張邈
張 邈は、中国後漢末期の政治家。字は孟卓。兗州東平郡寿張県(山東省泰安市東平県)の人。弟は張超。『三国志』では「呂布伝」に付伝されている。
生誕~死没 155年 ~ 195年最終更新 2026/10/16 14:44
張 邈(ちょう ばく、? - 興平2年(195年))は、中国後漢末期の政治家。字は孟卓。兗州東平郡寿張県(山東省泰安市東平県)の人。弟は張超。『三国志』では「呂布伝」に付伝されている。
生涯
「董卓伝」の引く『漢末名士録』や『後漢書』の「党錮伝」によると、漢の八厨の一人であったとある。若い頃から男伊達で気前がよく、困っている者を救うための散財を惜しまなかった1。曹操や袁紹と親友のように仲が良く2、 頭脳の明晰さと徳行で官界において知られるようになった。また三公の府から招聘を受け、成績優秀という評価を受けた。騎都尉を務めた後は、董卓の名士優遇策の一環として、陳留太守に任命された(「董卓伝」)。
袁紹を盟主として反董卓連合が結成された時、張邈は曹操らと共に参戦した3。
張邈は弟や曹操、それに劉岱・袁遺・橋瑁・鮑信と共に酸棗に駐屯したが、大半の諸侯が酒宴ばかりで戦をしようとしなかった4。
曹操が戦をするよう呼び掛けると(武帝紀)、張邈は鮑信と共に曹操の求めに応じ、部下の衛茲を曹操に同行させた。しかし、曹操達は董卓軍の徐栄に大敗し、衛茲を戦死させてしまった。また、酸棗の軍勢も兵糧が尽きたため解散となった(「後漢書』)。
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