豪姫
豪姫は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。宇喜多秀家の正室。前田利家の四女。豊臣秀吉の養女。羽柴氏。南の御方、備前の方、京。樹正院。洗礼名「マリア」。
生誕~死没 1574年 ~ 1634年6月18日最終更新 2026/10/16 14:45
基本情報
- 生誕 ~ 死没
- 1574年 ~ 1634年6月18日
豪姫(ごうひめ、天正2年(1574年) - 寛永11年5月23日(1634年6月18日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。宇喜多秀家の正室。前田利家の四女。豊臣秀吉の養女。羽柴氏。南の御方、備前の方、京。樹正院。洗礼名「マリア」。
生涯
天正2年(1574年)、織田氏家臣・前田利家の四女として尾張国荒子(現・愛知県名古屋市中川区)に生まれる1。生母はまつ(芳春院)。
数え2歳の時(『川角太閤記』)、父の利家が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)との仲を深めるため、子のなかった秀吉夫婦の養女として出された2。豪姫は安土城で秀吉や正室の寧々に太閤秘蔵の子として寵愛されたといわれる3。わずか数え2歳の時点で養子に出したことから利家と秀吉の間柄には信頼関係が醸成されていたことが窺える4。その後、一時播磨姫路城にいたとされる52。
天正16年(1588年)以前に秀吉の猶子であった備前国(現・)ので主・宇喜多秀家の妻として嫁ぎ「備前御方」と呼ばれ、文禄2年には「南御方」と改称した。また両者の婚姻は天正14年(1586年)とする説もある。・・(・室)らを産む。ところが、5年(1600年)、秀家がでら西軍方に属していたため、戦後に宇喜多氏は。秀家はに潜伏しに匿われる。しかし慶長7年(1602年)、島津氏が徳川家康に降ったため、秀家は助命を条件に引き渡され、息子2人と共に慶長11年(1606年)にに流罪とされた。
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