青山忠成
青山 忠成は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府町奉行、老中。常陸国江戸崎藩の初代藩主。青山家宗家9代。通称藤右衛門。官位は従五位下・常陸介、播磨守。
生誕~死没 1551年9月6日 ~ 1613年4月10日最終更新 2026/10/16 14:57
青山 忠成(あおやま ただなり)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕府町奉行、老中。常陸国江戸崎藩の初代藩主。青山家宗家9代。通称藤右衛門。官位は従五位下・常陸介、播磨守。
経歴
青山氏は三河国額田郡百々村1出身の国人で、忠成の父・忠門(青山忠世の子)が松平広忠・徳川家康に仕えたことから記録に残る。忠成は若年期から家康に近侍していたが、元亀2年(1572年)、父が武田信玄との戦いで討死したために家督を継いだ。
家康の信任は厚く、天正13年(1585年)には家康の三男・秀忠の傅役に命じられた。天正16年(1588年)には秀忠に従って上洛、豊臣秀吉によって従五位下・常陸介に叙任されている。さらに天正18年(1590年)、家康が関東に移封されると江戸町奉行に任命され、5,000石の領地を与えられた。さらに、文禄元年(1593年)には2000石を加増されて7000石となっている。また、原宿村を中心に赤坂の一部から上渋谷村にかけての広い屋敷地を賜っており、現在の東京都青山の地名は、屋敷地の一部であったことが由来といわれている。なお一時期、青山家が改易された際に屋敷地も没収され、広大な土地にはの別邸など大名屋敷が林立することとなったが、後に大名として復帰した際にも以前ほどではないものの小大名とは思えないほど広大な敷地を有していた。
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