胡烈
胡 烈は、中国三国時代から西晋にかけての武将。魏・西晋に仕えた。字は玄武または武玄。雍州安定郡臨涇県の人。父は胡遵。子は胡淵。兄は胡広・胡奮。弟は胡岐。
生誕~死没 220年 ~ 270年7月9日最終更新 2026/10/16 14:44
胡 烈(こ れつ)は、中国三国時代から西晋にかけての武将。魏・西晋に仕えた。字は玄武または武玄1。雍州安定郡臨涇県の人。父は胡遵。子は胡淵。兄は胡広・胡奮。弟は胡岐2。
経歴
甘露2年(257年)8月、胡烈は魏の泰山太守の官にあった。反乱を起こした諸葛誕の増援に訪れた呉将朱異を、抜け道を通って都陸で襲撃し、軍需品を燃やす戦功を挙げた3。
景元2年(261年)3月、襄陽太守を務め、「呉の鄧由らが帰順するのに呼応し、出迎えて敵の屯営を落としたい」と上奏した。しかし王基がこの帰順を偽りと疑い、司馬昭がその判断に従ったことで出兵は差し止められ、結局鄧由らが帰順することはなかった4。
景元4年(263年)、征蜀護軍を務め、鍾会の配下として蜀漢討伐に従軍3。陽安関を襲撃して蔣舒を降伏させ、傅僉を撃ち破った5。別働隊の鄧艾が成都に迫ると、蜀漢のが降伏し征蜀は達成されるが、後に鍾会と共に鄧艾が反乱を企てていると訴え、逮捕に追いやった。
この記事は日本語版ウィキペディアの「胡烈」をもとに作成されており、 (r99656645) CC BY-SA 4.0 ライセンスのもとで利用できます。原文の投稿者一覧は 原文の履歴で確認できます。
最終更新 2026/10/16 14:44 · r210853 · 記事の内容は CC BY-SA 4.0 のもとで利用できます。