ガボン — OpenHistory
フランス植民地時代 1815年の奴隷貿易廃止後もこの地方のフランスの権益は残存し、1849年には解放奴隷の入植地として海岸部にリーブルヴィル市が建設されてフランスの橋頭堡となった3 。やがてフランスはオゴウェ川流域に進出していき、1876年から1878年にかけてはピエール・ブラザが内陸部の踏査を行って1880年にはフランスヴィルを建設した。1885年のベルリン会議 によってこの地域の支配権が対外的にも承認され、1905年にはコンゴから分割されてガボン植民地が成立し、1910年にフランス領赤道アフリカ の一部となった4 。ガボンと周辺植民地との境界はしばしば変更されたが、最終的に1946年にオートオゴウェ州 がコンゴからガボンに帰属変更され、オゴウェ・コンゴ両河川の分水界が境界となることで領域が固定した5 。
フランスの植民地政策は1920年代までは特許会社を通じた収奪的なもので、同化政策はほぼ行われなかった6 。なお、アルベルト・シュヴァイツァー がランバレネ で医療・伝道活動を行っていたのは、このフランス領赤道アフリカ時代のことである。1930年代に入ると植民地政府の手で徐々に開発が進められたものの、経済面や教育面などで開発は非常に遅々としたものだった7 。第二次世界大戦 においてはガボン植民地はほかの赤道アフリカ植民地と歩調を合わせて自由フランス 支持を早期に表明した8 。
1946年にはフランス議会に議席を獲得し、また赤道アフリカ大評議会と議席数37のガボン領域議会が同時に設置された9 。この時期ガボンにおいては、レオン・ムバ 率いるアフリカ民主連合 系の親仏派政党であるガボン民主党 (PDG)と、ジャン・イレール・オウバメ が率いる社会主義寄りの反仏派政党であるガボン民主社会同盟(UDSG)の二大政党制 が成立していた10 。特に赤道アフリカ全体の連邦構想において両者は対立し、オウバメが連邦構想を支持する一方、ムバは豊かなガボンが他植民地に収奪されるとしてこの構想に強く反対を唱え構想を解消に追い込んだ。1958年には国民投票によってフランス共同体 内の自治共和国となり、ムバが政府首班となった11 。
独立 1960年8月17日にガボン共和国として独立した。初代大統領ムバはガボン民主党を率いて、反仏派のオウバメ率いるガボン民主社会同盟と連立政権を組んでいたが、ムバは独裁化していき、1963年には連立が解消され、1964年の議会選挙では強力な選挙介入を行った。これに反発したオウバメ派が同年クーデターを起こしたものの鎮圧され、さらに支配を強めたムバは事実上の一党制を樹立した12 。ムバは1967年に死亡し、副大統領のオマール・ボンゴ・オンディンバ がその跡を継いだ。ボンゴ政権は石油を中心とした経済成長の中で安定政権となり、1990年には複数政党制 に移行した13 ものの、ボンゴ大統領は1993年末の大統領選挙で5選を果たし、2005年には7選を果たして、2009年6月8日に死去するまで41年あまりの長期にわたって大統領職を続けた14 。
息子で副大統領だったアリー・ボンゴ・オンディンバ が2009年8月の選挙で第3代大統領に就任したが、選挙結果に不満を持った野党支持派による暴動が発生した15 。2016年の大統領選では野党連合統一候補のジャン・ピン が約5000票差にまで迫ったもののアリー・ボンゴ・オンディンバが49.8%の得票率で再選され、反対派は議会に放火するなど暴動を起こした16 。
2023年8月26日に行われた大統領選挙ではアリー・ボンゴ・オンディンバが3選目を果たすが、選挙結果が発表された同月30日、ガボン軍の幹部がテレビ放送で権力を掌握したことを発表した20 。軍幹部は国内の全ての治安・防衛当局を代表していると主張しており、「ガボン国民のため、われわれは現政権に終止符を打つことで平和を守ることを決定した」として選挙結果の取り消しと国境封鎖、及び国家機関の解散を宣言している20 。
政治
政府 ガボンは共和制 ・大統領制 を採用する立憲国家である。2023年8月30日に軍部による2023年ガボンクーデター が発生し、制度移行・回復委員会 を名乗り政権を掌握した。2024年12月19日に新憲法が公布され、国家元首 である大統領 の任期は7年間で、再選は1回のみ認められることとなった(それまでの再選回数は無制限であった)ほか、行政府の長 である首相職は廃止され、二人の副大統領が導入されることとなった21 。2025年8月までに総選挙が執行された後、新憲法が正式に施行される予定となっている22 。
大統領は強大な権力を憲法により保障されている。1967年にオマール・ボンゴ・オンディンバ が2代目に就任し、2009年にその息子アリー・ボンゴ・オンディンバ が後を継いだ。親子2代、56年にわたってボンゴ家の大統領による統治が続いたが、2023年のクーデターにより終りを迎えた23 24 。内閣 に相当する閣僚評議会 は首相 および閣僚で構成されたが、実際の行政権 は大統領が行使し、閣僚評議会はその執行機関にすぎなかった。よってその権力はきわめて小さく、事実上は大統領の補佐機関であった。
議会 議会は二院制 で、上院である元老院 (102議席)と下院である国民議会 (143議席)で構成される。上院議員は地方議会により選出され任期は6年。下院議員は国民の直接選挙で選出され任期は5年。
政党 主要政党 にはガボン民主党 (PDG)がある。PDGは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。他のおもな政党には林業労働者国民連合 (RNB)、ガボン進歩党 (PGP)、民主共和同盟 (ADERE)があるが、いずれもPDG寄りか政治勢力が小さく、PDGは議会内で大きな力を持つ。ただし、大統領選挙は直接選挙によるため野党が与党に対抗する余地は存在しないわけではなく、実際に2016年の大統領選挙では野党統一候補のジャン・ピン が敗れたものの、アリー・ボンゴ大統領に約5000票差にまで迫った23 。
国際関係 建国以来、旧宗主国であるフランスとの関係が非常に強い25 。これは初代ムバ大統領以来、親フランス派の大統領が続き、政治的・経済的に密接な関係を築いてきたことによる。フランスは2016年の政府開発援助 の31%を占める筆頭援助国である26 。またフランコフォニー国際機関 に加盟している。周辺諸国とは、1964年に中部アフリカ関税経済同盟を結成し、1994年にはこれが中部アフリカ経済通貨共同体 に改組された。
アフリカ連合 (および前身のアフリカ統一機構 )の原加盟国である。またムスリム の人口比率は高くはないがイスラム協力機構 に加盟している。歴史的にイギリスの植民地になったことはないが、2022年にイギリス連邦 へ加盟した。なお2023年のクーデターにより、アフリカ連合では加盟停止27 、イギリス連邦では首脳会談などに参加できない部分的加盟停止の処分が科せられている28 。
日本との関係
在留日本人数 - 60名(2023年5月現在)29
在日ガボン人数 - 52名(2022年6月現在)29
その他
軍事 同国の軍隊は、陸軍 と海軍 と空軍 、憲兵隊 の4つに別けられている。また、約5,000人の小規模な専門軍が設けられており、管轄には現地の警察 も一部ほど関わっている。
地理 国土中央部を西から東へオゴウェ川 が貫流しており、この流域がガボンの主な領域となっている。大西洋 沿岸は平野となっており、オゴウェ川下流にはデルタが広がっているが、内陸に入ると北部のクリスタル山地や南部のマヨンベ山地といった急崖が存在し標高が450mほど上がる。急崖の東は高原となっており、オゴウェ川の支流が刻む渓谷によってシャイユ山地などいくつかの山地に分割される30 。東部のコンゴ共和国との国境は山地となっており、おおむねオゴウェ川流域とコンゴ川 流域の分水界に沿って国境線が引かれている5 。北西の赤道ギニアとの国境はほぼ直線からなる非常に人工的な境界となっているが、一部はムニ川の河口部分が両国の国境となっている31 。なお、ムニ川河口のやや沖合に浮かぶコリスコ島 は両国の係争地となっている。国土の最西端はポールジャンティ市のすぐ西にあるロペス岬 であり、そこから南の海岸はマングローブ やラグーン が多い30 。
国土の88.5%(2014年)が森林 で32 、近隣諸国と比べ人口密度 が低いため、手つかずの豊かな自然が多く残されている。アフリカ森林には、ゾウ 、ゴリラ 、チンパンジー などの大型哺乳類が多数生息している。
多様な自然環境を含む、13の国立公園がある。国立公園の総面積は実に国土の11%を占める。ガボン政府は自然環境の保全に力を入れており、中部のロペ国立公園や、大西洋岸のロアンゴ国立公園ではエコツーリズム が導入されている。また、南西部ニャンガ州に位置するムカラバ・ドゥドゥ国立公園(Parc National de la Moukalaba-Doudou)では、日本人研究グループによる大型類人猿の長期野外研究プロジェクトが進められている。また、2007年にのロペ=オカンダ生態系と残存文化的景観 が複合遺産として世界遺産 に登録された。
気候は国土のほとんどがサバナ気候 (Aw)であるが、首都リーブルヴィルを含む北部や東部の一部は熱帯モンスーン気候 (Am)となっている。首都リーブルヴィル の降雨量は2510mmであり32 、雨季の9 - 5月が毎月約300ミリだが、乾季の6 - 8月は3ヶ月で35ミリと極端に少ない。1日の最高気温は平均29 - 30度、最低気温は20 - 23度である。
地方行政区分 ガボンは9つの州に分かれている(括弧内の地名は、州庁所在地)。
主要都市 最大都市は首都のリーブルヴィル であり、2013年の人口は70万人に達する32 。リーブルヴィルは19世紀にフランスが解放奴隷を入植させた港湾都市であり、以来この地域の政治の中心地となってきた。これに次ぐのは、オゴウェ川河口に近い海港都市ポールジャンティ (13万6,000人、2013年)である32 。ポールジャンティは河川舟運と海運の結節点であり、植民地時代から木材の輸出港として栄えてきたほか、独立後は沖合の海底油田開発の拠点都市ともなっている33 。第3の都市は東部の森林地帯に位置するフランスヴィル (11万人、2013年)である32 。フランスヴィルはトランスガボン鉄道の終着点であり、内陸部の森林・鉱山の開発拠点であるほか、ボンゴ大統領一族の出身地に近く、政府の重点的な開発投資を受けてきた34 。このほか、中部のランバレネ はアルベルト・シュヴァイツァー が生涯を医療活動に捧げた地である35 。
経済 ガボンは人口の少なさに比して林業 による豊富な物産があったため、古くからフランス植民地内ではその豊かさで知られていたが、独立後も石油をはじめとする資源開発によってその状況に大きな変化はなかった。産油国 であり、人口の少なさもあいまって国民所得 はアフリカ 諸国では高い部類に属する。2015年の一人当たりの国民所得は9200ドルで32 新興国 (中進国)レベルであり、世界水準と比較しておよそ75%に達し、アフリカ諸国では最上位クラスである。ただし、原油生産に経済の大部分を頼るため、原油価格の変動が経済に直接大きな影響を及ぼす構造となっており、経済の多角化が課題となっている。通貨 は近隣国との共通通貨である、中部アフリカ諸国銀行 の発行するCFAフラン を使用している36 。
鉱業 ガボンは天然資源 の宝庫であり、さまざまな資源が産出され輸出されているが、その中でも最も重要なものは石油である。ガボンの石油生産は1956年に開始され37 、独立後に本格的な生産が始まり、1970年代には経済の大部分を占めるようになって、2009年には原油 の輸出が総輸出の81.2%を占める石油依存経済となった38 。主な油田はポールジャンティ南の洋上に位置し、ボードロア・マリン油田 などいくつかの油田が存在する。原油に次いで重要な鉱産品は東部のモアンダ で産出されるマンガン であり、世界4位の生産量と輸出の2.9%を占める38 。モアンダ鉱山はオゴウェ鉱山会社(COMILOG)によって経営されており、世界有数の富鉱として知られている39 。またウラン も西部のムナナで産出され輸出されている39 。なお、ムナナに近いオクロのウラン鉱床ではかつて20億年前に自然に自律的な核分裂反応 が起こっていたことが知られており、オクロの天然原子炉 と呼ばれている。北東部のベリンガでは鉄鉱石 などの埋蔵も確認されている40 ものの、生産は行われていない39 。
1975年に石油輸出国機構 (OPEC)に加盟したが、1996年に脱退。その後、2016年に再加盟した41 。
農林業その他 独立時は木材 が輸出の58%(1961年)を占め42 経済の柱であった。やがて経済の主力は原油へと移っていくものの、木材は2009年時点でも輸出の8.4%を占め依然重要な輸出品となっている38 。ガボンで産出する木材はオクメ 材やマホガニー材などが中心であり、合板 (ベニヤ板)の材料として盛んに輸出される。農業 は植民地時代から自給農業の色合いが極めて強く、経済に占める割合も小さなものである43 。工業 はポールジャンティ市に立地するベニヤ板生産と石油精製 が中心であり、石油製品は輸出の2.0%、ベニヤ板は輸出の1.8%を占める38 。
交通 水運は、オゴウェ川が河口からンジョレ まで艀 の航行が可能であり、植民地時代には周辺の密林で伐採した木材を筏流しで下流へと流すことで重要な輸送ルートとなっていた45 。最も重要な海港はポールジャンティ港であり、オゴウェ川水運と海運の結節点として木材輸出を中心とし、独立後はさらに原油も重要な輸出品となった。これに次ぐ海港は1974年にリーブルヴィルの北郊に開港したオウェンド港で、トランスガボン鉄道を通じて内陸の密林や資源地帯と結びつき、奥地の木材やマンガン鉱の主な輸出港となっている46 。
国民
人口 ガボンの人口は1962年に45万3,000人だった42 ものが1986年には117万人47 、2017年には202万人にまで増加した32 。しかし、ガボンは伝統的に非常に人口密度の低い国であり45 、独立後の人口爆発にもかかわらず、2017年の人口密度は1km2あたり7.6人にしか過ぎない32 。このため、好調な経済に伴って赤道ギニアやカメルーンなどの近隣諸国より出稼ぎ労働者を多く受け入れている48 。
民族
言語
宗教
教育 ガボンの教育制度を管轄する省庁は2つあり、このうち教育省(文部省)は幼児教育から高等教育までを担当している。高等教育・技術革新省は、大学教育、高等教育および職業専門学校を担当している。
教育法により、6歳から16歳が義務教育 の対象となる。ガボンでは大部分の子供が託児所、保育所(Crèche)を経て、幼稚園 (子供園、Jardins d'Enfants)に入る。6歳から6年制の小学校 (École Primaire)に入る。次の段階が7年制の中学校 (École Secondaire)である。小学校、中学校の課程を修了すると19歳である。小中学校を卒業したあとは、技術学校、ビジネススクールを含む高等教育機関に進学することができる。高等教育機関としては、1970年に創立されたリーブルヴィルのオマール・ボンゴ大学 などがある。
保健
治安 ガボンの治安は他のアフリカ諸国と比較した場合、おおむね良好と言える。ただし、近隣諸国の治安に影響されやすい面が強めであり、情勢の変化次第では危険性が大きくなることを留意しなければならない。
現時点では薬物 が若年層 を中心に蔓延しつつある問題が挙げられており、今後の治安悪化の要因となる可能性の高さが指摘されている51 。
法執行機関 また、共和国警備隊 という準軍事組織 に匹敵する組織が存在しているが、これは国家憲兵隊の直属の部隊となっており、国内の治安確保を主な任務としている52 。
人権
マスコミ ガボンにはメディアの検閲は存在していないが、反面で政府を批判するメディアはしばしば法的な影響に直面することから、報道の自由 が制限されてしまっている。
ガボンの全国通信評議会は、メディア、ジャーナリスト、および個々の記者を名誉毀損 で監視し、これに重ねて彼らを非難することがよくあり、報道の権利は実質失われてしまっているも同然となっている。
通信
インターネット
ドメイン ガボン国内でもいくらか使われており、登録は第2レベルドメインに直接行われる。Freenomが監理団体であった時代は.gaドメインを無料で登録できるサービスも存在した54 。しかしドメインの不正利用が絶えないことからMeta がFreenomを訴えた結果、2023年3月には同社の管理下にある5つのトップレベルドメイン(.cf :中央アフリカ共和国 、.ga:ガボン、.gq :赤道ギニア 、.ml :マリ共和国 、.tk :トケラウ )への新規登録が停止され、2023年6月には国の管理に戻った55 56 。
文化
食文化 ガボン料理には魚介類 をふんだんに使った海鮮料理 があり、主に甲殻類 を用いたものが多い。宗主国であったフランスの影響からフランス料理 の技法が比較的多めに採り入れられている。
大都市に該当する地域では様々なフランス料理が普及しているが、農村地域ではキャッサバ 、米 、ヤムイモ などの穀類 を主食とした料理が一般に扱われている。
文学
音楽
映画 1970年代に当時の大統領であったオマール・ボンゴと妻のジョセフィン・ボンゴ によって映画製作が奨励されていたが、諸般の事情から20年間の中断が続いていた。1990年代初頭から国内の映画文化とその制作活動を再構築するための新しい政策が施行されることとなり、のちに数々の映画作品が制作されていった。
現在はアフリカ大陸において多くの短編映画を生み出し続ける国の一つとなっている。
美術 ガボンを代表する現代美術家にはオワント が知られている。
世界遺産
祝祭日
スポーツ
著名な出身者
参考文献
脚注
軍事
ガボン共和国
République Gabonaise
国の標語:Union, Travail, Justice (フランス語)
団結、勤労、公正
国歌 :La Concorde (フランス語)
協調
ガボン共和国 (ガボンきょうわこく、フランス語 : République gabonaise)、通称ガボン (フランス語 : Gabon)は、中部アフリカ に位置する共和制 国家 。北西に赤道ギニア 、北にカメルーン 、南と東にコンゴ共和国 と国境を接し、西は大西洋 のギニア湾 に面している。首都はリーブルヴィル である。
国名
正式名称はフランス語で République Gabonaise (レピュブリク・ガボネーズ)。通称 Gabon(ガボン)。
国名の由来はポルトガル語の Gabão(「水夫 用外套 」の意)から来ている。理由として、この国を流れるオゴウェ川 の河口にある小高い丘の形状が水夫用外套のフードを広げたような形であったことから、大航海時代のポルトガル人がそれを指して叫んだことによるものとする説がある1 。
公式の英語表記は Gabonese Republic (ガボニーズ・リパブリック)。通称 Gabon (ガボン)。
日本語の表記はガボン共和国 。通称ガボン 。漢字表記 は加蓬 。
歴史
→詳細は「 」を参照
フランス植民地時代 1815年の奴隷貿易廃止後もこの地方のフランスの権益は残存し、1849年には解放奴隷の入植地として海岸部にリーブルヴィル市が建設されてフランスの橋頭堡となった3 。やがてフランスはオゴウェ川流域に進出していき、1876年から1878年にかけてはピエール・ブラザが内陸部の踏査を行って1880年にはフランスヴィルを建設した。1885年のベルリン会議 によってこの地域の支配権が対外的にも承認され、1905年にはコンゴから分割されてガボン植民地が成立し、1910年にフランス領赤道アフリカ の一部となった4 。ガボンと周辺植民地との境界はしばしば変更されたが、最終的に1946年にオートオゴウェ州 がコンゴからガボンに帰属変更され、オゴウェ・コンゴ両河川の分水界が境界となることで領域が固定した5 。
フランスの植民地政策は1920年代までは特許会社を通じた収奪的なもので、同化政策はほぼ行われなかった6 。なお、アルベルト・シュヴァイツァー がランバレネ で医療・伝道活動を行っていたのは、このフランス領赤道アフリカ時代のことである。1930年代に入ると植民地政府の手で徐々に開発が進められたものの、経済面や教育面などで開発は非常に遅々としたものだった7 。第二次世界大戦 においてはガボン植民地はほかの赤道アフリカ植民地と歩調を合わせて自由フランス 支持を早期に表明した8 。
1946年にはフランス議会に議席を獲得し、また赤道アフリカ大評議会と議席数37のガボン領域議会が同時に設置された9 。この時期ガボンにおいては、レオン・ムバ 率いるアフリカ民主連合 系の親仏派政党であるガボン民主党 (PDG)と、ジャン・イレール・オウバメ が率いる社会主義寄りの反仏派政党であるガボン民主社会同盟(UDSG)の二大政党制 が成立していた10 。特に赤道アフリカ全体の連邦構想において両者は対立し、オウバメが連邦構想を支持する一方、ムバは豊かなガボンが他植民地に収奪されるとしてこの構想に強く反対を唱え構想を解消に追い込んだ。1958年には国民投票によってフランス共同体 内の自治共和国となり、ムバが政府首班となった11 。
独立 1960年8月17日にガボン共和国として独立した。初代大統領ムバはガボン民主党を率いて、反仏派のオウバメ率いるガボン民主社会同盟と連立政権を組んでいたが、ムバは独裁化していき、1963年には連立が解消され、1964年の議会選挙では強力な選挙介入を行った。これに反発したオウバメ派が同年クーデターを起こしたものの鎮圧され、さらに支配を強めたムバは事実上の一党制を樹立した12 。ムバは1967年に死亡し、副大統領のオマール・ボンゴ・オンディンバ がその跡を継いだ。ボンゴ政権は石油を中心とした経済成長の中で安定政権となり、1990年には複数政党制 に移行した13 ものの、ボンゴ大統領は1993年末の大統領選挙で5選を果たし、2005年には7選を果たして、2009年6月8日に死去するまで41年あまりの長期にわたって大統領職を続けた14 。
息子で副大統領だったアリー・ボンゴ・オンディンバ が2009年8月の選挙で第3代大統領に就任したが、選挙結果に不満を持った野党支持派による暴動が発生した15 。2016年の大統領選では野党連合統一候補のジャン・ピン が約5000票差にまで迫ったもののアリー・ボンゴ・オンディンバが49.8%の得票率で再選され、反対派は議会に放火するなど暴動を起こした16 。
2023年8月26日に行われた大統領選挙ではアリー・ボンゴ・オンディンバが3選目を果たすが、選挙結果が発表された同月30日、ガボン軍の幹部がテレビ放送で権力を掌握したことを発表した20 。軍幹部は国内の全ての治安・防衛当局を代表していると主張しており、「ガボン国民のため、われわれは現政権に終止符を打つことで平和を守ることを決定した」として選挙結果の取り消しと国境封鎖、及び国家機関の解散を宣言している20 。
政治
政府 ガボンは共和制 ・大統領制 を採用する立憲国家である。2023年8月30日に軍部による2023年ガボンクーデター が発生し、制度移行・回復委員会 を名乗り政権を掌握した。2024年12月19日に新憲法が公布され、国家元首 である大統領 の任期は7年間で、再選は1回のみ認められることとなった(それまでの再選回数は無制限であった)ほか、行政府の長 である首相職は廃止され、二人の副大統領が導入されることとなった21 。2025年8月までに総選挙が執行された後、新憲法が正式に施行される予定となっている22 。
大統領は強大な権力を憲法により保障されている。1967年にオマール・ボンゴ・オンディンバ が2代目に就任し、2009年にその息子アリー・ボンゴ・オンディンバ が後を継いだ。親子2代、56年にわたってボンゴ家の大統領による統治が続いたが、2023年のクーデターにより終りを迎えた23 24 。内閣 に相当する閣僚評議会 は首相 および閣僚で構成されたが、実際の行政権 は大統領が行使し、閣僚評議会はその執行機関にすぎなかった。よってその権力はきわめて小さく、事実上は大統領の補佐機関であった。
議会 議会は二院制 で、上院である元老院 (102議席)と下院である国民議会 (143議席)で構成される。上院議員は地方議会により選出され任期は6年。下院議員は国民の直接選挙で選出され任期は5年。
政党 主要政党 にはガボン民主党 (PDG)がある。PDGは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。他のおもな政党には林業労働者国民連合 (RNB)、ガボン進歩党 (PGP)、民主共和同盟 (ADERE)があるが、いずれもPDG寄りか政治勢力が小さく、PDGは議会内で大きな力を持つ。ただし、大統領選挙は直接選挙によるため野党が与党に対抗する余地は存在しないわけではなく、実際に2016年の大統領選挙では野党統一候補のジャン・ピン が敗れたものの、アリー・ボンゴ大統領に約5000票差にまで迫った23 。
国際関係 建国以来、旧宗主国であるフランスとの関係が非常に強い25 。これは初代ムバ大統領以来、親フランス派の大統領が続き、政治的・経済的に密接な関係を築いてきたことによる。フランスは2016年の政府開発援助 の31%を占める筆頭援助国である26 。またフランコフォニー国際機関 に加盟している。周辺諸国とは、1964年に中部アフリカ関税経済同盟を結成し、1994年にはこれが中部アフリカ経済通貨共同体 に改組された。
アフリカ連合 (および前身のアフリカ統一機構 )の原加盟国である。またムスリム の人口比率は高くはないがイスラム協力機構 に加盟している。歴史的にイギリスの植民地になったことはないが、2022年にイギリス連邦 へ加盟した。なお2023年のクーデターにより、アフリカ連合では加盟停止27 、イギリス連邦では首脳会談などに参加できない部分的加盟停止の処分が科せられている28 。
日本との関係
在留日本人数 - 60名(2023年5月現在)29
在日ガボン人数 - 52名(2022年6月現在)29
その他
軍事 同国の軍隊は、陸軍 と海軍 と空軍 、憲兵隊 の4つに別けられている。また、約5,000人の小規模な専門軍が設けられており、管轄には現地の警察 も一部ほど関わっている。
地理 国土中央部を西から東へオゴウェ川 が貫流しており、この流域がガボンの主な領域となっている。大西洋 沿岸は平野となっており、オゴウェ川下流にはデルタが広がっているが、内陸に入ると北部のクリスタル山地や南部のマヨンベ山地といった急崖が存在し標高が450mほど上がる。急崖の東は高原となっており、オゴウェ川の支流が刻む渓谷によってシャイユ山地などいくつかの山地に分割される30 。東部のコンゴ共和国との国境は山地となっており、おおむねオゴウェ川流域とコンゴ川 流域の分水界に沿って国境線が引かれている5 。北西の赤道ギニアとの国境はほぼ直線からなる非常に人工的な境界となっているが、一部はムニ川の河口部分が両国の国境となっている31 。なお、ムニ川河口のやや沖合に浮かぶコリスコ島 は両国の係争地となっている。国土の最西端はポールジャンティ市のすぐ西にあるロペス岬 であり、そこから南の海岸はマングローブ やラグーン が多い30 。
国土の88.5%(2014年)が森林 で32 、近隣諸国と比べ人口密度 が低いため、手つかずの豊かな自然が多く残されている。アフリカ森林には、ゾウ 、ゴリラ 、チンパンジー などの大型哺乳類が多数生息している。
多様な自然環境を含む、13の国立公園がある。国立公園の総面積は実に国土の11%を占める。ガボン政府は自然環境の保全に力を入れており、中部のロペ国立公園や、大西洋岸のロアンゴ国立公園ではエコツーリズム が導入されている。また、南西部ニャンガ州に位置するムカラバ・ドゥドゥ国立公園(Parc National de la Moukalaba-Doudou)では、日本人研究グループによる大型類人猿の長期野外研究プロジェクトが進められている。また、2007年にのロペ=オカンダ生態系と残存文化的景観 が複合遺産として世界遺産 に登録された。
気候は国土のほとんどがサバナ気候 (Aw)であるが、首都リーブルヴィルを含む北部や東部の一部は熱帯モンスーン気候 (Am)となっている。首都リーブルヴィル の降雨量は2510mmであり32 、雨季の9 - 5月が毎月約300ミリだが、乾季の6 - 8月は3ヶ月で35ミリと極端に少ない。1日の最高気温は平均29 - 30度、最低気温は20 - 23度である。
地方行政区分 ガボンは9つの州に分かれている(括弧内の地名は、州庁所在地)。
主要都市 最大都市は首都のリーブルヴィル であり、2013年の人口は70万人に達する32 。リーブルヴィルは19世紀にフランスが解放奴隷を入植させた港湾都市であり、以来この地域の政治の中心地となってきた。これに次ぐのは、オゴウェ川河口に近い海港都市ポールジャンティ (13万6,000人、2013年)である32 。ポールジャンティは河川舟運と海運の結節点であり、植民地時代から木材の輸出港として栄えてきたほか、独立後は沖合の海底油田開発の拠点都市ともなっている33 。第3の都市は東部の森林地帯に位置するフランスヴィル (11万人、2013年)である32 。フランスヴィルはトランスガボン鉄道の終着点であり、内陸部の森林・鉱山の開発拠点であるほか、ボンゴ大統領一族の出身地に近く、政府の重点的な開発投資を受けてきた34 。このほか、中部のランバレネ はアルベルト・シュヴァイツァー が生涯を医療活動に捧げた地である35 。
経済 ガボンは人口の少なさに比して林業 による豊富な物産があったため、古くからフランス植民地内ではその豊かさで知られていたが、独立後も石油をはじめとする資源開発によってその状況に大きな変化はなかった。産油国 であり、人口の少なさもあいまって国民所得 はアフリカ 諸国では高い部類に属する。2015年の一人当たりの国民所得は9200ドルで32 新興国 (中進国)レベルであり、世界水準と比較しておよそ75%に達し、アフリカ諸国では最上位クラスである。ただし、原油生産に経済の大部分を頼るため、原油価格の変動が経済に直接大きな影響を及ぼす構造となっており、経済の多角化が課題となっている。通貨 は近隣国との共通通貨である、中部アフリカ諸国銀行 の発行するCFAフラン を使用している36 。
鉱業 ガボンは天然資源 の宝庫であり、さまざまな資源が産出され輸出されているが、その中でも最も重要なものは石油である。ガボンの石油生産は1956年に開始され37 、独立後に本格的な生産が始まり、1970年代には経済の大部分を占めるようになって、2009年には原油 の輸出が総輸出の81.2%を占める石油依存経済となった38 。主な油田はポールジャンティ南の洋上に位置し、ボードロア・マリン油田 などいくつかの油田が存在する。原油に次いで重要な鉱産品は東部のモアンダ で産出されるマンガン であり、世界4位の生産量と輸出の2.9%を占める38 。モアンダ鉱山はオゴウェ鉱山会社(COMILOG)によって経営されており、世界有数の富鉱として知られている39 。またウラン も西部のムナナで産出され輸出されている39 。なお、ムナナに近いオクロのウラン鉱床ではかつて20億年前に自然に自律的な核分裂反応 が起こっていたことが知られており、オクロの天然原子炉 と呼ばれている。北東部のベリンガでは鉄鉱石 などの埋蔵も確認されている40 ものの、生産は行われていない39 。
1975年に石油輸出国機構 (OPEC)に加盟したが、1996年に脱退。その後、2016年に再加盟した41 。
農林業その他 独立時は木材 が輸出の58%(1961年)を占め42 経済の柱であった。やがて経済の主力は原油へと移っていくものの、木材は2009年時点でも輸出の8.4%を占め依然重要な輸出品となっている38 。ガボンで産出する木材はオクメ 材やマホガニー材などが中心であり、合板 (ベニヤ板)の材料として盛んに輸出される。農業 は植民地時代から自給農業の色合いが極めて強く、経済に占める割合も小さなものである43 。工業 はポールジャンティ市に立地するベニヤ板生産と石油精製 が中心であり、石油製品は輸出の2.0%、ベニヤ板は輸出の1.8%を占める38 。
交通 水運は、オゴウェ川が河口からンジョレ まで艀 の航行が可能であり、植民地時代には周辺の密林で伐採した木材を筏流しで下流へと流すことで重要な輸送ルートとなっていた45 。最も重要な海港はポールジャンティ港であり、オゴウェ川水運と海運の結節点として木材輸出を中心とし、独立後はさらに原油も重要な輸出品となった。これに次ぐ海港は1974年にリーブルヴィルの北郊に開港したオウェンド港で、トランスガボン鉄道を通じて内陸の密林や資源地帯と結びつき、奥地の木材やマンガン鉱の主な輸出港となっている46 。
国民
人口 ガボンの人口は1962年に45万3,000人だった42 ものが1986年には117万人47 、2017年には202万人にまで増加した32 。しかし、ガボンは伝統的に非常に人口密度の低い国であり45 、独立後の人口爆発にもかかわらず、2017年の人口密度は1km2あたり7.6人にしか過ぎない32 。このため、好調な経済に伴って赤道ギニアやカメルーンなどの近隣諸国より出稼ぎ労働者を多く受け入れている48 。
民族
言語
宗教
教育 ガボンの教育制度を管轄する省庁は2つあり、このうち教育省(文部省)は幼児教育から高等教育までを担当している。高等教育・技術革新省は、大学教育、高等教育および職業専門学校を担当している。
教育法により、6歳から16歳が義務教育 の対象となる。ガボンでは大部分の子供が託児所、保育所(Crèche)を経て、幼稚園 (子供園、Jardins d'Enfants)に入る。6歳から6年制の小学校 (École Primaire)に入る。次の段階が7年制の中学校 (École Secondaire)である。小学校、中学校の課程を修了すると19歳である。小中学校を卒業したあとは、技術学校、ビジネススクールを含む高等教育機関に進学することができる。高等教育機関としては、1970年に創立されたリーブルヴィルのオマール・ボンゴ大学 などがある。
保健
治安 ガボンの治安は他のアフリカ諸国と比較した場合、おおむね良好と言える。ただし、近隣諸国の治安に影響されやすい面が強めであり、情勢の変化次第では危険性が大きくなることを留意しなければならない。
現時点では薬物 が若年層 を中心に蔓延しつつある問題が挙げられており、今後の治安悪化の要因となる可能性の高さが指摘されている51 。
法執行機関 また、共和国警備隊 という準軍事組織 に匹敵する組織が存在しているが、これは国家憲兵隊の直属の部隊となっており、国内の治安確保を主な任務としている52 。
人権
マスコミ ガボンにはメディアの検閲は存在していないが、反面で政府を批判するメディアはしばしば法的な影響に直面することから、報道の自由 が制限されてしまっている。
ガボンの全国通信評議会は、メディア、ジャーナリスト、および個々の記者を名誉毀損 で監視し、これに重ねて彼らを非難することがよくあり、報道の権利は実質失われてしまっているも同然となっている。
通信
インターネット
ドメイン ガボン国内でもいくらか使われており、登録は第2レベルドメインに直接行われる。Freenomが監理団体であった時代は.gaドメインを無料で登録できるサービスも存在した54 。しかしドメインの不正利用が絶えないことからMeta がFreenomを訴えた結果、2023年3月には同社の管理下にある5つのトップレベルドメイン(.cf :中央アフリカ共和国 、.ga:ガボン、.gq :赤道ギニア 、.ml :マリ共和国 、.tk :トケラウ )への新規登録が停止され、2023年6月には国の管理に戻った55 56 。
文化
食文化 ガボン料理には魚介類 をふんだんに使った海鮮料理 があり、主に甲殻類 を用いたものが多い。宗主国であったフランスの影響からフランス料理 の技法が比較的多めに採り入れられている。
大都市に該当する地域では様々なフランス料理が普及しているが、農村地域ではキャッサバ 、米 、ヤムイモ などの穀類 を主食とした料理が一般に扱われている。
文学
音楽
映画 1970年代に当時の大統領であったオマール・ボンゴと妻のジョセフィン・ボンゴ によって映画製作が奨励されていたが、諸般の事情から20年間の中断が続いていた。1990年代初頭から国内の映画文化とその制作活動を再構築するための新しい政策が施行されることとなり、のちに数々の映画作品が制作されていった。
現在はアフリカ大陸において多くの短編映画を生み出し続ける国の一つとなっている。
美術 ガボンを代表する現代美術家にはオワント が知られている。
世界遺産
祝祭日
スポーツ
著名な出身者
参考文献
脚注
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