マティアス (神聖ローマ皇帝)
マティアスは、神聖ローマ皇帝。ハンガリー国王としてはマーチャーシュ2世、ボヘミア国王としてはマティアス・ハプスブルスキー。神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と皇后マリアの四男で、第6代皇帝ルドルフ2世の弟。兄との仲は険悪で宗教問題に無策の兄を見かねて帝位を簒奪したものの、事態をより悪化させ崩御とほぼ同時に三十年戦争が勃発する。
生誕~死没 1557年2月24日 ~ 1619年3月20日最終更新 2026/10/16 14:50
基本情報
- 生誕 ~ 死没
- 1557年2月24日 ~ 1619年3月20日
- 在位
- 1612年1月20日 - 1619年3月20日
- 配偶者
- アンナ・フォン・ティロル
- 家名
- ハプスブルク家
- 王朝
- ハプスブルク朝
- 位置
- 48.2083, 16.3725
マティアス(ドイツ語:Matthias, 1557年2月14日 - 1619年3月20日)は、神聖ローマ皇帝(在位:1612年 - 1619年)。ハンガリー国王としてはマーチャーシュ2世(II. Mátyás, 在位:1608年 - 1619年)、ボヘミア国王としてはマティアス・ハプスブルスキー(Matyáš Habsburský,在位:1612年 - 1619年)。神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と皇后マリアの四男で、第6代皇帝ルドルフ2世の弟。兄との仲は険悪で宗教問題に無策の兄を見かねて帝位を簒奪したものの、事態をより悪化させ崩御とほぼ同時に三十年戦争が勃発する。
生涯
1578年、ネーデルラント17州に統治者として招聘された。スペイン国王フェリペ2世はそれを認めなかったが、マティアスは1581年にネーデルラントが独立宣言を発するまで留まり続けた。この3年間の統治において、マティアスは宗教の和平を定め、それがユトレヒト同盟の協定に信教の自由として表れた。
1593年、兄の神聖ローマ皇帝ルドルフ2世によってオーストリア総督に任命され、そこでウィーン司教であり後に自身の右腕となるメルキオル・クレスルと兄に対抗するための密約を交わした。結果、1605年に病気の兄にハンガリーの宗教的な反逆者と通交することを許可させた。その許可により、翌1606年にウィーンの平和が起こり、ハンガリー王国の人々の信教の自由が保障された。
ルドルフ2世の病気はその後ひどくなり、同年にマティアスはハプスブルク家の家長、将来の皇帝の地位が約束された。マティアスはハンガリー、オーストリアおよびへの支配を強化するために、これらの国々と同盟することを兄に強要した。ルドルフ2世はこの要求を受け入れ、マティアスはそれらの国々と同盟を結んだ。その後1611年にマティアスはプラハに侵攻、ルドルフ2世はマティアスにボヘミアの支配権を譲らせた。ルドルフ2世は翌1612年に死去している。
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