トランシルヴァニアの戦い
トランシルヴァニアの戦いは、第一次世界大戦に参戦したルーマニア軍にとって最初の大きな軍事行動で、1916年8月15日に始められた。ルーマニア陸軍の攻撃はオーストリアと領有権を争っていたトランシルヴァニアのルーマニア系住民の住む地域を征服し、更にブルシーロフ攻勢でロシア帝国軍に敗れたオーストリア=ハンガリー帝国軍に打撃を与える為に行われた。 一時的にルーマニア軍はトランシルヴァニアのルーマニア系地区占領に成功したが、ルーマニア南部でのブルガリア軍の攻撃によって進撃は停止した。そして9月18日に行われたより少ない数の独墺軍の反攻作戦によって、11月末までに国境地帯まで敗走した。
開始~終了 1916年10月16日 ~ 1916年11月26日最終更新 2026/10/16 14:48
トランシルヴァニアの戦い(Battle of Transylvania)は、第一次世界大戦に参戦したルーマニア軍にとって最初の大きな軍事行動で、1916年8月15日に始められた。ルーマニア陸軍の攻撃はオーストリアと領有権を争っていたトランシルヴァニアのルーマニア系住民の住む地域を征服し、更にブルシーロフ攻勢でロシア帝国軍に敗れたオーストリア=ハンガリー帝国軍に打撃を与える為に行われた。
一時的にルーマニア軍はトランシルヴァニアのルーマニア系地区占領に成功したが、ルーマニア南部でのブルガリア軍の攻撃によって進撃は停止した。そして9月18日に行われたより少ない数の独墺軍の反攻作戦によって、11月末までに国境地帯まで敗走した。
背景
第一次世界大戦前、本来ルーマニア王国はオーストリアとドイツの同盟国だった。しかし1914年、サラエヴォ事件を発端に世界大戦が起こるとルーマニアは参戦義務を破って中立を宣言した。ルーマニア王国は戦争はオーストリアの侵略行為によるもので、相互参戦の義務は無いと強弁した。戦争の中盤、結局ルーマニアは大戦に参加するが、それは独墺の同盟国としてではなく敵としてであった。
連合国は秘密交渉で、戦後にオーストリアにルーマニアと争っていたトランシルヴァニアを割譲させると約束した。同地は確かにルーマニア系に分類される住民が多数を占めていたが、オーストリアの方針でドイツ化が進められていた。8月27日、ルーマニアは同盟国側に対して宣戦布告した。
侵攻
攻勢から頓挫まで
8月15日夜、国境地帯に進撃を開始した3個軍からなるルーマニア軍はカルパティア山脈の弱体な防備を潜り抜けた。殆ど戦力に余裕の無いオーストリア軍師団の散発的な抵抗が続く中、ルーマニア軍は事前に策定したトランシルヴァニア攻撃作戦「ハイポセシス・ゼータ」に基づいて、戦略的に重要なムレシュ川を目指した。計画では迅速な進撃が求められていたが、ルーマニア軍部隊は低速で進んだ為に8月16日にブラショフを通過して、9月4日にオルト川を横断、9月中旬に漸くシビウ周辺に辿り着いた。
同じ頃、ルーマニア軍の要請を受けてロシア軍が3個師団を北ルーマニアに送ったが、物資不足などからトランシルヴァニアの戦いには参加しなかった。中央同盟国もブルガリア軍がオーストリア軍の為に援軍を派遣していたが、ドイツの将軍は彼らを率いて南ルーマニアの守備隊を撃破して国境要塞を占領した。トランシルヴァニアにもドイツ軍の師団が到着、ルーマニア軍は独墺軍の反撃で撃退され、それ以上先に進めなくなった。ルーマニア軍はトランシルヴァニアの占領地区で防御を固め、攻勢用の一部部隊を南部のブルガリア軍に派遣している。
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