (総発電量の36.5%)にも適した地形であるため、セルビアは電力に恵まれている。その結果、輸出に占めるアルミニウムの割合は8.4%に達し、最大の輸出品目となっている。
交通
道路
鉄道 セルビアの鉄道は主にセルビア鉄道 によって経営されており、同鉄道事業者 は観光用の鉄道や国内輸送から国際輸送まで幅広い分野を担っている。また、首都ベオグラードにおいて計画中のベオグラード地下鉄 があり、こちらは資金不足により幾度にわたって建設が遅れている問題点を残しているが、2014年にベオグラード市長がフランス の援助の下で2016年に着工する計画について言及しており19 、今後の計画の実現が注目されている。
航空
国民
民族 前回の国勢調査は、ユーゴスラビア紛争直前の1991年であったが、一連のユーゴスラビア紛争の結果旧ユーゴスラビア構成諸国家での民族構成の大きな変化が統計的に明らかになった。セルビアでは、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボなどからの大量のセルビア人難民が流入したためセルビア国内でセルビア人が占める割合が増大した。一方で、ヴォイヴォディナ地方を中心に住んでいたクロアチア人が大量にセルビアを脱出した。また、ユーゴスラビア解体の動きと連動して自らのエスニック・グループ が「ユーゴスラビア人」であると主張する人の割合は少なくなってきている。
言語 セルビア人の言語はセルビア語 、クロアチア人はクロアチア語 、ボシュニャク人はボスニア語 である。セルビア語の表記にはキリル文字 が、それ以外の言語ではラテン文字 が好まれることを除いて、この3つの言語に大きな差異はなく、かつてはひとまとめにセルビア・クロアチア語 とされていた。同じ地域に住み、同じ方言を話していても、セルビア人の話す言語はセルビア語、クロアチア人の話す言語はクロアチア語とみなされる。
婚姻 婚姻時、改姓せず夫婦別姓 とすることも、配偶者の姓に改姓し夫婦同姓とすることも、複合姓とすることも可能20 。
宗教
教育
保健
医療
治安 首都ベオグラードを中心に、窃盗 (スリや置き引き)の犯罪被害が発生しており、日本人が犯罪の被害に遭う事例も報告されている。
特に電車、バスなどの公共交通機関内、観光地(クネズミハイロバ通りやカレメグダン公園)、飲食店、大型ショッピングモール等では被害が多く見られているため、十分な注意が必要である21 。
人権
マスコミ
文化
食文化
文学 セルビアの文学では、ロマン主義的な詩人であるラーザ・コスティッチ の存在が知られている。彼はシェイクスピア の作品を積極的にセルビア語へ翻訳するなど、英文学の研究とその促進も活発に行なった。
音楽
映画
被服 セルビアの民族衣装はオスマン帝国の文化の影響を強く受けている面があり、ディナール、モラヴァ、パノニア、ヴァルダルといった幾つかのグループに分けられていることが特徴点となっている。
また同国は19世紀以降、西洋風の服飾やその関連文化を積極的に採り入れ続けている国の一つである。
建築 セルビアの建築文化は歴史上、諸外国の建築文化が融合している面を持っており、その内容も非常に多様で豊か且つ長いものとなっている。セルビアの建築文化は古いものではローマ建築 やビザンティン建築 、新しいものではポストモダン建築 と実に幅広い22 。
傍ら、ユーゴスラビア時代のブルータリズム 建築物も多数遺されていることが知られている。
世界遺産
祝祭日
スポーツ バレーボールもバスケットボール同様、セルビア国内では人気のスポーツとなっている。男子代表 、女子代表 はともに世界屈指の強豪チームでもある。
著名な出身者
脚注
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