扇千景 — OpenHistory人物政治・外交
扇千景
扇 千景は、日本の女優、タカラジェンヌ(娘役・41期生)、政治家。本名は林 寛子。旧姓は木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。 参議院議長(第26代)、国土交通大臣(初代・第2代)、運輸大臣(第78代)、北海道開発庁長官(第72代)、建設大臣(第69代)、国土庁長官(第36代)、科学技術政務次官(鈴木善幸改造内閣)、参議院文教委員長、参議院議員(5期)、保守党党首(初代)、新進党参議院議員会長(第3代)、靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)などを歴任した。 位階は従二位、称号は旭日大綬章、桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章、台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食
生誕~死没 1933年5月10日 ~ 2023年3月9日最終更新 2026/10/16 14:56
基本情報
- 生誕 ~ 死没
- 1933年5月10日 ~ 2023年3月9日
- 生年月日
- (1933-05-10) 1933年5月10日
- 没年月日
- (2023-03-09) 2023年3月9日(89歳没)
- 在任期間
- 2004年7月30日 - 2007年7月28日
- 在任期間
- 2001年1月6日 - 2003年9月22日
- 在任期間
- 2000年12月5日 - 2001年1月6日
- 在任期間
- 2000年7月4日 - 2001年1月6日
- 当選回数
- 5回
- 在任期間
- 1977年7月11日 - 1989年7月23日, 1993年9月 - 2007年7月28日
- 位置
- 34.6902, 135.1954
大きな地図で同時代を見る →目次
- 1.経歴
- 1.1.生い立ち
- 1.2.宝塚歌劇団
- 1.3.女優時代
- 1.4.参議院議員
- 1.5.運輸大臣・建設大臣
- 1.6.初代国土交通大臣
- 1.7.女性初の参議院議長
- 1.8.政界引退後
- 2.公的場面での通名(芸名)使用
- 3.エピソード
- 3.1.阪急電車の追突事故
- 3.2.コマーシャル
- 3.3.道路建設反対派の子どもたちとのやり取り
- 4.
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最終更新 2026/10/16 14:56 · r261561 · 記事の内容は CC BY-SA 4.0 のもとで利用できます。
略歴
経歴
生い立ち
宝塚歌劇団
女優時代
参議院議員
運輸大臣・建設大臣
建設大臣時代は、内閣支持率が低迷する中で若築建設事件で接待を受けた建設官僚の名前を公表し、「建設白書」や防災服デザインの見直しなどの施策を打ち出したことで、森内閣のイメージアップ策に寄与した9。運輸大臣・建設大臣時代の扇の仕事の一つには、2000年6月末から噴火して段階的に拡大していった三宅島の全島民避難(9月2日より実施)の指揮が含まれる10。
後年、『建設業界』誌の対談で語ったところによれば、扇は建設畑は未知で、国会に設置されている建設委員会の委員経験もなかった。しかし、森から与えられた機会を活かし、せめて持論の「一閣僚一仕事」程度は全うしようと考えた。当時、扇が気にかけていたのは、職員の士気が停滞しており、世間ではマスコミの報道によって「公共工事」イコール「悪」という認識が大手を振っていたように見えたことであった。
事実、扇自身も、自らの起用理由が第1次橋本内閣で建設大臣の地位にあった中尾栄一の汚職事件に起因することは意識していた。これらの問題を解決するため、扇は、汚職の原因である入札制度について世界中の事例を調査するように命じた。フランス、ドイツ、イタリアで施行されている「公共工事基本法」を参考とし、公共工事の入札の透明化を図るため、公共工事入札契約適正化法を作成することを課題とした。法案提出に当たっての問題は、公共工事の所管が各省庁に分散しており、調整作業を通常の慣行で実施した場合に5年はかかると見込まれたことであった。扇は総理の森に直訴したところ、森は「扇君が建設大臣として公共工事の基本法を策定しようとしているから、関係の省庁は挙げて協力するように」と閣議で指示した。その結果、法案提出は3か月で達成され、同法は成立した109。
初代国土交通大臣
鹿児島線列車追突事故では、停止信号下での列車進入を許容する「無閉塞運転」存続にこだわる鉄道局に強い指導性を発揮し、通信手段確保により「列車指令の許可のない無閉塞運転の禁止」(=閉塞指示運転採用)を決めさせている。日本共産党衆議院議員瀬古由起子の質問通告を受けて、JR九州・JR西日本・JR東海を翻意させ、同種の事故を繰り返させた省庁としての監督責任追及質問をかわしたが、国会質問を介して、扇・瀬古とも自分の専門ではない技術分野に具体的に踏み込んで省庁側見解を改めさせた珍しい例である。
女性初の参議院議長
保守党の解党により保守新党が結成されると党参議院議員会長に就任し、2003年11月21日に保守新党が解党されると、自民党総裁小泉純一郎首相と幹事長安倍晋三の誘いで9年7か月ぶりに自民党に復党する。2004年7月30日に第26代参議院議長に選出された。貴族院時代も含めて女性の上院議長就任は憲政史上初めてで、衆参両院でも第68代衆議院議長土井たか子に次ぎ2人目だった。
2007年5月、次期参院選への不出馬と政界からの引退を表明する。「引退後は、夫と2人で互助新婚生活をしてみたい」と語った。
政界引退後
引退後の2014年、古巣である宝塚歌劇団の創立100周年記念で創設された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人の一人として殿堂入りを果たす1314。宝塚大劇場内にある殿堂には、扇の国土交通大臣時代のプレートが収蔵されている。
2023年(令和5年)3月9日午前7時56分に、食道胃接合部がんのため、東京都内の病院で死去した。89歳没15。訃報は4日後の13日に公表され、長男の四代目中村鴈治郎、次男の三代目中村扇雀が松竹を通じてコメントし、死去する1か月前に入院し「苦しまず、穏やかに」旅立ったとしている16。死没日付をもって従二位に叙された1718。
4月30日、次男・中村扇雀が4月28日に母の納骨を済ませたと語っている22。
公的場面での通名(芸名)使用
日本の国会議員は、日本国民の代表として国会で立法に参画して行政にもの申す立場であり行政機関の一員ではないため、通名(非本名)使用が認められている。
ただし、国務大臣・政務次官(現在の副大臣・大臣政務官)などに任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に、国の行政機関の一員として公文書を発し、時に国務大臣などの肩書きで、日本国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、説明責任明確化の観点から芸名(非本名)の使用は認められない。
このため、立法府の長である参議院議長としては、公式にも芸名の「扇千景」が用いられ、国土交通大臣などの行政官としても、記者会見・ウェブサイト・テレビ出演などの政府広報のような、権力の行使が直接伴わない場面では芸名が用いられたが、国務大臣任命の官記、国務大臣名義の公文書などの発出・署名など、権力・権限に関連する部分では、全て本名「林 寛子」が用いられた。
建設大臣・国土庁長官である扇千景(本名:林寛子)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については林寛子名を使用し、それ以外は扇千景名を使用することとする。
エピソード
阪急電車の追突事故
1948年9月8日、阪急春日野道駅付近で発生した電車追突事故に巻き込まれ、肩の骨を複雑骨折して入院した。この際、見舞いに訪れた阪急の責任者でのちに神戸電鉄社長となる中田大三が、扇の父に「娘さんを宝塚歌劇団に預けてみませんか」と打診したところ、扇の父は激怒したという23。この事故が扇の宝塚歌劇団入団のきっかけになったとする文献もある24。
コマーシャル
保守党が2001年第19回参議院議員通常選挙用に制作したテレビコマーシャル「保守ピタル編」は、国政を治療するコンセプトで女医に扮した扇が医療スタッフと回診する設定で制作された。コマーシャルの撮影は国会議事堂内で行われた。最後に扇がアップになり「私にも治せます」と決めゼリフを発する部分は、扇がかつて出演した上述8ミリカメラのコマーシャル「私にも写せます」のセルフパロディである25。
道路建設反対派の子どもたちとのやり取り
国土交通大臣時代に東京外環自動車道の予定地を視察し、そこで建設反対の看板を持って座り込んでいた子どもたちに「都心に用のない車は他所を走って欲しい(外環道建設の主目的)と思う人!?」と呼びかけた。子どもたちは素直に応じてしまい、保護者は「子どもたちは自発的に来ているのです」とあり得もしない説明をしながらも、大慌てだったとされる26。
略歴
栄典
主な出演作
舞台
宝塚歌劇団時代
宝塚歌劇団退団後
映画
テレビドラマ
ワイドショー・情報番組
- 3時のあなた(1973年5月 - 1977年1月、フジテレビ系列) - 司会
著書
- 『泣いて笑って3時のわたし』〈Sankei drama books〉、サンケイ出版、1977年4月。
- 『できることできないこと』(世界文化社、2001年5月、ISBN 4418015094)
- 『決断のとき』(世界文化社、2007年7月、ISBN 978-4-418-07511-9)
- 『坂田藤十郎 扇千景―夫婦の履歴書』(日本経済新聞出版社、2008年10月、ISBN 978-4532166700)
参考文献
脚注
3.1.
阪急電車の追突事故
経歴
生い立ち
宝塚歌劇団
女優時代
参議院議員
運輸大臣・建設大臣
建設大臣時代は、内閣支持率が低迷する中で若築建設事件で接待を受けた建設官僚の名前を公表し、「建設白書」や防災服デザインの見直しなどの施策を打ち出したことで、森内閣のイメージアップ策に寄与した9。運輸大臣・建設大臣時代の扇の仕事の一つには、2000年6月末から噴火して段階的に拡大していった三宅島の全島民避難(9月2日より実施)の指揮が含まれる10。
後年、『建設業界』誌の対談で語ったところによれば、扇は建設畑は未知で、国会に設置されている建設委員会の委員経験もなかった。しかし、森から与えられた機会を活かし、せめて持論の「一閣僚一仕事」程度は全うしようと考えた。当時、扇が気にかけていたのは、職員の士気が停滞しており、世間ではマスコミの報道によって「公共工事」イコール「悪」という認識が大手を振っていたように見えたことであった。
事実、扇自身も、自らの起用理由が第1次橋本内閣で建設大臣の地位にあった中尾栄一の汚職事件に起因することは意識していた。これらの問題を解決するため、扇は、汚職の原因である入札制度について世界中の事例を調査するように命じた。フランス、ドイツ、イタリアで施行されている「公共工事基本法」を参考とし、公共工事の入札の透明化を図るため、公共工事入札契約適正化法を作成することを課題とした。法案提出に当たっての問題は、公共工事の所管が各省庁に分散しており、調整作業を通常の慣行で実施した場合に5年はかかると見込まれたことであった。扇は総理の森に直訴したところ、森は「扇君が建設大臣として公共工事の基本法を策定しようとしているから、関係の省庁は挙げて協力するように」と閣議で指示した。その結果、法案提出は3か月で達成され、同法は成立した109。
初代国土交通大臣
鹿児島線列車追突事故では、停止信号下での列車進入を許容する「無閉塞運転」存続にこだわる鉄道局に強い指導性を発揮し、通信手段確保により「列車指令の許可のない無閉塞運転の禁止」(=閉塞指示運転採用)を決めさせている。日本共産党衆議院議員瀬古由起子の質問通告を受けて、JR九州・JR西日本・JR東海を翻意させ、同種の事故を繰り返させた省庁としての監督責任追及質問をかわしたが、国会質問を介して、扇・瀬古とも自分の専門ではない技術分野に具体的に踏み込んで省庁側見解を改めさせた珍しい例である。
女性初の参議院議長
保守党の解党により保守新党が結成されると党参議院議員会長に就任し、2003年11月21日に保守新党が解党されると、自民党総裁小泉純一郎首相と幹事長安倍晋三の誘いで9年7か月ぶりに自民党に復党する。2004年7月30日に第26代参議院議長に選出された。貴族院時代も含めて女性の上院議長就任は憲政史上初めてで、衆参両院でも第68代衆議院議長土井たか子に次ぎ2人目だった。
2007年5月、次期参院選への不出馬と政界からの引退を表明する。「引退後は、夫と2人で互助新婚生活をしてみたい」と語った。
政界引退後
引退後の2014年、古巣である宝塚歌劇団の創立100周年記念で創設された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人の一人として殿堂入りを果たす1314。宝塚大劇場内にある殿堂には、扇の国土交通大臣時代のプレートが収蔵されている。
2023年(令和5年)3月9日午前7時56分に、食道胃接合部がんのため、東京都内の病院で死去した。89歳没15。訃報は4日後の13日に公表され、長男の四代目中村鴈治郎、次男の三代目中村扇雀が松竹を通じてコメントし、死去する1か月前に入院し「苦しまず、穏やかに」旅立ったとしている16。死没日付をもって従二位に叙された1718。
4月30日、次男・中村扇雀が4月28日に母の納骨を済ませたと語っている22。
公的場面での通名(芸名)使用
日本の国会議員は、日本国民の代表として国会で立法に参画して行政にもの申す立場であり行政機関の一員ではないため、通名(非本名)使用が認められている。
ただし、国務大臣・政務次官(現在の副大臣・大臣政務官)などに任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に、国の行政機関の一員として公文書を発し、時に国務大臣などの肩書きで、日本国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、説明責任明確化の観点から芸名(非本名)の使用は認められない。
このため、立法府の長である参議院議長としては、公式にも芸名の「扇千景」が用いられ、国土交通大臣などの行政官としても、記者会見・ウェブサイト・テレビ出演などの政府広報のような、権力の行使が直接伴わない場面では芸名が用いられたが、国務大臣任命の官記、国務大臣名義の公文書などの発出・署名など、権力・権限に関連する部分では、全て本名「林 寛子」が用いられた。
建設大臣・国土庁長官である扇千景(本名:林寛子)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については林寛子名を使用し、それ以外は扇千景名を使用することとする。
エピソード
阪急電車の追突事故
1948年9月8日、阪急春日野道駅付近で発生した電車追突事故に巻き込まれ、肩の骨を複雑骨折して入院した。この際、見舞いに訪れた阪急の責任者でのちに神戸電鉄社長となる中田大三が、扇の父に「娘さんを宝塚歌劇団に預けてみませんか」と打診したところ、扇の父は激怒したという23。この事故が扇の宝塚歌劇団入団のきっかけになったとする文献もある24。
コマーシャル
保守党が2001年第19回参議院議員通常選挙用に制作したテレビコマーシャル「保守ピタル編」は、国政を治療するコンセプトで女医に扮した扇が医療スタッフと回診する設定で制作された。コマーシャルの撮影は国会議事堂内で行われた。最後に扇がアップになり「私にも治せます」と決めゼリフを発する部分は、扇がかつて出演した上述8ミリカメラのコマーシャル「私にも写せます」のセルフパロディである25。
道路建設反対派の子どもたちとのやり取り
国土交通大臣時代に東京外環自動車道の予定地を視察し、そこで建設反対の看板を持って座り込んでいた子どもたちに「都心に用のない車は他所を走って欲しい(外環道建設の主目的)と思う人!?」と呼びかけた。子どもたちは素直に応じてしまい、保護者は「子どもたちは自発的に来ているのです」とあり得もしない説明をしながらも、大慌てだったとされる26。
略歴
栄典
主な出演作
舞台
宝塚歌劇団時代
宝塚歌劇団退団後
映画
テレビドラマ
ワイドショー・情報番組
- 3時のあなた(1973年5月 - 1977年1月、フジテレビ系列) - 司会
著書
- 『泣いて笑って3時のわたし』〈Sankei drama books〉、サンケイ出版、1977年4月。
- 『できることできないこと』(世界文化社、2001年5月、ISBN 4418015094)
- 『決断のとき』(世界文化社、2007年7月、ISBN 978-4-418-07511-9)
- 『坂田藤十郎 扇千景―夫婦の履歴書』(日本経済新聞出版社、2008年10月、ISBN 978-4532166700)
参考文献
脚注
下位記事
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