金宗瑞
金 宗瑞は、李氏朝鮮前期の武臣・政治家。字は国卿、号は節斎。諡号は忠翼。本貫は順天金氏。世宗が最も寵愛した家臣として知られる。
生誕~死没 1383年 ~ 1453年11月10日最終更新 2026/10/16 14:45
基本情報
- 生誕 ~ 死没
- 1383年 ~ 1453年11月10日
- ハングル:
- 김종서
- 漢字:
- 金宗瑞
- 発音:
- キム・ジョンソ
- 日本語読み:
- きん そうずい
- ローマ字:
- Kim Jong-seo
金 宗瑞(キム・ジョンソ、きん そうずい、1383年 - 1453年11月10日(端宗2年10月10日))は、李氏朝鮮前期の武臣・政治家。字は国卿、号は節斎。諡号は忠翼。本貫は順天金氏。世宗が最も寵愛した家臣として知られる。
経歴
1382年に、都摠制の金陲の息子として生まれる。1405年に、官職に就く。世宗が即位した、1419年に司諫院右正言になり以後、持平、執義、右副代言を歴任する。1433年、咸吉道都観察使となり、この地に六鎮を切り開き平定に貢献。豆満江まで、国土を拡大。1446年に、議政府の右賛成になる。1451年には、左賛成・知春秋館事になり鄭麟趾らと「高麗史」を編纂。同年10月に、右議政になる。1452年には、「世宗実録」を監修する。また、左議政となり、幼い君主の端宗を補佐することとなる。しかし、王権の強化を目指す首陽大君(後の世祖)、および既に首陽大君側に寝返った鄭麟趾らと対立し1453年に癸酉靖難により、息子共々、惨殺される。そのため、「高麗史」編纂の責任者であったが、編纂者名簿から名前を削られている。死から約240年後の粛宗の時代に復権された。
登場する作品
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