戴笠
戴 笠は、中華民国の政治家・軍人(追贈で陸軍中将)。もとの名は春風。字は雨農。仮名は「漢肯」「金龍(余龍?)」「金水」「永年」「宏偉」「志成」「馬力行」「張叔平」など。号は芳洲。学名は徴蘭。
生誕~死没 1897年5月28日 ~ 1946年3月17日最終更新 2026/10/16 14:55
戴 笠(たい りゅう、1897年5月28日(光緒23年4月27日) - 1946年3月17日1)は、中華民国の政治家・軍人(追贈で陸軍中将)。もとの名は春風。字は雨農。仮名は「漢肯」「金龍(余龍?)」「金水」「永年」「宏偉」「志成」「馬力行」「張叔平」など1。号は芳洲。学名は徴蘭。
生涯
中国国民党に加入
浙江省江山県出身1。1910年(光緒29年)、文渓高等小学卒業後、浙江省立第一中学に入学したが、宿舎の管理が乱雑であったとして、除籍処分を受ける。帰郷後は無頼漢としての生活に堕したが、1917年(民国6年)、浙軍(浙江軍)第1師模範営に加入し、軍人となる。
1926年(民国15年)10月、黄埔軍官学校第6期として入学(騎兵科)1。あわせて中国国民党に加入した。以後、蔣介石の反共路線を支持し、中国共産党や国民党左派への監視・調査活動に取り組むようになる。北伐や反蔣介石派との戦いでも軍事情報の収集に努めた。
力行社・藍衣社の幹部へ
1931年(民国20年)9月、満洲事変(九・一八事変)が起きると、蔣介石の命により黄埔軍官学校出身者による三民主義力行社が設立され、戴笠は後補幹事に任ぜられた。さらに、蔣介石の指名により、特務処処長(中華民族復興社=藍衣社特務処長)となっている。1934年(民国23年)7月、南昌行営秘書処調査課上校課長も兼任し、全国20か所に特務組織を次々と成立させた。
戴笠は、親日派の軍人・政治家や、共産党・民主党派の活動家を監視・弾圧・暗殺する秘密工作を展開していく。例としては、親日派の張敬尭や中国民権保障同盟総幹事の楊杏仏の暗殺2などがあげられる。後、逮捕されたの収監・護送は戴笠が管轄し、また、1937年(民国26年)12月には、夫妻の逮捕も実行した。
この記事は日本語版ウィキペディアの「戴笠」をもとに作成されており、 (r103134176) CC BY-SA 4.0 ライセンスのもとで利用できます。原文の投稿者一覧は 原文の履歴で確認できます。
最終更新 2026/10/16 14:55 · r259120 · 記事の内容は CC BY-SA 4.0 のもとで利用できます。