衛満
衛 満は、紀元前2世紀に朝鮮半島北部に衛氏朝鮮を建国した人物。朝鮮の歴史において同時代の歴史書に明記される最初の君主である。『史記』朝鮮伝では名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは『三国志』裴松之の注で引かれた『魏略』以降である。衛満について『史記』および『漢書』に詳細に記述されており、それによると、衛満は燕人である。
生誕 年不詳最終更新 2026/10/16 14:46
基本情報
- 生誕
- 年不詳
- ハングル:
- 위만
- 漢字:
- 衛満
- 日本語読み:
- えいまん
- 2000年式:MR式:
- Wi Man, Wi Man
衛 満(えい まん、生没年不詳)は、紀元前2世紀に朝鮮半島北部に衛氏朝鮮を建国した人物。朝鮮の歴史において同時代の歴史書に明記される最初の君主である。『史記』朝鮮伝では名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは『三国志』裴松之の注で引かれた『魏略』以降である。衛満について『史記』および『漢書』に詳細に記述されており、それによると、衛満は燕人である12。
生涯
衛満に関する最も古い記録は『史記』であるが、単に「満」とだけ表記しており、『漢書』も「満」と表記している。『潜夫論』において「魏満」という表記がみられ、『魏略』『三国志』『後漢書』などは「衛満」と表記している3。
『史記』によれば衛満は中国燕の人であり4、燕王であった盧綰の部下だった(一方、『新撰姓氏録』は衛満は燕の大相国だったとあり、盧綰の腹心だったように書いている)。盧綰は漢朝の高祖の幼馴染であったが、謀反の嫌疑により漢軍の討伐を受け、前195年に盧綰は匈奴に亡命、衛満も東方へ逃れた。その際に衛満は千戸を率い浿水(現在の鴨緑江5)を渡河、「秦故空地上下鄣」に定住した。「上鄣と下鄣」は二つの定義があり、一つは、の居住地がない地域、つまり無人の荒地であり、二つは、谷や海の外側の平らな場所で、主にやを指し、以前から中国勢力がこの地域に進入し、無人の空き地に軍事要塞をつくって植民地化し、近隣の先住民を支配していた。秦が滅亡すると、中国は混乱に陥り、・・の民たちは相次いでに亡命・避難した。さっそく衛満は、我ら亡命者が朝鮮を護るとのにとりいり、準王は、中国の・・の人々が集まっている西部の亡命者の統治を衛満に任命し、衛満は、朝鮮西部に亡命者をつくった。・の混乱期以来、この亡命者コロニーに逃げこんだ・・からの中国人は数万人にのぼっていた。さらに衛満は燕・・からの亡命者を誘いいれ、亡命者コロニーの指導者となった。
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