内藤政長
内藤 政長は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。上総佐貫藩主を経て陸奥磐城平藩主。延岡藩内藤家宗家初代。官位は従四位下、左馬助。
生誕~死没 1568年 ~ 1634年12月7日最終更新 2026/10/16 14:55
内藤 政長(ないとう まさなが)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。上総佐貫藩主を経て陸奥磐城平藩主。延岡藩内藤家宗家初代。官位は従四位下、左馬助1。
経歴
永禄11年(1568年)、内藤家長の長男として生まれる。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで初陣し、功績を挙げた。天正17年(1589年)、豊臣秀吉により豊臣姓を下賜された。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城攻防戦で父が鳥居元忠や松平家忠らとともに戦死したため、その跡を継ぐこととなった。関ヶ原の戦いで政長は下野宇都宮で上杉景勝の南下に備え、戦後に戦死した父並びに自身の功績を賞されて天羽郡において1万石の加増を受け、上総佐貫3万石を領した1。
慶長19年(1614年)、大久保忠隣失脚により彼の孫娘を娶っていたことからのがされると、(の子)と共にの受取りの使者となる。この城受取りの総指揮官には政長が任命された。
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