ルワンダ — OpenHistory
国名 正式名称はルワンダ語 でRepublika y'u Rwanda [\u.ɾɡwanda](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) ( 音声ファイル)、英語 でRepublic of Rwanda [\ɹuːˈɑːndə, ɹuːˈændə](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) 、フランス語 でRépublique du Rwanda 、スワヒリ語 でJamhuri ya Rwanda 。
歴史
ドイツ植民地時代
ベルギー植民地時代
独立後 1962年に独立し1 、ルアンダ=ウルンディの第2代大統領であったフツのグレゴワール・カイバンダ がそのまま共和国の初代大統領に就任した。独立直後のルワンダは最貧国の一つであり、財政は大幅赤字状態で、1963年には亡命 したツチ系武装勢力が一時、首都のキガリから14キロメートルまで迫るなど深刻な状態にあった5 。しかし、1966年から開始された経済再建計画の成果もあり、以後ルワンダ紛争 勃発までの約20年にわたり、ルワンダはアフリカの模範生としてほぼ一貫して発展を続けることになる5 。カイバンダ政権にはツチの閣僚も存在したものの5 、政治的にはツチを排除する政策がとられた6 。
1980年代末の時点でルワンダは大きな発展を遂げていたものの、一方で都市化 の進展や環境破壊 、さらに1987年に主要産品の一つであるコーヒー 価格が暴落したこともあり、貧富の差が拡大5 。経済格差を示すジニ係数 が1982年の0.357から、1992年には社会騒乱の危険ラインを超える0.583に悪化するなど、のちの紛争の芽が育まれつつあった5 。
ルワンダ紛争 1987年、隣国のウガンダに逃れていたツチ系の難民 が主体となり、ルワンダ愛国戦線 (RPF)が結成された。1990年以降、ルワンダ帰還を目指したRPFとルワンダ政府の間で内戦 に陥った(ルワンダ紛争 )2 。タンザニアやザイール はRPFの攻撃をウガンダによる武力侵攻であるとして、派兵を行っている5 。経済低迷や政治的混乱のなか、さらにRPFの侵攻に晒されたハビャリマナは、これまでの和解政策を改め、反ツチのイデオロギー を掲げるようになる6 。
ルワンダ虐殺 急進的なフツ至上主義 の台頭による政情悪化が収まらず、1994年4月にジュベナール・ハビャリマナが搭乗機の撃墜により暗殺 された事件(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件 )を発端に、政府と暴徒化したフツによる、ツチと穏健派フツに対するジェノサイド が勃発した(ルワンダ虐殺 )2 。この結果、約100日間のうちに当時のルワンダの総人口約730万人中、およそ80万人から100万人が殺害されたと見られている。虐殺は、その勃発を受けて侵攻を再開したRPFがルワンダ全土を掌握したことで終息し、フツのパストゥール・ビジムング を大統領、RPFのポール・カガメ を副大統領とする新政権が同年7月に樹立された2 。同時に、新政権は身分証明書への出身部族 記載をやめる2 など国家・社会再建に動き出した。
大湖地域の難民危機 ルワンダ虐殺により、約210万人ともいわれる大量の難民が周辺国に流出した。ジャーナリストのフィリップ・ゴーレイヴィッチ によれば、難民の中身はRPFによる報復を恐れたフツの一般人と、旧フツ政権指導層および軍や民兵 の組織的な大量疎開 であったように描写している7 。このうちの後者について、ジェラール・プルニエなどは「難民キャンプ をルワンダ奪還に向けた軍事拠点にしようとする旧フツ政権指導部による計画的な疎開であり、その意味では戦争の継続だった」としている8 。以後、ルワンダ情勢は安定に向かったが、難民の本国帰還は進まず、むしろ周辺諸国の政治・軍事情勢を不安定化させて国際問題となり、大湖地域の難民危機 と呼ばれた(ルワンダ周辺は、キブ湖 やビクトリア湖 など大きな湖が点在することから「大湖地域」と称される)。
ツチ主導のルワンダ新政府の要請を受けて、1994年に国連安全保障理事会 は、ルワンダ領域内および隣接諸国においてジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際戦犯法廷 を設置。
コンゴ戦争
カガメ政権 2000年、ビジムング大統領の辞任に伴いツチのポール・カガメ が第5代大統領に就任した5 。
カガメは大統領に就任した2000年に発表した国家開発計画『VISION2020』で、情報通信技術 (ICT)立国を掲げた2 。内戦によりルワンダの産業・経済は深刻な打撃を受けたが、1999年には内戦前の水準へと回復を果たしていた5 。内戦時代に海外へ脱出(ディアスポラ )したツチのうちの200万人近くが戦後帰国し、海外で習得した様々なスキルで国の復興に尽力している。21世紀に入り顕著に近代化が進み、「アフリカのシンガポール 」9 「アフリカの奇跡」10 と呼ばれている。毎年の経済成長 率が7%前後と急成長を遂げ、首都のキガリは中国 企業11 などによって、ルワンダで最も高いランドマーク のキガリ・シティ・タワー をはじめとする近代的な建物や道路が建設され、市内の街並みは新しくなった12 9 13 。また、2008年からレジ袋 の製造・輸入 ・販売を厳しく取り締まり、違反者には薬物 使用と同程度の罰が課せられるようになった14 15 。
カガメは2018年度のアフリカ連合議長 を務めてアフリカ大陸自由貿易協定 の設立に主導的な役割を果たした16 。一方で、激しい反体制派への弾圧などで自らの権力基盤を強化するその手法は独裁 的であるとの批判もある17 。実際に、2015年には憲法 第172条が改正され、2034年まで大統領職に留まることが可能となった18 。カガメ大統領は『日本経済新聞 』記者による取材に対して「完璧な指導者などいない」「ルワンダにふさわしい統治をしている」と語り、強権的との批判は「気にしない」と述べている19 。
女性の地位向上 伝統的には家父長制 社会であったが、大虐殺後の国家再建の過程でジェンダー平等 と、農業や家事以外の仕事での女性活躍が進んだ2 。2008年にはルワンダ議会 は、世界各国の議会で初めて女性議員が過半数となった2 (後述 )。2003年制定の新憲法が2015年に改正され、あらゆる意思決定組織で女性の比率を30%以上にすることを定めた2 (クオータ制 )。アーネスト・ルワムキョ駐日ルワンダ大使によると、女性は重要な役職に就いても不正や汚職 に手を出さず、女性も出世できると認識されたことで娘に教育を受けさせる家庭が増えていると語っている2 。
3月23日運動の反乱
政治 ルワンダは共和制 をとる立憲国家であり、現行憲法は2003年5月26日に承認され、同年6月4日に施行された。
国家元首 である大統領 は国民 の直接選挙により選出され、任期は7年。3選禁止となっている。首相 は大統領により任命され、内閣 に相当する閣僚評議会 のメンバーは大統領が任命する。
現行憲法下のルワンダ議会 は、二院制 で上院と下院で構成されている。上院は定数26議席で、うち12議席は地方議会が選出、8議席は大統領が任命、4議席は政府の諮問機関である政治組織フォーラム が選出、2議席は高等教育機関 の代表で構成される。下院は定数80議席で、53議席は国民の直接選挙で選出され、24議席は地方が選任する女性議員枠、3議席は青年組織や障害者組織が選出する。議員の任期は上院が8年、下院が5年となっている。ルワンダ虐殺で男性の数が減り、さらに憲法で女性議員 数が全体の30%を超えるように決められているため、女性議員が世界で最も多い。2008年には女性議員が世界で初めて全体の過半数を占めた20 。
内戦後のルワンダ政府における著しい特色として、ガバナンス (統治能力)の向上が挙げられる。一例として、内戦後のルワンダでは汚職の減少が急速に進み、2016年には政府のクリーンさにおいて世界50位、アフリカで3位にまでつけるようになった22 。また、強化された中央政府の権力によって開発がスムーズに進むようになり、これはルワンダの経済成長の要因の一つともなっている。一方で、政府の指導が市民生活の隅々にまで入り込み、各地の行政官は上部組織に対しイミヒゴと呼ばれるノルマ を設定して開発計画を進めていく23 など、強権的な開発独裁 体制が確立している。
国際関係 フランス 政府はハビャリマナ暗殺に関わったとしてカガメ政権関係者を訴追し、カガメ側もフランスが虐殺を支援したと非難して国交 を断絶していたが、2009年11月29日に3年ぶりに国交回復した24 。
ルワンダ政府は英語圏 への接触を図り、2009年11月29日に英連邦 への加盟が認められ、54番目の加盟国となった。旧イギリス植民地以外で加盟が認められたのは1995年のモザンビーク 以来のことである。
カガメ政権誕生後はイスラエル との関係も良好な数少ないアフリカの国でありイスラエルのネタニヤフ政権は2019年にルワンダにイスラエル大使館を創設した25 。また、情報産業、サイバーセキュリティー関連等でのイスラエル企業との協力も行われている。
隣国ブルンジ とは言語・社会構造・民族構成・地形などがほぼ共通しており、兄弟国と言っていいが、両国間の関係は独立以降1980年代末までは非常に険悪だった。これは、独立直前の革命によってルワンダがツチの国王や社会上層を排除してフツ中心の社会を作り上げたのに対し、ブルンジは王政が崩壊したあともツチが社会の中心となっていたためである28 。
軍事
予算 1億210万ドル(2020年 ミリタリーバランス2021)
兵役 志願制
兵力 3万3,000人(陸軍32,000人、空軍1,000人、予備役2,000人)(2020年 ミリタリーバランス2021)30
地理 ルワンダの面積は2万6000km2で、アフリカ大陸 の中央にあり赤道 から緯度 で数度だけ南に位置する。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと接している。国土の中央に位置する首都のキガリ以外は基本的に丘陵地で、それぞれに小農場が分布する。北西の火山 群から南東へごつごつした山地が連なり、西部にコンゴ川 とナイル川 の流域 を分ける平均海抜 2,740メートルの分水嶺 が南北に走っている。その西斜面をキブ湖 とルジジ川 渓谷に下るとアフリカ大地溝帯 の一部となる。キブ湖とルジジ川は、コンゴ民主共和国との国境ともなっている。東斜面はなだらかに中央高地から平原、沼沢地、湖へと標高が低下し、東端を南北に流れるカゲラ川 がタンザニアとの国境となっている。
一部の山岳地帯を除き国土のほぼ全域がなだらかな丘陵 によって覆われているため、ルワンダは「千の丘 の国」と呼ばれる2 。この丘陵は全て頂上まで耕されており、ルワンダの稠密な人口を支えている。居住形態は散村 が一般的だったが、ルワンダ内戦後に政府の強力な主導の下で集住化政策が実施されて集村 が誕生し、一部では農村形態が大きく変動した31 。森林は、開発の制限されている3つの国立公園 (東部のアカゲラ国立公園 、北西部の火山国立公園 、南西部のニュングェ国立公園 )を除きほぼ存在しない。ニュングウェ森林では、2006年にイギリスの探検隊がナイル川の源流 を発見したと発表した。
国内の平均標高 が1,600メートルと高地にあるため、月の平均気温は年間を通して20度台前半でアフリカ大陸では涼しく、雨季 が2回ある2 。
地方行政区分
現在の地方行政区画 2006年1月1日からルワンダの地方行政区分は新しいものになり、5つの州に再編した。
北部州 (Province du Nord )
南部州 (Province du Sud )
東部州 (Province de l'Est )
西部州 (Province de l'Ouest )
キガリ州 (Kigali )
2005年以前の地方行政区分 2005年以前は11の県と、首都のキガリで構成されていた。
主要都市
経済
農業 中心的産業は農業であり、2012年には労働人口の75.3%が第一次産業 に従事していた32 。国土全域に緩やかに広がる丘陵は頂上までよく耕され、肥沃である。こうした農地では集約農業 が営まれ33 、ルワンダの過剰な人口をともかくも支えられるだけの収穫をあげてきていた。農地は細分化されており、人口増加 によって細分化はさらに加速しているが、人口の多くは農村にとどまる傾向があり、狭小ながらも農民の多くは土地の一片は所有していることが多い。ルワンダ内戦後にツチの難民が帰還してきたときに、内戦によって難民化したフツの空き家や農地を接収して居住したため、1996年にフツ難民が帰還してくると各所で紛争が起こった。これに対しルワンダ政府は家屋を旧所有者であるフツに返し、土地は両者で折半させる、いわゆるランド・シェアリング政策を実施し、また女子の土地相続権 の確立も行われ、土地所有に大きな変動が起きた34 。農産品ではマラバ・コーヒー などのコーヒー が輸出品目として有名であり、2014年には総輸出の8.9%を占めた。もうひとつの輸出農産品は茶 で、総輸出の8.8%を占める32 。また湖での漁業従事者も見られる。
鉱業 輸出において最も重要な資源は農産物ではなく、鉱物資源 である。
アフリカ大地溝帯 に位置するため、海嶺 型の鉱物資源を産出する。生産量が最も多いのはスズ (1,900トン、2013年時点)である。経済的に重要なのはタングステン (730トン)で、世界第8位の産出国である。レアメタル も重要で、タンタル の産出は150トン(2012年)で世界生産の20.6%を占め世界1位となっているほか、ニオブ の産出も190トン(2012年)で世界3位となっている。このほか金 (3キロ)と天然ガス を採掘している。輸出品としては、2014年度ではニオブが総輸出の15.8%、スズ鉱が11.0%を占める32 。
観光 政治が安定してからは観光事業に力を入れており、リゾート開発など国内外から投資を集める。国立公園や湖沼など、大自然を活かした観光資源が欧米にも人気である。アーセナル 、バイエルン・ミュンヘン 、パリ・サンジェルマン など、欧州の有名サッカークラブとも観光事業で提携しており、ユニフォームスポンサーになっている。これについて、反政府勢力を巡りルワンダと対立するコンゴ 政府は、各クラブに「血まみれの提携」を終わらせるよう要求した。国際人権団体はルワンダによるスポーツイベントへの投資を「スポーツ・ウオッシング」(スポーツを利用したイメージ改善)と批判してきた35 。
「アフリカの奇跡」 内戦終結後、農業改革やインフラ整備、綱紀粛正による汚職 の減少、IT産業 の振興、海外からの投資の奨励などによって急速な経済成長を遂げており36 、この現象を指して「アフリカの奇跡 」と呼ばれている。
交通
国民
民族 国民の84%がフツ、15%がツチ、1%がトゥワである3 。
言語 ルワンダは、かつてはドイツ植民地のドイツ領東アフリカ であったが、ドイツ語は普及しなかった。さらに1916年のベルギーの入植以降はフランス語圏 となった。しかし長年の間、難民として英語圏 であるウガンダに逃れていたカガメ大統領をはじめとするツチ族の現政権のルワンダ愛国戦線 メンバーがルワンダ虐殺 以降制圧してルワンダを統治するにあたり、主に英語話者であり、多くはフランス語が話せなかったことと、親フランス的であった旧政権に対して現政権と関係の深いアメリカ合衆国 とイギリスの後押しもあり、2008年に公用語 にそれまではルワンダと関係が乏しかった英語が追加された。その翌年の2009年にはイギリス連邦に加盟し、英語圏諸国との関係強化を図った。同年、ベルギーによる植民地支配以来続いていたフランス語から教授言語 も英語へと変更され、政府要人にも英語を学ぶように要求しているなど、実質的にフランス語圏から英語圏への転換を図っている。既に政府などの公的機関のウェブサイト も英語版のみであり、フランス語版は存在しないなどフランス語の排除が進められた。
一方で2015年からはスワヒリ語教育が必修化され、2017年には公用語に追加された。また、2016年には初等教育でのフランス語教育が再導入され、閉鎖されたフランス語学校の再開など、悪化したフランス語圏との関係の回復も進められている。実際に、フランスの支持を取りつけたことでルイーズ・マッシキワボ が2018年にフランコフォニー国際機関 の事務総長に選出された。
国民の大半はフランス語を話すことはできても英語をほとんど話せない状況であったのにもかかわらず、戦乱による人口の減少・流出と、英米と結んだ新政権の判断によって短期間でフランス語圏から英語圏へと変わった世界でも稀な国でもある。
婚姻・家族 姓が同じことは親類関係を意味せず、姓は家族間で異なるのが一般的。したがって、夫婦別姓 である。慣習では、子には家族のいずれとも異なる姓をつける。家族が全て同じ姓を持つことは極めて稀である38 。
宗教
教育 2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率 は70.4%(男性:76.3%、女性:64.7%)である3 。2005年にはGDPの3.8%が教育に支出された3 。
2007年時点では国際人権A規約 の「中・高等教育の無償化」の条項を留保しているのは、ルワンダとマダガスカル 、日本の3か国のみであったが、2008年12月にルワンダは留保を撤回した39 。
初等教育3年次まではルワンダ語、その後は英語が教授言語となっている。スワヒリ語教育は必修となっている。国民の100%が理解できるルワンダ語は教育では初等教育を除くと使われていない。
IT立国を目指す政策により、電気のない地域にもインターネットなどができるバスを導入したり、簡易パソコン を使った初等教育を行ったりしている。またITを教えるトゥンバ高等技術専門学校 も日本の援助で設立され、英語によって授業が進められている。
保健 ルワンダにおける2007年のヒト免疫不全ウイルス (HIV)感染者は推計で約15万人であり3 、感染率は2.8%である3 。ルワンダ人の平均寿命 は56.77歳(男性:55.43歳、女性:58.14歳)である3 。
医療
治安 ルワンダの治安は近隣国の治安よりは良いものとされている40 が、同国の国家警察の2019年の発表によれば、犯罪の発生上位は窃盗 、暴行 ・傷害 、麻薬 関連犯罪となっているが、殺人 、強盗 、強姦 などの凶悪犯罪も発生しているのが現状ともなっている。
外国人が多く居住するキヨブ、ニャルタラマ、カチール、ガチュリロ、キバガバガ、カググ、キミフルラ地区では侵入窃盗が年に数件発生しており、充分な注意が求められている。
人権 前述のようにクオータ制 が導入されて女性の社会進出が顕著である。2015年には、ジェンダーに関する犯罪に対処するワンストップセンターが設立された2 。
2022年4月には、イギリスが難民をルワンダに移送する代わりに同国へ1億2000万ポンド を投資する計画が発表され、非人道的との批判が起きたが、ルワンダは内戦で自国から難民が流出した歴史に鑑みて他国の難民を受け入れる政策をとっている2 。
マスコミ ルワンダ国内では様々なテレビネットワーク、新聞社、ラジオ局が運営されている。
文化 ルワンダには、毎月最終土曜日の午前中に店舗の営業や交通機関の運行を休止し、地域住民で奉仕作業を行う「ウムガンダ 」という活動が義務づけられている。18歳から65歳までの国民が対象とされており、清掃作業や学校や病院などの建設作業も行われる。
食文化
文学 ルワンダには文学の歴史がないものの、詩から民話に至るまで、根強い口承文学 の伝統が存在する。ルワンダの文学者で有名な人物は、言語学者 や歴史家 として活動していた哲学者 のアレクシス・カガメ であり、彼は口承の伝統に関する研究を実施および発表した経歴を持つ。
音楽
世界遺産
伝統工芸
スポーツ また、ルワンダ政府がプレミアリーグ ・アーセナル と契約しており、2018-19シーズンよりVISIT RWANDA の広告をユニフォーム袖部分に掲出している42 。
著名な出身者
参考文献
ゴーレイヴィッチ, フィリップ (2003a-06). 柳下, 毅一郎. ed. ジェノサイドの丘〈上〉ルワンダ虐殺の隠された真実 . WAVE出版. ISBN 9784872901580
ゴーレイヴィッチ, フィリップ (2003b-06). 柳下, 毅一郎. ed. ジェノサイドの丘〈下〉ルワンダ虐殺の隠された真実 . WAVE出版. ISBN 9784872901597
Prunier, Gerard (2009). Africa's World War: Congo, the Rwandan Genocide, and the Making of a Continental Catastrophe . オックスフォード : オックスフォード大学出版局 . ISBN 978-0-19-537420-9
脚注
3月23日運動の反乱
ルワンダ共和国
Republika y'u Rwanda (ルワンダ語)
République du Rwanda (フランス語)
Republic of Rwanda (英語)
Jamhuri ya Rwanda (スワヒリ語)
国の標語:Unity, Work, Patriotism
(日本語: 統一、労働、愛国心)
国歌 :Rwanda Nziza (ルワンダ語)
美しきルワンダ
ルワンダ共和国 (ルワンダきょうわこく)、通称ルワンダ は、東アフリカ にある共和制 国家 。内陸国 であり、西はコンゴ民主共和国 、北はウガンダ 、東はタンザニア 、南はブルンジ と国境 を接する。首都 はキガリ 1 。イギリス連邦 、東アフリカ共同体 2 、アフリカ連合 などの加盟国である。
アフリカ で最も人口密度 が高い国である3 。
概要
当時の国民の1割以上が犠牲になったルワンダ虐殺 (1994年)を経て、ルワンダ虐殺当時の反政府軍である 司令官 が大統領を連続当選し続けている。2000年の大統領職への初就任以降に欧米の支援の下でルワンダへ奇跡的な復興と発展させたことが評価される一方で、 であるものの反体制派への弾圧や任期延長など が批判されている 。2020年代において、アフリカ諸国のなかでも は比較的良好な国とされる 。2022年の は、126位で独裁政治体制へ区分されている。
国名 正式名称はルワンダ語 でRepublika y'u Rwanda [\u.ɾɡwanda](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) ( 音声ファイル)、英語 でRepublic of Rwanda [\ɹuːˈɑːndə, ɹuːˈændə](/ja/w/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E8%A8%98%E5%8F%B7) 、フランス語 でRépublique du Rwanda 、スワヒリ語 でJamhuri ya Rwanda 。
歴史
ドイツ植民地時代
ベルギー植民地時代
独立後 1962年に独立し1 、ルアンダ=ウルンディの第2代大統領であったフツのグレゴワール・カイバンダ がそのまま共和国の初代大統領に就任した。独立直後のルワンダは最貧国の一つであり、財政は大幅赤字状態で、1963年には亡命 したツチ系武装勢力が一時、首都のキガリから14キロメートルまで迫るなど深刻な状態にあった5 。しかし、1966年から開始された経済再建計画の成果もあり、以後ルワンダ紛争 勃発までの約20年にわたり、ルワンダはアフリカの模範生としてほぼ一貫して発展を続けることになる5 。カイバンダ政権にはツチの閣僚も存在したものの5 、政治的にはツチを排除する政策がとられた6 。
1980年代末の時点でルワンダは大きな発展を遂げていたものの、一方で都市化 の進展や環境破壊 、さらに1987年に主要産品の一つであるコーヒー 価格が暴落したこともあり、貧富の差が拡大5 。経済格差を示すジニ係数 が1982年の0.357から、1992年には社会騒乱の危険ラインを超える0.583に悪化するなど、のちの紛争の芽が育まれつつあった5 。
ルワンダ紛争 1987年、隣国のウガンダに逃れていたツチ系の難民 が主体となり、ルワンダ愛国戦線 (RPF)が結成された。1990年以降、ルワンダ帰還を目指したRPFとルワンダ政府の間で内戦 に陥った(ルワンダ紛争 )2 。タンザニアやザイール はRPFの攻撃をウガンダによる武力侵攻であるとして、派兵を行っている5 。経済低迷や政治的混乱のなか、さらにRPFの侵攻に晒されたハビャリマナは、これまでの和解政策を改め、反ツチのイデオロギー を掲げるようになる6 。
ルワンダ虐殺 急進的なフツ至上主義 の台頭による政情悪化が収まらず、1994年4月にジュベナール・ハビャリマナが搭乗機の撃墜により暗殺 された事件(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件 )を発端に、政府と暴徒化したフツによる、ツチと穏健派フツに対するジェノサイド が勃発した(ルワンダ虐殺 )2 。この結果、約100日間のうちに当時のルワンダの総人口約730万人中、およそ80万人から100万人が殺害されたと見られている。虐殺は、その勃発を受けて侵攻を再開したRPFがルワンダ全土を掌握したことで終息し、フツのパストゥール・ビジムング を大統領、RPFのポール・カガメ を副大統領とする新政権が同年7月に樹立された2 。同時に、新政権は身分証明書への出身部族 記載をやめる2 など国家・社会再建に動き出した。
大湖地域の難民危機 ルワンダ虐殺により、約210万人ともいわれる大量の難民が周辺国に流出した。ジャーナリストのフィリップ・ゴーレイヴィッチ によれば、難民の中身はRPFによる報復を恐れたフツの一般人と、旧フツ政権指導層および軍や民兵 の組織的な大量疎開 であったように描写している7 。このうちの後者について、ジェラール・プルニエなどは「難民キャンプ をルワンダ奪還に向けた軍事拠点にしようとする旧フツ政権指導部による計画的な疎開であり、その意味では戦争の継続だった」としている8 。以後、ルワンダ情勢は安定に向かったが、難民の本国帰還は進まず、むしろ周辺諸国の政治・軍事情勢を不安定化させて国際問題となり、大湖地域の難民危機 と呼ばれた(ルワンダ周辺は、キブ湖 やビクトリア湖 など大きな湖が点在することから「大湖地域」と称される)。
ツチ主導のルワンダ新政府の要請を受けて、1994年に国連安全保障理事会 は、ルワンダ領域内および隣接諸国においてジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際戦犯法廷 を設置。
コンゴ戦争
カガメ政権 2000年、ビジムング大統領の辞任に伴いツチのポール・カガメ が第5代大統領に就任した5 。
カガメは大統領に就任した2000年に発表した国家開発計画『VISION2020』で、情報通信技術 (ICT)立国を掲げた2 。内戦によりルワンダの産業・経済は深刻な打撃を受けたが、1999年には内戦前の水準へと回復を果たしていた5 。内戦時代に海外へ脱出(ディアスポラ )したツチのうちの200万人近くが戦後帰国し、海外で習得した様々なスキルで国の復興に尽力している。21世紀に入り顕著に近代化が進み、「アフリカのシンガポール 」9 「アフリカの奇跡」10 と呼ばれている。毎年の経済成長 率が7%前後と急成長を遂げ、首都のキガリは中国 企業11 などによって、ルワンダで最も高いランドマーク のキガリ・シティ・タワー をはじめとする近代的な建物や道路が建設され、市内の街並みは新しくなった12 9 13 。また、2008年からレジ袋 の製造・輸入 ・販売を厳しく取り締まり、違反者には薬物 使用と同程度の罰が課せられるようになった14 15 。
カガメは2018年度のアフリカ連合議長 を務めてアフリカ大陸自由貿易協定 の設立に主導的な役割を果たした16 。一方で、激しい反体制派への弾圧などで自らの権力基盤を強化するその手法は独裁 的であるとの批判もある17 。実際に、2015年には憲法 第172条が改正され、2034年まで大統領職に留まることが可能となった18 。カガメ大統領は『日本経済新聞 』記者による取材に対して「完璧な指導者などいない」「ルワンダにふさわしい統治をしている」と語り、強権的との批判は「気にしない」と述べている19 。
女性の地位向上 伝統的には家父長制 社会であったが、大虐殺後の国家再建の過程でジェンダー平等 と、農業や家事以外の仕事での女性活躍が進んだ2 。2008年にはルワンダ議会 は、世界各国の議会で初めて女性議員が過半数となった2 (後述 )。2003年制定の新憲法が2015年に改正され、あらゆる意思決定組織で女性の比率を30%以上にすることを定めた2 (クオータ制 )。アーネスト・ルワムキョ駐日ルワンダ大使によると、女性は重要な役職に就いても不正や汚職 に手を出さず、女性も出世できると認識されたことで娘に教育を受けさせる家庭が増えていると語っている2 。
3月23日運動の反乱
政治 ルワンダは共和制 をとる立憲国家であり、現行憲法は2003年5月26日に承認され、同年6月4日に施行された。
国家元首 である大統領 は国民 の直接選挙により選出され、任期は7年。3選禁止となっている。首相 は大統領により任命され、内閣 に相当する閣僚評議会 のメンバーは大統領が任命する。
現行憲法下のルワンダ議会 は、二院制 で上院と下院で構成されている。上院は定数26議席で、うち12議席は地方議会が選出、8議席は大統領が任命、4議席は政府の諮問機関である政治組織フォーラム が選出、2議席は高等教育機関 の代表で構成される。下院は定数80議席で、53議席は国民の直接選挙で選出され、24議席は地方が選任する女性議員枠、3議席は青年組織や障害者組織が選出する。議員の任期は上院が8年、下院が5年となっている。ルワンダ虐殺で男性の数が減り、さらに憲法で女性議員 数が全体の30%を超えるように決められているため、女性議員が世界で最も多い。2008年には女性議員が世界で初めて全体の過半数を占めた20 。
内戦後のルワンダ政府における著しい特色として、ガバナンス (統治能力)の向上が挙げられる。一例として、内戦後のルワンダでは汚職の減少が急速に進み、2016年には政府のクリーンさにおいて世界50位、アフリカで3位にまでつけるようになった22 。また、強化された中央政府の権力によって開発がスムーズに進むようになり、これはルワンダの経済成長の要因の一つともなっている。一方で、政府の指導が市民生活の隅々にまで入り込み、各地の行政官は上部組織に対しイミヒゴと呼ばれるノルマ を設定して開発計画を進めていく23 など、強権的な開発独裁 体制が確立している。
国際関係 フランス 政府はハビャリマナ暗殺に関わったとしてカガメ政権関係者を訴追し、カガメ側もフランスが虐殺を支援したと非難して国交 を断絶していたが、2009年11月29日に3年ぶりに国交回復した24 。
ルワンダ政府は英語圏 への接触を図り、2009年11月29日に英連邦 への加盟が認められ、54番目の加盟国となった。旧イギリス植民地以外で加盟が認められたのは1995年のモザンビーク 以来のことである。
カガメ政権誕生後はイスラエル との関係も良好な数少ないアフリカの国でありイスラエルのネタニヤフ政権は2019年にルワンダにイスラエル大使館を創設した25 。また、情報産業、サイバーセキュリティー関連等でのイスラエル企業との協力も行われている。
隣国ブルンジ とは言語・社会構造・民族構成・地形などがほぼ共通しており、兄弟国と言っていいが、両国間の関係は独立以降1980年代末までは非常に険悪だった。これは、独立直前の革命によってルワンダがツチの国王や社会上層を排除してフツ中心の社会を作り上げたのに対し、ブルンジは王政が崩壊したあともツチが社会の中心となっていたためである28 。
軍事
予算 1億210万ドル(2020年 ミリタリーバランス2021)
兵役 志願制
兵力 3万3,000人(陸軍32,000人、空軍1,000人、予備役2,000人)(2020年 ミリタリーバランス2021)30
地理 ルワンダの面積は2万6000km2で、アフリカ大陸 の中央にあり赤道 から緯度 で数度だけ南に位置する。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと接している。国土の中央に位置する首都のキガリ以外は基本的に丘陵地で、それぞれに小農場が分布する。北西の火山 群から南東へごつごつした山地が連なり、西部にコンゴ川 とナイル川 の流域 を分ける平均海抜 2,740メートルの分水嶺 が南北に走っている。その西斜面をキブ湖 とルジジ川 渓谷に下るとアフリカ大地溝帯 の一部となる。キブ湖とルジジ川は、コンゴ民主共和国との国境ともなっている。東斜面はなだらかに中央高地から平原、沼沢地、湖へと標高が低下し、東端を南北に流れるカゲラ川 がタンザニアとの国境となっている。
一部の山岳地帯を除き国土のほぼ全域がなだらかな丘陵 によって覆われているため、ルワンダは「千の丘 の国」と呼ばれる2 。この丘陵は全て頂上まで耕されており、ルワンダの稠密な人口を支えている。居住形態は散村 が一般的だったが、ルワンダ内戦後に政府の強力な主導の下で集住化政策が実施されて集村 が誕生し、一部では農村形態が大きく変動した31 。森林は、開発の制限されている3つの国立公園 (東部のアカゲラ国立公園 、北西部の火山国立公園 、南西部のニュングェ国立公園 )を除きほぼ存在しない。ニュングウェ森林では、2006年にイギリスの探検隊がナイル川の源流 を発見したと発表した。
国内の平均標高 が1,600メートルと高地にあるため、月の平均気温は年間を通して20度台前半でアフリカ大陸では涼しく、雨季 が2回ある2 。
地方行政区分
現在の地方行政区画 2006年1月1日からルワンダの地方行政区分は新しいものになり、5つの州に再編した。
北部州 (Province du Nord )
南部州 (Province du Sud )
東部州 (Province de l'Est )
西部州 (Province de l'Ouest )
キガリ州 (Kigali )
2005年以前の地方行政区分 2005年以前は11の県と、首都のキガリで構成されていた。
主要都市
経済
農業 中心的産業は農業であり、2012年には労働人口の75.3%が第一次産業 に従事していた32 。国土全域に緩やかに広がる丘陵は頂上までよく耕され、肥沃である。こうした農地では集約農業 が営まれ33 、ルワンダの過剰な人口をともかくも支えられるだけの収穫をあげてきていた。農地は細分化されており、人口増加 によって細分化はさらに加速しているが、人口の多くは農村にとどまる傾向があり、狭小ながらも農民の多くは土地の一片は所有していることが多い。ルワンダ内戦後にツチの難民が帰還してきたときに、内戦によって難民化したフツの空き家や農地を接収して居住したため、1996年にフツ難民が帰還してくると各所で紛争が起こった。これに対しルワンダ政府は家屋を旧所有者であるフツに返し、土地は両者で折半させる、いわゆるランド・シェアリング政策を実施し、また女子の土地相続権 の確立も行われ、土地所有に大きな変動が起きた34 。農産品ではマラバ・コーヒー などのコーヒー が輸出品目として有名であり、2014年には総輸出の8.9%を占めた。もうひとつの輸出農産品は茶 で、総輸出の8.8%を占める32 。また湖での漁業従事者も見られる。
鉱業 輸出において最も重要な資源は農産物ではなく、鉱物資源 である。
アフリカ大地溝帯 に位置するため、海嶺 型の鉱物資源を産出する。生産量が最も多いのはスズ (1,900トン、2013年時点)である。経済的に重要なのはタングステン (730トン)で、世界第8位の産出国である。レアメタル も重要で、タンタル の産出は150トン(2012年)で世界生産の20.6%を占め世界1位となっているほか、ニオブ の産出も190トン(2012年)で世界3位となっている。このほか金 (3キロ)と天然ガス を採掘している。輸出品としては、2014年度ではニオブが総輸出の15.8%、スズ鉱が11.0%を占める32 。
観光 政治が安定してからは観光事業に力を入れており、リゾート開発など国内外から投資を集める。国立公園や湖沼など、大自然を活かした観光資源が欧米にも人気である。アーセナル 、バイエルン・ミュンヘン 、パリ・サンジェルマン など、欧州の有名サッカークラブとも観光事業で提携しており、ユニフォームスポンサーになっている。これについて、反政府勢力を巡りルワンダと対立するコンゴ 政府は、各クラブに「血まみれの提携」を終わらせるよう要求した。国際人権団体はルワンダによるスポーツイベントへの投資を「スポーツ・ウオッシング」(スポーツを利用したイメージ改善)と批判してきた35 。
「アフリカの奇跡」 内戦終結後、農業改革やインフラ整備、綱紀粛正による汚職 の減少、IT産業 の振興、海外からの投資の奨励などによって急速な経済成長を遂げており36 、この現象を指して「アフリカの奇跡 」と呼ばれている。
交通
国民
民族 国民の84%がフツ、15%がツチ、1%がトゥワである3 。
言語 ルワンダは、かつてはドイツ植民地のドイツ領東アフリカ であったが、ドイツ語は普及しなかった。さらに1916年のベルギーの入植以降はフランス語圏 となった。しかし長年の間、難民として英語圏 であるウガンダに逃れていたカガメ大統領をはじめとするツチ族の現政権のルワンダ愛国戦線 メンバーがルワンダ虐殺 以降制圧してルワンダを統治するにあたり、主に英語話者であり、多くはフランス語が話せなかったことと、親フランス的であった旧政権に対して現政権と関係の深いアメリカ合衆国 とイギリスの後押しもあり、2008年に公用語 にそれまではルワンダと関係が乏しかった英語が追加された。その翌年の2009年にはイギリス連邦に加盟し、英語圏諸国との関係強化を図った。同年、ベルギーによる植民地支配以来続いていたフランス語から教授言語 も英語へと変更され、政府要人にも英語を学ぶように要求しているなど、実質的にフランス語圏から英語圏への転換を図っている。既に政府などの公的機関のウェブサイト も英語版のみであり、フランス語版は存在しないなどフランス語の排除が進められた。
一方で2015年からはスワヒリ語教育が必修化され、2017年には公用語に追加された。また、2016年には初等教育でのフランス語教育が再導入され、閉鎖されたフランス語学校の再開など、悪化したフランス語圏との関係の回復も進められている。実際に、フランスの支持を取りつけたことでルイーズ・マッシキワボ が2018年にフランコフォニー国際機関 の事務総長に選出された。
国民の大半はフランス語を話すことはできても英語をほとんど話せない状況であったのにもかかわらず、戦乱による人口の減少・流出と、英米と結んだ新政権の判断によって短期間でフランス語圏から英語圏へと変わった世界でも稀な国でもある。
婚姻・家族 姓が同じことは親類関係を意味せず、姓は家族間で異なるのが一般的。したがって、夫婦別姓 である。慣習では、子には家族のいずれとも異なる姓をつける。家族が全て同じ姓を持つことは極めて稀である38 。
宗教
教育 2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率 は70.4%(男性:76.3%、女性:64.7%)である3 。2005年にはGDPの3.8%が教育に支出された3 。
2007年時点では国際人権A規約 の「中・高等教育の無償化」の条項を留保しているのは、ルワンダとマダガスカル 、日本の3か国のみであったが、2008年12月にルワンダは留保を撤回した39 。
初等教育3年次まではルワンダ語、その後は英語が教授言語となっている。スワヒリ語教育は必修となっている。国民の100%が理解できるルワンダ語は教育では初等教育を除くと使われていない。
IT立国を目指す政策により、電気のない地域にもインターネットなどができるバスを導入したり、簡易パソコン を使った初等教育を行ったりしている。またITを教えるトゥンバ高等技術専門学校 も日本の援助で設立され、英語によって授業が進められている。
保健 ルワンダにおける2007年のヒト免疫不全ウイルス (HIV)感染者は推計で約15万人であり3 、感染率は2.8%である3 。ルワンダ人の平均寿命 は56.77歳(男性:55.43歳、女性:58.14歳)である3 。
医療
治安 ルワンダの治安は近隣国の治安よりは良いものとされている40 が、同国の国家警察の2019年の発表によれば、犯罪の発生上位は窃盗 、暴行 ・傷害 、麻薬 関連犯罪となっているが、殺人 、強盗 、強姦 などの凶悪犯罪も発生しているのが現状ともなっている。
外国人が多く居住するキヨブ、ニャルタラマ、カチール、ガチュリロ、キバガバガ、カググ、キミフルラ地区では侵入窃盗が年に数件発生しており、充分な注意が求められている。
人権 前述のようにクオータ制 が導入されて女性の社会進出が顕著である。2015年には、ジェンダーに関する犯罪に対処するワンストップセンターが設立された2 。
2022年4月には、イギリスが難民をルワンダに移送する代わりに同国へ1億2000万ポンド を投資する計画が発表され、非人道的との批判が起きたが、ルワンダは内戦で自国から難民が流出した歴史に鑑みて他国の難民を受け入れる政策をとっている2 。
マスコミ ルワンダ国内では様々なテレビネットワーク、新聞社、ラジオ局が運営されている。
文化 ルワンダには、毎月最終土曜日の午前中に店舗の営業や交通機関の運行を休止し、地域住民で奉仕作業を行う「ウムガンダ 」という活動が義務づけられている。18歳から65歳までの国民が対象とされており、清掃作業や学校や病院などの建設作業も行われる。
食文化
文学 ルワンダには文学の歴史がないものの、詩から民話に至るまで、根強い口承文学 の伝統が存在する。ルワンダの文学者で有名な人物は、言語学者 や歴史家 として活動していた哲学者 のアレクシス・カガメ であり、彼は口承の伝統に関する研究を実施および発表した経歴を持つ。
音楽
世界遺産
伝統工芸
スポーツ また、ルワンダ政府がプレミアリーグ ・アーセナル と契約しており、2018-19シーズンよりVISIT RWANDA の広告をユニフォーム袖部分に掲出している42 。
著名な出身者
参考文献
ゴーレイヴィッチ, フィリップ (2003a-06). 柳下, 毅一郎. ed. ジェノサイドの丘〈上〉ルワンダ虐殺の隠された真実 . WAVE出版. ISBN 9784872901580
ゴーレイヴィッチ, フィリップ (2003b-06). 柳下, 毅一郎. ed. ジェノサイドの丘〈下〉ルワンダ虐殺の隠された真実 . WAVE出版. ISBN 9784872901597
Prunier, Gerard (2009). Africa's World War: Congo, the Rwandan Genocide, and the Making of a Continental Catastrophe . オックスフォード : オックスフォード大学出版局 . ISBN 978-0-19-537420-9
脚注
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